ついに「愉悦部」結成へ。『Fate/Zero』のギルガメッシュと言峰綺礼から分かる愉悦を求めずにいられない人間の性※ネタバレ注意(愉悦部考察⑥)

映画『Fate/stay night [Heaven’s Feel]』が、全国動員・興収ランキングで第1位、アプリゲーム『Fate/Grand Order』も11月の課金額が63億円を記録するなど、アニメ・ゲームファンだけでなく幅広い層から支持を得るFateシリーズ。

数多くのスピンオフ作品がある中、根強い人気のある作品が『Fate/Zero』です。

このコラムでは『Fate/Zero』裏の代名詞ともいえる「愉悦部」とは何かというテーマについて解説してきました。

今回からはついに「外道麻婆」の本性を表していく『Fate/Zero』終盤の言峰綺礼がテーマ。

綺礼が長年求めてきた問いに対する答えが明らかになっていく場面を考察します

『Fate/Zero』あらすじーーー第四次聖杯戦争は終盤に入って急展開に

※『Fate/Zero』佳境部分のネタバレがあります。未読の方はご注意ください。

どんな願いも叶えるという万能の願望器・聖杯を奪い合う魔術師の闘争、聖杯戦争。

聖杯戦争に参加できるのは聖杯に選ばれた証・令呪を宿した魔術師だけです。

しかし魔術師でもないのに戦争開始の3年も前に令呪が宿った、若き聖職者が言峰綺礼でした。

綺礼の父・璃正神父は聖杯戦争の監督者でありながら、裏で遠坂時臣という魔術師と結託しており「根源に至る」という魔術師としてまっとうな願望を持つ時臣を支持することで、ヨコシマな願望を持つ凡人が聖杯を得ることが無いよう根回しをしていました。

息子・綺礼が聖杯戦争の参加者・マスターに選ばれたことを知った璃正神父は、綺礼に任務として戦争に参加し時臣を裏でサポートするよう指示します。

マスターに選ばれたということは、綺礼にも何らかの願望があるはず。

しかし綺礼には叶えたい願望もなければ、楽しみを得られる娯楽も何一つありませんでした

任務として聖杯戦争に参加しながら、「自分は何者なのか」という幼い頃から求め続けてきた問いへの答えを求めていた綺礼。

時臣が召喚したギルガメッシュとの出会いにより神に一途に仕えるエリート聖職者としての人生が崩壊していきます。

愉悦というのはな、言うなれば魂の容(かたち)だ。“有る”か“無い”かないかではなく、“識る”か“識れないか”を問うべきものだ。

綺礼、お前は未だ己の魂の在り方が見えていない。

愉悦を持ち合わせんなどと抜かすのは、要するにそういうことだ。」

聖杯で叶えたい願望が無いなら、己の愉悦を求めたら良いとギルガメッシュに言われた綺礼は、愉悦も自分の中には無いと応えます。

そんな綺礼に対しギルガメッシュはこう応え、その後巧みに綺礼の心を解体し、本人も気付いていない綺礼の愉悦を自覚させていきました。

痛みと嘆きを『悦』とすることに、何の矛盾があるというのだ?

愉悦の在り方に定型などない。それが解せぬから迷うのだ。お前は」

綺礼の愉悦は他人の辛苦を蜜とする「愚痴」の心にありました。

愚痴」というと不平不満を他人に漏らすという意味でよく使われますが、本当は仏教で教えられる煩悩の一つで、妬みやそねみ、他人の不幸を喜ぶ心のことをいい、108ある煩悩の中でも最も私たちの心を振り回す煩悩の一つと教えられます。

幼い頃から修身に人生を捧げてきた綺礼にとって、愚痴の愉悦が自身にあるという真実は受け入れられないものでした。

「英雄王、貴様のようなヒトならざる魔性なら、他者の辛苦を密の味とするのも頷ける。

だが、それは罪人の魂だ。罰せられるべき悪徳だ。」

綺礼はとっさに「他者の辛苦を密の味とするのは罪人の魂で、自分にそんな心はない」とギルガメッシュに反論します。

しかしその後抗えない愚痴の心が求める、他人の不幸に吸い寄せられていきました。

そしてついに忠実に仕えていた師・時臣に逆らい、時臣の敵である間桐雁夜の命を助けてしまいます。

それは「雁夜の地獄のような人生をもっと観察したいから」という愚痴の愉悦を満たすための行動でした。

父親の死に直面した綺礼に湧き上がった恐ろしい「愉悦」の心

聖杯戦争も終盤。

追い詰められたあるマスターにより、綺礼の父親・璃正神父が射殺されてしまいます。

遺体の第一発見者となった綺礼は、父の死に直面したとき、妻が死んだ際に吹き上がってきた感情と同じモノに気づきます。

物語の冒頭、綺礼は二年しか連れ添っていなかった新妻を亡くしたばかりでした。

「……」

立ち眩みにも似た感覚を覚えて、綺礼は歩調を緩め、額に手をやった。

死別した妻のことを思い返そうとすると、まるで靄がかかるかのように、なぜか思考が散漫になる。

霧の中で断崖絶壁の縁に立つような気分。

その先には一歩たりとも踏み出してはならないという、本能的な忌避感。

死別したばかりの妻を思うたび、別離の悲しみとは異なる感情が吹き上がり、なるべく直視しないよう努めていた綺礼。

しかし父親を目の前で失ったとき、ギルガメッシュにより暴かれた「愚痴」という愉悦があることを認めざるを得なくなっていきます。

いま心に湧き上がる感情を、言峰綺礼、おまえは決して理解してはならない。

認めてはならない。何故ならそれはーーー

ギルガメッシュに暴かれ、気づいてしまった綺礼の本性は、肉親の不幸でさえ「愉悦」を感じてしまうほど強い「愚痴」の煩悩でした。

病み衰えた女の末期(まつご)の枕元で、綺礼は己が求め欲するものを悟ったのではなかったか

コノオンナヲ、モット■■■■タイ、トーーー

モット■■■■スガタガミタイ、トーーー

■■■■に入る言葉はおそらく「苦しませ(たい)」「苦しむ(姿が見たい)」でしょう。

自分を一番愛してくれた妻や親に対し「もっと苦しめばいいのに」と思ってしまう心は、まるで毒蛇を見たときのようなゾッとするものがあります。

綺礼は、三年間、常に心の奥底で願っていたのではなかったか……

この父親が死ぬ前に、セメテ極ツケノ■■■■ヲ味ワワセテヤリタイト……

“血の匂いを辿る獣のようにーーー魂は愉悦を追い求めるーーー”

心の内に居座った紅玉(ルビー)のような双眸が、邪笑をともに囁きかける。

愉悦こそは魂の容(かたち)だと、そう彼は語ったのではなかったか。

そこにこそ言峰綺礼の本性があるのだとーーー

神への信仰心と教会への忠誠は折り紙付きの優秀な息子だと他人に自慢するほど、自身に信頼と情愛をかけてくれていた父親・璃正神父。

そんな大切な親に対し「極めつけの苦しみを味あわせてやりたい」と思うほど、綺礼の「愚痴」は強いものだったのです。

綺礼は異常者で私たちとは違うイキモノだと思われた読者の方も多いと思います。

しかし同じ日本人でも戦国時代は、子が親を殺し権力を持つことは普通にありましたし、現代でも介護に疲れて「いっそ死んでくれたら…」と肉親であっても不幸を願ってしまうことはあります。

家族という存在は一般的に現代の社会では「自分」と同一視されるほど近しい存在ですが、育った環境や親との関係また遺産相続などの欲が絡めば、親の不幸を簡単に願ってしまうのが私たち人間の本性なのです。

鎌倉時代後期に書かれた仏教書には

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし

という一節があります。

「愚痴」の煩悩は縁さえ揃えば、どんな恐ろしいことでも思ってしまうし、時には実際行動させてしまう恐ろしい心なのです。

ついに迫る「愉悦部」結成の時。自身の本性を目の当たりにし戸惑う綺礼に、ギルガメッシュが悪魔の囁きで勧誘する

結局、綺礼はその腕に再び刻まれた令呪のことも、密かに璃正から受け継いだ保管令呪の存在も、時臣には明かさなかった。

セイバーの真のマスターである衛宮切嗣が今なお姿を潜めていることも教えなかった。

間桐雁夜を救ったことに加えて、そこまで重要な情報を今なお秘匿しているという時点で、既に綺礼は時臣の部下としての役目を自ら放棄しているようなものなのだ。

時臣から見限られたことについても、今さら文句を言える筋合いではない。

一度マスターとしての資格を失いながら、再びマスターに選ばれた証「令呪」を授かり、時臣の敵・間桐雁夜を助けた綺礼は裏切り者も同然。

時臣は綺礼が自分の知らないところで密かに行動していることを知り、綺礼は聖杯戦争から追放されることになります。

聖杯戦争の舞台、日本を旅立つことになる前夜。

綺礼は限られた時間の中で、神に答えを求めた長い求道人生でいくら修身を積んでも分からなかった「私とは何者なのか」という問いに答えを出すかどうかを迫られます

一通り、各スタッフへの電話連絡を終えて一段落した綺礼は、独り自室に戻ると、寝台の縁に腰を下ろして、無人の教会の静謐に耳を澄ました。

闇を見据え、自分自身の心に向けて問いかける。

その生涯において、幾千度、幾万度重ねてきたかも知れぬ問い。

今度のそれは、ひときわ切実で逼迫していた。

今度ばかりは夜が明けるまでに、答えに至らなければならないのだから。

ーーー我は、何を望むのか?

「自分」とは何なのか。

分からなかった綺礼は愉悦もまた自分の心にも無いと思い込んで修行に打ち込み、神の代行者として命がけの任務に就き、聖杯戦争にも父親の意向通りの活躍をしてきました。

しかしギルガメッシュが残した

「愉悦というのはな、言うなれば魂の容(かたち)だ。“有る”か“無い”かないかではなく、“識る”か“識れないか”を問うべきものだ。

綺礼、お前は未だ己の魂の在り方が見えていない。

愉悦を持ち合わせんなどと抜かすのは、要するにそういうことだ。」

という言葉をきっかけに、綺礼は長年抱き続けた「私とは何者なのか」という疑問の答えに大きく近づいていくことになります。

しかしそれは綺礼にとって、最も知りたくない自己と対面する瞬間が近づいている時でもありました。

予感がある。ーーー全ての答えを知った時、この私は、破滅することになるのだと

誰もが目を背けたくなる、私たちの煩悩という本性。

綺礼が答えを知る時はすぐそこに迫っていました。

次回に続きます。

※ストーリー紹介は

『Fate/Zero5 散りゆく者たち (虚淵玄・星海社文庫)』

『Fate/Zero5 闇の胎動 (虚淵玄・星海社文庫)』から引用させて頂きました。