余裕がなくなると表れる欲望の怖い正体:煩悩④

前回まで貪欲という欲望の心について話をしていました。今回は欲望の正体について書きたいと思います。

余裕がなくなると正体をあらわす欲望

欲望を悪いものとは思えないという人は多いと思います。人間として必要なものとして考えている人が大半でしょう。それは欲望の表面だけ見るとそうだと思います。しかし実態は大変恐ろしいものです。

その実態はどういったときにあらわれるか。それは余裕がなくなったときです。

ヒーローもので敵が正体を表すのは余裕がなくなったときでしょう。番組の終盤、ヒーロー戦隊が黒幕のボスを追い詰めます。「怪人●●、お前の思惑もここまでだ!」しかし、あと一歩というとことで、「フハハハ、そろそろアレを使おうか…」と不敵な笑い声をあげ、第二形態に変身するのが鉄板でしょう。余裕がある時は正体を表す必要はありません。しかし、いよいよ余裕がなくなるとプライドもかなぐり捨てて本性を表します

では欲望の本性はどういった時に見えるでしょうか。卑近な例をあげましょう。

50s Movie poster mad scientist style
50s Movie poster mad scientist style / glen edelson

駆け込み乗車を良いか悪いかでいうと色々思うでしょうが、並んでいた列に割り込みをして駆け込み乗車するのは悪いことというひとは多いでしょう。特にそれを自分の目の前でされたら腹が立って仕方ないと思います。そういう点で駆け込み乗車は悪といえます。

昨日のバラエティ番組を2時までついつい見すぎてしまった結果、起きるのが7時半になってしまいました。8:30の出社時間に間に合わせるには、7:50の電車に乗らなければ間に合いません。最初の会議で大事なプレゼンを控えてるため、遅刻は許されません。急いで着替えてご飯も当然食べれず、家を出たのが7:40。駅まで12分かかるところを全力疾走で向かい、7:49に駅に到着。ギリギリ乗れるかと思いきや、長蛇の列。コレに乗れないと、出世の機会を逃すどころか、部署中から非難轟々で会社にいれなくなるかもしれない。そうなったときあなたはどうしますか?

列の割り込みが悪いことは知っています。されて不快だったことも経験しています。しかし自分の会社での地位が左右されるとき、悪だからといって、電車を待つことを選べるでしょうか。待てませんよね。普段はしないことでも余裕がなくなればしてしまう。これが欲望の本性なのです。

世の中の殺人事件も欲望から始まっている

さて上記の駆け込み乗車はされたら不快ですが、まだ可愛いレベルです。しかし世の中には笑えないものがたくさんあります。

例えば殺人事件があります。なんと残酷なんだろうと目をつむりたくなったり、そんな理由でよく殺せたものだと驚くような事件が日夜、世を騒がせています。コメンテーターも「こんなことをするなんて考えられない」「信じがたい事件です」といった発言をしています。自分とは違う、また遠い異なる人間のように見ています

しかし果たしてそうでしょうか。まったく違う人間で彼らにはあって、私たちにはないものがあるのでしょうか。それは違うと仏教では教えられています。彼らの怪奇な行動の根元にあるものと私の根本にあるものは同じです。すべて煩悩なのです。究極的に余裕がなくなってしまうと、人は信じがたい行動に出てしまうのです。

  • 余裕がなくなった財欲の末路が、強盗殺人に
  • 異性を恋しく思う色欲が満たされないと怒りに転じるストーカー殺人
  • 目立ちたいの名誉欲が、過激な愉快殺人に
  • 楽して暮らしたいの睡眠欲が、子をも殺す保険金殺人に
  • すべて根本にあるのは私たちもよく知る欲望なのです。自分がするはずがないと思っている人は、今たまたま恵まれているに過ぎません。

    ニュースでは犯人の周囲の人にインタビューし、その声を報道しています。「普段は大人しい人だったのに」「そんなことをするような人ではない、いい人だった」とか、驚きの声をあげています。それもそのはずです。余裕がある時は私たちと同じですから。私たちも余裕がなくなり、欲望が正体を見せた時、どんなことをしでかすか、想像するとゾッとするものがあります。

    恐ろしい我利我利の心

    そういう心を持っている。だから「三毒の煩悩」といって毒をもつのです。毒とは殺すことができる劇物です。当たり前の欲望も、正体を表した時、他人を殺し、自分をも殺すことができる恐ろしい心なのです。

    その正体を仏教では我利我利の心と教えられています。我利我利というのは、「我」は私、「利」は幸せということで、自分の幸せのみを追求する心です。言い換えると「自分さえよければ、他の人がどうなってもいい」という心です。仏教で勧められる利他の精神とは対極にあります。

    先ほどの電車に無理やり乗ろうとするのも、待っている人のことを無視して、自分さえ乗れればいいという心です。そこに思いやりはありません。余裕がなくなると、極めて自己中心的な心が表れます。それが極限まで達すると、人を傷つけ、殺人へとつながってしまうのです。

    思いやりがあて素晴らしい人と尊敬していた人が、自己中心的な行動に出る時、よくありますね。そういう時は得てして、余裕がない時です。人を思いやることができなくなってしまうのです。思いやれるというのは、ゆとりがあるからできることです。だからこそ余裕を持ち続けることが大事です。しかしその余裕がなくなったとき、我利我利という猛毒を秘めていることを知らねばなりません。

    まとめ:誰しもが恐ろしい我利我利の心を秘めている

    ということで欲望の正体について話をしてきました。欲望が必要なことという意見は、確かに正しいのですが、表面を見ている似すぎません。その本質であり正体を見ると、非常に恐ろしいことが分かります。

    さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」と仏教では教えられています。きっかけがあればどんなことでもしてしまう、それが人間であると教えられています。今は余裕があっても、余裕がなくなれば、どんな人でも正体を表し、恐ろしい行動をしてしまうのだと言われています。

    そういう点で、世の中のニュースを見て他人事のように考えていては、進歩がありません。自分はどうかと問うと、まったく馬鹿にできない自分がいます。欲望をもち、我利我利の心を秘めているという点で、すべての人は同じです。その観点でみると、ニュースも人生もまったく違ったものに見えてくることでしょう。

    仏教を聞くということは、この煩悩と向き合うということです。自分の本当の心とは何か、それを知ることで、表面的な生き方から脱することができます。

    引き続き仏教を学んでいっていただければと思います。

     

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    ゆげ

    渋谷のネット企業で働く20代のマーケター。ゲームとマンガ三昧の堕落生活の反動で、哲学が好きに。柴犬をこよなく愛する犬アレルギー持ち。アカデミーの理事長です。
    coconalaで仏教カウンセリングしています