ニュースと仏教:ISIS(イスラム国)とその思想と仏教について解説

ここ最近ISIS(現ISIL、通称イスラム国)によるニュースが世の中を騒がせています。

処刑の様子を動画にアップしたり、子どもに殺人術を叩き込んでいたりと、日本では考えられないようなことがなされています。そんな過激な行動がメディアに露出され、日本にいる私達も戦々恐々とさせられています。

しかしそんなイスラム国について、あまり詳しくは知らない人が多いのではないでしょうか。そもそもの成り立ちも含めその思想について調べてみました。紹介いたします。

Hijab ヒジャブ
Hijab ヒジャブ / INABA Tomoaki

イスラム国がイスラム教であることは知っていても、その詳細を知る人はあまりないかと思います。

ISISとは「The Islamic State of Iraq and al-Sham/Syria」ということで、イラクとシャーム/シリアのイスラム国の英語の略称です。メディアによっては一部ではISIL(The Islamic State of Iraq and the Levant,:イラクとレバントのイスラム国)とも言われています。

実はこのISISですが、あのアルカイダの傘下組織でした。アルカイダとはイスラム教にのっとり社会と政治を動かそうとするイスラム原理主義の政治組織です。かつて世を賑わせたウサマ・ビンラディン氏が指導者でありました。2001年にアメリカ同時多発テロを起こしたとされています。

そのアルカイダの傘下組織として、ヨルダン生まれの活動家ザルカウィが2006年に結成したのが、ISISでした。しかし2014年に考え方の違いからアルカイダを離反し、シリアやイラクを征服しました。そして今日にいたるまで数千人を処刑するなど過激な活動を実行し、世を騒がせるにいたりました。

ISISはイスラム教のスンニ派の武装勢力です。イスラム教についての解説はまた別の機会に紹介しますが、スンニ派は、シーア派と並んでイスラム教で勢力のある派閥です。創始者のムハンマドの娘婿のアリーの血縁を重視するシーア派に対し、ムハンマドのいう慣行に従うことを重視したのがスンニ派です。同じイスラム教ではありながら、考え方は大きく異なり、今日に至るまで両派間での対立は絶えませんでした。

ISISが拠点を置く、イラクでは政権を握っていたのがシーア派であったこともあり、スンニ派の彼らは政権と敵対していました。そしてアメリカが政権側につき、空爆が行われています。そうしたこともありイスラム教内でも争いが続いています。

そんな彼らの思想とは何なのか見てみましょう。

ISIS(イスラム国)の危険思想について

イスラム教にはジハード(jihād)という、イスラム教徒の考えが教えられています。元々は努力や奮闘という意味ですが、「神の道のために奮闘することに務めよ」というコーランが語源といわれています。

そしてこのジハードには大きく2種類あります。内的ジハードと外的ジハードです。

内的ジハードは、自分自身の内部の葛藤ということで「忍耐」「努力」を指します。こちらはあまり知られていないですね。

私達がイメージするのは外的ジハードです。

小ジハードはもっぱら、敵との戦いを意味している。ここでは「勇敢に戦闘に加わること」を意味し、自分の生命財産をアッラーの正義のため、イスラーム教とムスリム防衛のために奉げることを意味している。

「混同されるジハードとテロ」 (佐々木良昭主任研究員)|イスラム圏 分析レポート:ユーラシア情報ネットワーク[東京財団] 「混同されるジハードとテロ」 (佐々木良昭主任研究員)|イスラム圏 分析レポート:ユーラシア情報ネットワーク[東京財団]

聖戦と称されるこのジハードは戒律により定められ、イスラム教布教において大事な教義となります。歴史的経緯を考えるとキリスト教やユダヤ教はじめとする宗教大国の中での存続および拡大において、ジハードがなければ教団維持が不可能なのではないかと思われます。

しかし、イスラム国においては、このジハードの名の下であらゆる暴力が正統化されているのです。冒頭にあげた処刑の様子を動画にアップしたり、子どもに残酷な行いを強要するなどです。または結婚ジハードというようにISISの軍人との結婚を奨励したり、性奴隷を正当化しています。これには多くのイスラム教徒からも批判があがっています。

このような過激な行動の裏には、上記の歪んだ思想だけではなく、 恐怖統制を敷き統治下の人たちを屈服させるためや、国の維持のための経済的問題などが見え隠れしています。ジハードの言葉を元に人道から外れたことを繰り返しているのです。

仏教では暴力はどう教えられているか

さて仏教ではこれらの暴力についてはどのように教えられているのでしょうか。

仏教は非暴力の宗教です。多くの宗教が暴力によって統治されていったのに対し、仏教はあくまで教えによって統治します。過去の仏教国で戦争をしたことがあるかもしれませんが、それは仏教の教えに基いているとはいえません。

仏教では「因果応報」と教えられています。自分のやった行いがそのまま自分に必ず帰ってきます。ですから暴力をふるえば暴力が、あるいはそれ相応の悪いことが100%帰ってきます。ですから報復は何も意味をなさないと教えられています。

怒りに対して怒りで帰すのは下等の人間である、と言われています。

こんな話があります。美作国に勢至丸という聡明な子どもがいました。役人だった父・漆間時国がある時、武士に夜討ちをかけられました。虫の息の父を見た法然はその復讐心から武将を志すと誓いました。ですが、父・時国は息絶え絶えになりながら「決して犯人を恨んではならない。そなたが敵討ちをすれば、相手の子がそなたを狙う。敵討ちが幾世代も続いていく。大変愚かしいことだ。父を思ってくれるなら出家して菩提を弔い、自ら仏法を求め、後生はっきりする教えを明らかにしてほしい」と諭されて仏道に入ったと言われます。これが後に浄土宗を開く有名な法然なのです。

暴力に暴力を返しても、また来る暴力に恐れる日々がやってきます。それでは絶対に幸せになれません。引き続き仏教の教えを学んでいきたいと思います。

参考