身体は大人、だけど心は子供? 「幸せになる勇気」に学ぶ“かまってちゃん”からの脱却について

幸せになる勇気」が発売され、「嫌われる勇気」に続き、ベストセラーになっています。

ビジネス書の売上ランキングを見ると、どの書店や通販のサイトでも「幸せになる勇気」がベスト3には入っていますね。
アドラーブームはまだまだ続きそうです。

この「幸せになる勇気」という言葉。不思議に感じませんか?

「どうして幸せになるのに“勇気”が必要なの?」

幸せになる努力は必要だろうけれど、なぜ勇気がいるのか。そもそも勇気ってなに?と。

どうして幸せになるのに勇気が必要なのか、
「幸せになる勇気」の核心部分を、できる限りわかりやすくお話していきます。

「信頼」と「信用」は似て非なるもの?

アドラー心理学では「他者信頼」ということが教えられています。

この他者信頼を理解するには、「信頼」と「信用」との違いを知らなければなりません。

「えっ?信頼と信用って、同じ意味なんじゃないの?」

と思われるそうですが、実は…、まったく意味が違うのです。

はじめに、信用とは、「条件付きに相手を信じること」です。
相手が信じてくれるなら自分も相手を信じる、相手が信じないなら自分も信じない、ということですね。

銀行からの借入みたいなものです。
当たり前ですが、銀行は無条件にお金を貸してはくれません。借入には担保が必要ですね。

対して信頼は、「他者を信じるにあたって一切の条件をつけないこと、無条件に相手を信じること」です。

「そんな無条件に人を信じるなんてできない!」
「裏切られて、傷付けられたらどうするのか!」

と当然感じられるでしょう。

しかし…。

信頼することを恐れていては誰とも深い関係を築くことはできず、対人関係から喜びを得ることはできないのです

アドラーの語る「すべての悩みは、対人関係の悩みである」という言葉の背後には、「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」という幸福の定義が隠されているのです。

岸見一郎・古賀史健(2016).「第四部 与えよ、さらば与えられん」『幸せになる勇気』 ダイヤモンド社

といわれているように、良い対人関係を築けてこそ幸せな人生を送れる、とアドラー心理学で教えられています。

その良い対人関係、深い対人関係を築くのに他者信頼は不可欠なのです。

他者信頼とは真逆な私たちの思い

ところが…。

私たちには「自分が信じるより先に他者から信じてもらいたい、他者から愛されたい」という思いがあります。「まぁ、信用はするけど、信頼はとてもできない。そそも、傷付きたくないし、したくない」と思っているのです。

これを「自己中心性」といいます。
自分が世界の中心にいる(いたい)と思っているので、「愛されるためのライフスタイル」とも呼ばれています。

この自己中心性・愛されるライフスタイルについて、「幸せになる勇気」には以下のように書かれています。

「愛されるライフスタイル」を選ぶのは、子どもだけではありません。

多くの大人たちもまた、自分の弱さや不幸、傷、不遇なる環境、そしてトラウマを「武器」として、他者をコントロールしようと目論みます。

心配させ、言動を束縛し、支配しようとするのです。

そんな大人たちをアドラーは「甘やかされた子ども」と断じ、そのライフスタイル(世界観)を厳しく批判しました。

岸見一郎・古賀史健(2016).「第五部 愛する人生を選べ」『幸せになる勇気』 ダイヤモンド社

「愛されるためのライフスタイル」を選ぶ大人は、愛されることばかりを考え、自分の弱さを武器にして気を引こうとしている子供である、ときびしく言われているのです。

身体は子供、頭脳は大人」といえば名探偵コナンです。

が、私たちは「身体は大人、だけど心は子供」だと指摘されています。

弱さをアピールするほど人は離れていく

このように、自分から与えようとはせず、もらうことばかりを考えている人を仏教では「餓鬼(がき)」といわれます。

俗に、生前に贅沢をした者が餓鬼道に落ちるとされている。

ただし仏教の立場から正確にいえば、生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界とされる。

餓鬼 – Wikipedia

とあるように、常に貪りの心を起こし、もらうことしか考えていない人も心は餓鬼と同じなのです。

俗に子供のことをガキといいますね。

このガキの語源は、仏教の「餓鬼」であり、子供はしてもらうことしか頭にないから「ガキ(餓鬼)」といわれるのです。

自分の思い通りにならなくて泣きわめき、暴れ転がっている。そんな子供を見ると「ほんと、ガキだなぁ」って思います。

ところが…。

さすがに泣きわめく大人は滅多にいませんが、ことさらに自分の弱さを出して注目されたい“かまってちゃん”は多いのではないでしょうか。

3分の1の女性が「かまってちゃん女子」その特徴とうまく付き合う方法は?

こんな記事もあるほど、かまってほしい人は増えているのですね。
女性に限らず、男性も同じでしょうし、自覚のないところで不幸のアピールをしているかもしれません。

そんな“かまってちゃん”がまわりにいたら、あなたはどう思いますか?

「マジめんどくさいし、ウザい。そんな人と付き合いたくない」

と思うのが正直なところでしょう。

「注目されたい、かまってほしい」と自分の弱さをアピールすればするほど周りの人はうんざりし、離れていってしまいます

“自分から信じる勇気”が幸せになる勇気

そんな弱さをアピールして、注目を集めるのではなく、

  • 自分から与える人
  • 自分から信じる人
  • 自分から愛する人

になることが大切です。

自分から与え、信じ、愛する人になったときが、
自己中心性から脱却したときであり、
愛されるためのライフスタイルを自立したライフスタイルへと再選択したときであり、
“かまってちゃん”から卒業をしたときなのです。

他者から信じてもらうこと、愛されることをいくら願っても、決してその願いは叶えられないでしょう。
自分から与えてこそ与えられ、自分から信じてこそ信じられ、自分から愛してこそ愛される存在になれるのです。

このように、自分から与える人のことを、仏教では「旦那(だんな)」といわれます。もらうことしか考えない餓鬼とは正反対の言葉ですね。

本来仏教の用語で、「布施」を意味する梵語「ダーナ」の訳語である。旦那とも書く。

檀那 – Wikipedia 檀那 - Wikipedia

旦那の由来となったサンスクリット語の「ダーナ」には「布施、施す人、与える人」という意味があります。

一家で施す人、家族を養ってくれる人といえば主人なので、主人のことを旦那と呼ぶようになったのですね。
しかし主人だけが旦那なのではなく、奥さんであっても自ら与える人は旦那なのです。

そんな自ら与える人、旦那になるには、他者から裏切られたり傷付けられたりすることを恐れない“勇気”が必要なのです。

勇気を出して他者信頼をしてこそ良い対人関係が築け、幸せに生きることができるのですね

はじめるのはあなたです。理解者がいなくとも、賛同者がいなくとも、まずはあなたが松明に火を灯し、勇気を、尊敬を、示さなければなりません。

その松明で明るくなるのは、せいぜい半径数メートルでしょう。誰もいない、ひとりきりの夜道に思えるでしょう。

しかし、あなたの掲げた火は、何百メートルも離れた誰かの目にも届きます。あそこに人がいる、あそこに明かりがある、あそこに行けば道がある、と。

やがてあなたのまわりには、何十何百という明かりが集います。その明かりに照らされるのは、何十何百という仲間たちなのです。

岸見一郎・古賀史健(2016).「第一部 悪いあの人、かわいそうな私」『幸せになる勇気』 ダイヤモンド社

まず自分から他者を信じる勇気を持ち、良い対人関係を築いていきたいですね。