一度きりの人生、自分らしく生きていますか?アドラー心理学の「承認欲求の否定」について

サイト管理人
「一度きりの人生、自分らしく生きたい」という思いは誰でにもあると思います。しかし、他人の批判を恐れている人が多いのではないでしょうか。自由に生きるための「承認欲求の否定」について、「嫌われる勇気」で有名になったアドラー心理学と仏教から学びます。

あなたはこれまでに、

「一度きりの人生なんだから、自分で生き方を決めたい」
「自分の人生なんだから、他人に決められたくない」

と思われたことはないでしょうか?

「一度きりの人生、自分で生き方を決めたい」というのは、多くの方が抱いている思いと感じます。

しかし実情は、自分の人生を満足に送れていない方が多いのではないでしょうか

自己啓発書の原典ともいえる「思考は現実化する」(ナポレオン・ヒル著 きこ書房)にも以下のように書かれています。

多くの人々が親戚や友人たちや世間の批判を恐れて、結局、自分の人生を送れなくしている

数え切れないほど多くの人々が、年齢を問わず、他人への憚りということで自分の一生を台無しにしてしまっている。これも批判を恐れてのことである。

他人への憚りで一生を台無しにしてしまっている、とは耳が痛いですね。

また、「ナースが聞いた『死ぬ前に語られる後悔』トップ5」という記事もありました。

そこには、

1番目に「自分自身に忠実に生きれば良かった
5番目に「自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった

という後悔があがっていました。

ナースが聞いた『死ぬ前に語られる後悔』トップ5! ナースが聞いた『死ぬ前に語られる後悔』トップ5!

特に、「他人に望まれるように」ではなく「自分らしく生きれば良かった」という後悔が最も多いそうです

「自分らしく、どうして生きてこなかったのか!?」と、死ぬ前にいくら後悔しても後戻りはできません

どうして他人を恐れ、自分の人生を生きることができないのか。
どうすれば他人に憚ることなく、一度きりの人生を自分らしく生きられるのか。

その理由、方法を心理学と仏教から見ていきます。

「あなたはこうあるべきだ」属性付与を退ける

あなた自身は「自分らしく生きたい」と思っても、
周りの人はあなたに対して「こうあってほしい」と言われたり、「あなたはこうあるべきだ」と命令されたりすることはないでしょうか。

他人から「こうあってほしい」と言われることをアドラー心理学では「属性付与」といいます。
「こうあるべき」という属性を付与される、ということですね。

特に親は子供に対して「将来、こういう子になってほしい」という願いが強いですよね。「しっかりと勉強して、有名大学に入って、大企業に就職して、私たちを養ってほしい」というような願いです。

恋人なら「浮気は絶対しなくて、すぐにLINEも返してくれて、優しくて、1ヶ月に1度はサプライズもしてほしい」というような笑

しかし…。

これらの属性付与は、本当に相手の幸せを願ってのことなのでしょうか

むしろ、自分の都合のために相手を意のままに動かしたい、という思いがにじみ出ています。

実は、属性付与をする人は、悪く言えば、相手を支配したいのです
あなたを自分にとって都合の良い操り人形にしたいのです。

親なら「子供に養ってほしい。そのために安定した仕事に就いてほしい」と思い、子供が意に沿わない仕事に就こうとすれば、親は猛反発するでしょう。

彼女があれこれ彼氏に要求するのも、自分にとって都合の良い男性に仕立てあげたいからですね。

だから、そんな属性付与ならば受け入れる必要はありません

「アドラー心理学 実践入門」にも以下のように書かれています。

親をはじめとする他の人からの属性付与を受け入れる必要はありません。他の誰が何といおうと、自分はこうだ、といっていいと思うのです。

人の期待に合わせたり、期待を満たすために生きているわけではないからです

岸見一郎(2014).「第2章 幸福に生きるための自分との向き合い方」『アドラー心理学 実践入門』 ベストセラーズ

属性付与に従ったからといって幸せな人生を歩める保証はありません。

むしろ、属性付与に従ったゆえに人生の最後に後悔することになった人がいかに多いかは、先に見た通りです。

後悔しないためには属性付与を退けることが必要なのですね

「そうは言っても…」私たちに潜む承認欲求と名誉欲

「属性付与を受け入れる必要はない。それはわかる。ただ、そうは言っても…」と、あなたは思われたのではないでしょうか。

そう思われた通り、「属性付与を退けよ」と言われても、簡単には退けないですよね。

属性付与を退けて自由に生きようとすれば、たちまち嫌われたり、対人関係で摩擦が生じたりするでしょう。
「どうしてそんな道に進もうとするの!」という親からの反対、「私のこと、大事じゃないの?!」という恋人からの苦情など。

これらの反対に私たちはなかなか、耐え得ることができません。

どうして耐え得ることができないのか。

それは、私たちには他人から認めてもらいたい、嫌われたくないという承認欲求があるからです。

人間の根源的な欲求をアドラー心理学では「所属感」であると教えます。
「所属感」は、共同体(家族や友人とのつながり、学校やコミュニティなど)で「自分はここに居てもいいんだ」と思えることです。

そんな所属感を得るには「周りからの承認ないと、承認がなければ自分は無価値な存在になってしまう。周りからの承認がほしい」と私たちは考えるのです。

仏教でも、誰しもに人から認めてもらいたいという「名誉欲(めいよよく)」のあることを教えています。
名誉欲は人間の代表的な五つの欲(五欲)の一つです。

財欲,色欲,食欲,名誉欲,睡眠欲を五欲という

五欲(ごよく)とは – コトバンク

「人から悪く言われたくない、嫌われたくない」という心が名誉欲です。
殊更に自分の存在をアピールしたい「自己顕示欲」も、この名誉欲に入るでしょう。

「意識高い系」といわれる人たちも、自己顕示欲の現れですね。

属性付与を退け、周りから反対を受けることは、この名誉欲(承認欲求)との闘いを意味します

ところが、
この承認欲求や名誉欲はあまりに強く、親や恋人から嫌われたくないとの思いから、属性付与を甘んじて受け入れる人はとても多いのです

自由に生きるために支払うべき代償

しかし、
他人から嫌われずして自分のやりたいことを貫くことはできません。

他人から嫌われることは、自分らしく生きるための代償である、と「アドラー心理学入門」にも書かれてあります。

私たちのことをよくは思わない人がいるということは、私たちが自由に生きているということ、自分の生き方を貫いているということ、また、自分の方針に従って生きているということの証拠です。

自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えていいのです。

岸見一郎(1999). 「第二章 アドラー心理学の育児と教育」 『アドラー心理学入門』 ベスト新書

自分に反対する人がいるということは、自分が自由に生きている証拠、後悔のない人生を歩めている証であり、喜ばしいことなのですね。

「他人に望まれるように」生きていては最後に最大の後悔を残すことになるのは、先のナースの証言で見た通りです。

承認欲求を否定すること、それが自由に生きるための代償なのですね。

「嫌われる勇気」を発揮できるほどの使命を

このように、
私たちには否定しがたい承認欲求や名誉欲があるため、他人から嫌われることを恐れ、他人への憚りから、自分らしく生きられていない、とお話ししていきました。

では、
否定しがたい承認欲求を、それでもなお否定し、自由に生きていくためにいはどうすればいいのでしょうか。

それには、「嫌われる勇気」を持つことです。勇気があればこそ、承認欲求を否定し、他人からの反対への恐れがなくなります。

ではさらに、その「嫌われる勇気」を持つにはどうすればいいのでしょうか?
「その勇気がなくて困っているんだ!」と思われる方が多いでしょう。

嫌われる勇気を持つには、他人から嫌われる勇気を発揮できるほどの”使命”を見つけることが大事です。
その使命を見つけてこそ「自分はこれにこそ時間を費やさないといけない。これをやらないと、たった一度の人生、後悔してしまう。他人へ憚っている場合じゃない」となれるのですね。

その、人間として生まれてきたことの使命が説かれているのが仏教です。
ぜひ仏教を続けて学ばれ、仏教で説かれる使命を知られて、たった一度の人生を後悔なく過ごしていただければ幸いです。

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