高校野球の果てにあった虚しさと有無同然について

はじめまして。東京で広報関係の仕事をしている「りょうぶ」と言います。仏教を学び始めたきっかけについて紹介します。きっかけは野球でした。

野球に明け暮れた中学高校時代

私が野球に出会ったのは転校した小学校ででした。知り合いがいない学校でしたが、周りのクラスメイトは野球ばかりをやっていて、その友達が声をかけてくれ、キャッチボールで遊んだのがきっかけでした。野球のクラブチームではなく、遊び程度のものでしたが、毎日のようにグラウンドで野球のミニゲームをやっていました。7,8人くらいで2つに分かれてやるような小規模のもので、今思うと遊びも遊びでしたが、その時の自分にとっては野球をやるのが当たり前でした。日常に溶け込んでいたのです。

そして中学校に上がった時、音楽が好きだったので吹奏楽部に入るのと迷ったのですが、身体を動かしたいと思い、縁のある野球部に入ることにしました。そこからは練習に明け暮れる毎日です。生徒会もやりながらでしたが、自分の中では野球のプライオリティは一番上でした。遊びの小学校時代とは違い、ポジションがあり、セカンドでした。外野より内野の方が面白いですし、守備的にはゲッツーをとる重要なポジションだったので、嬉しかったことを今も思い出します。まあ肩がなく、小柄だったから選ばれたのだと思いますが…。与えられたセカンドのポジションで機敏に動くことができ、野球の楽しさを覚えました。そうして過ごした中学校3年間の後、引退しても高校で野球を続けようと思いました。

野球をしない人にとってはピンと来ないかもしれませんが、球児にとって、高校野球は意味合いが違います。野球少年の全盛期であり、晴れ舞台です。一生に一度の舞台。当時活躍していた横浜高校の松坂大輔など甲子園で活躍する姿を見ているので、まさに夢舞台でした。

そういうこともあり、野球部がそれなりに強い公立高校を選び、進学しました。そして中学校以上に野球漬けの日々が始まりました。練習練習練習の毎日。中学の時は片手間でしたが、この時は野球のことしかしませんでした。朝練習の時はユニフォームに着替えて、終わってユニフォームを脱いだ後は授業を受けて、授業が終わればユニフォームを着て、練習が終わった後もトレーニングで練習を重ねていました。

そして予選を突破し、高校二年の秋に都大会に出場しました。憧れた神宮第二球場。プロ野球選手がプレーする第一球場と隣でプレーすることができたのです。その時の興奮は今も忘れられません。

しかし、初戦のピッチャーが140km/hを投げる豪速球選手。140km/hといってすごさが分からないかもしれませんが、これまで120km/h前後を見てきた人間が、140km/hで20km/h以上を受けるときはまるで世界が異なります。大谷投手のように150km超を出す投手はもう異次元です。結局それを返すことはできませんでした。そうしてチームは敗北。高校野球生活は終わりました。

We Have Passed the Baseball Equinox
We Have Passed the Baseball Equinox / slgckgc

どんなものにも終りが来る、という虚しさ

最後の高校野球生活を終えた夏、「ああ、もう引退なのか」と思いました。あれだけ辛い練習の日々も思い返してみれば、あっという間でした。どんなに打ち込んでいても、終わりは必ず来ます。辛い練習の日々が終わり、終わってホッとした気持ちもある反面、終わってしまったという衝撃がありました。

その先どうするかは悩みました。野球は好きです。しかし、プロになれるかというとそこまでの実力はない。野球で食べていくことがない今、自分には何があるのだろう。そう悩んだ時、何もない自分を知りました。

このままでは人生を終われない。人生の軸が欲しい。どういう風に生きれば、悔いのない人生を送ることができるのだろうか。新しい人生を歩もうとし始めました。

単純な興味から映像制作の道を考えました。自分が作った映像で、人に影響を与えられないかと思ったのです。しかし、それも長続きせず。今ひとつしっくりくるものがなかったのです。そもそも何か心の底から作りたいもの、人に言いたいものがなかったのです。

そこで深い思想を勉強しようと思い、仏教を学び始めたのでした。

有無同然から知った、本当の意味での虚しさ

仏教で有無同然という教えがあります。有っても無くても同じく然り、ということで、有るのも無いのも同じく苦しみであるということです。お金が無くて苦しいのは分かります。しかしお金は有っても苦しいと言われるのです。

田あれば田を憂え、宅あれば宅を憂う。牛馬・六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、また共に之を憂う。有無同じく然り。(経典)

昔なので田んぼや牛と言われていますが、現代で言えば家や車にあたるでしょう。究極的にはお金でしょう。お金が無い苦しみは言うまでもありませんが、有る苦しみがあるのです。それは不安です。

「盗まれたらどうしよう」「株価が暴落したらどうしよう」「火事で財産が失われたらどうしよう」「部下が裏切ったらどうしよう」

こういった不安はお金を持っているから生まれるものです。無いと不満ですが、有れば不安が強くなります。不満と不安どちらがいいと聞かれても、どちらも嫌ですよね。だから同じく然りと言われているのです。

これを聞いて衝撃を受けました。野球をやっていた時は強いチームに行けばきっと変わると思っていました。しかし結果はより辛い練習が待っていて、非常に大変でした。もちろんその分能力は向上できました。しかし心の底から幸せだったかというと疑問が残ります。では楽をして弱いチームに行けばよかったかというと、それはそれでやりがいもなかったと思います。究極的には、苦しみの観点でいえばどちらも大差はないのです。

才能があれば、強いチームに行けば、というものを望んでいきていたので、そういう後悔があったのですが、それは全く本質ではないと知りました。

仏教で教えられますが、この世は無常であり、いつか必ず終りがあります。高校野球のように引退であれば、次の大学生活がありますが、死という終わりには次がありません。高校では失敗したから大学では成功させようということができません。

それなりに考えていたつもりでしたが、死についてまで深く考えることはできませんでした。この死の問題は切っても切り離せません。この無常の問題に深く向き合っているのが仏教と聞いて、深い感銘を受けたのを思い出します。

仏教を通じて、有ればよいという人生観から出て、もう少し広い観点で学んでいっていただければと思います。私もこれからさらに学んでいきたいと思います。

 

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    りょうぶ

    野球とAKB48が好きな広報マン。推しメンだった髙島祐利奈が学業に専念するということでAKB48を卒業してから放心状態が続く。