ワンピースから学ぶ 周りに心から信頼される選択基準

出版界における記録を次々と塗り替え、ギネス世界記録にも認定された国民的人気漫画『ONE PIECE』。

その中でも過去6回にわたるキャラクター人気投票においてすべての回で1位を獲得し、圧倒的支持を受けている主人公ルフィ。

前回はそんなルフィの言動から「与える」=「布施」について記事を書きました。 ルフィから学ぶ周りから好かれる秘訣 ONE PIECEと仏教① ONE PIECEと仏教①:ルフィから学ぶ周りから好かれる秘訣

今回は私が個人的に衝撃を受けた場面を紹介しつつ、そこから学び取れることについて考えていきたいと思います。

究極の選択 その時あなたはどちらを取りますか?

「ONE PIECE」の中で、ルフィたち麦わらの一味はずっと一緒に航海をしてきましたが、物語の途中、とある事件に巻き込まれ、彼らはバラバラになり、各々が別の場所に飛ばされてしまいます。

その中、ルフィが飛ばされたのは男子禁制、女性しか入れないという島「アマゾン・リリー」。

しかし、そんなことは露とも知らず、ルフィは島に上陸し、一刻も早く仲間たちと合流しようと船を探す最中、空腹のあまりその辺に生えていた変なキノコを食べ、命の危険に晒されてしまいます。

倒れているルフィを見つけたのは島に住む少女、マーガレット。生まれてこの方女性の中で生きてきた彼女は男性を見たことがなく、ルフィが島に入れてはならない「男性」であることを知らないまま友人たちと一緒にルフィを助けます。

後になり、ルフィが男という存在であることを知った彼女たちは島の女帝であるハンコックが帰ってくる前にルフィを追い出さなければと奮闘するのですが、努力も空しく、男性が島に入ったことがハンコックの知るところとなり、ルフィは処刑されることになってしまいます。このままではルフィは殺されてしまう。ルフィを島へ入れた負い目を感じたマーガレットは、ハンコックに事実を正直に告げルフィを庇うのですが、それによりハンコックの能力で一緒にルフィを庇った友達諸共石にされてしまいます。自分の恩人であるマーガレットを石にされ、なおかつそれを面白がるような人々の反応にルフィは怒り心頭。戦いを挑みます。

その後、いろいろあって戦いは収まり、ルフィはハンコックに石にされたマーガレットを元に戻してくれるように頼みます。しかし、ルフィに対し心を許しきれないハンコックは意地の悪いことを言うのです。

「そなたは船が欲しいとも言っていたはずだが、聞ける望みは一つ。石化を解くか、船をもらってこの島から出るか、一つを選び、一つを切り捨てよ」

ハンコックは当然ルフィが困り、悩んだ結果、最終的には船をもらうことを選ぶはずだと、選択を迫りました。しかし、ルフィはすかさず言うのです。

「そうか、ありがとう!じゃあ、こいつら助けてくれるんだな!」

満面の笑顔で地面に額をつけ、ハンコックにお礼を言って頭を下げるルフィ。この反応に、ハンコックはもはや何も言うことができないのでした。

命の恩人を取るか、大事な仲間たちとの再会を取るか。さて、あなただったらどういう選択をするでしょうか?

自分を優先するか、相手を優先するか

私は初めてこの場面を読んだとき、大変な衝撃を受けました。そして果たして自分にこの選択ができるだろうかと考えてしまいました。

自分の命を助けてくれた恩人が困っているとき、助けてもらったお返しに自分もその人を助けるのは当然と言えば当然です。しかし、そこに自分の都合の悪い状況が加わったらどうでしょうか。

たとえば、海外旅行に行った先で自分を助けてくれた恩人がお金がなくて困っているとき。助けてあげたいけれど、もしお金を貸したら自分の帰りの飛行機代がなくなってしまうとか。そういう状況にあったとき、自分のことなんて考えず、お金を貸すことができるでしょうか?

たとえ貸すことができたとしても、それはきっと悩んで悩んで悩みきった上での結果だと思います。それは余裕のないときほどそうなるはずです。

では、私たちはなぜ選択に迷うのでしょうか。

仏教では「自分さえよければいい、他人はどうなってもいい」という心を「我利我利」と言います。つまり自分を優先する心です。

逆に「他人の幸せを願うままに行動することが自分の幸せにつながる」ということを「自利利他」と教えられます。つまり、相手を優先する心です。

仏教では当然「自利利他」がすすめられているのですが、誰の心の根底にも「我利我利」の心があると言われます。

私たちは、どんな時もまず自分のことを考えてしまう。自分の安全が確保された上で初めて相手を助けることに気を回せる。もちろん、私たちはどうすることが一番理想的かわかっているし、そうしたいという心もあるのですが、そういう自分を優先させたい我利我利の心があるから選択に迷ってしまうのです。

上記のルフィの状況であれば、理想的な選択は恩人を助けることでしょう。しかし、そうは分かっていても船がなかったら仲間たちにも会えないし、それ以前に島から出ることができない。恩人と言ったって、今日会ったばかりの赤の他人。島を出ればもう会うこともないかもしれない。だったら船をもらって島を出てもいいのでは?でも、やっぱり恩人を見捨てるのは寝覚めが悪いから助けようかな・・・。そんな心の葛藤があった末に助ける選択をするならわかります。けれど、もし私が第3者としてその場にいて、そういう葛藤をした上で選んだということが外に見えたら、なんだかとても残念な気持ちになります。

ルフィは一切迷いなく恩人を助けるという選択をしました。そこには相手のことを考える気持ちしかなかったと思います。私たちが理想とする姿を地で行く、だからこそルフィはかっこいいのです。

私たちが選択を迫られたときの、大事な心がけ

とはいえ、ルフィのように迷いなく選択できる人は稀だと思います。私たちには自分のことを抜きにしては考えられない我利我利の心があるからです。

では、そんな私たちはどういう心掛けをすればいいのでしょうか。ここでもう一つ、あるエピソードを紹介します。

「ONE PIECE」において、「アラバスタ編」といえば映画化もされたぐらい有名なエピソードですが、その時に中心人物だったのがアラバスタ王国の王女、ビビです。

ビビの故郷、アラバスタ王国はある陰謀により国中で暴動が起き、国家存続の危機を迎えていました。陰謀の黒幕を知ったビビはそれを阻止するため、縁あって麦わらの一味の船に乗せてもらい、祖国への帰還を急ぎます。

そんなアラバスタへ向かう航海の最中、麦わらの一味の航海士であるナミが突然高熱を出して倒れてしまいます。その時は仲間の中に医者がいなかったので、原因も治療法もわかりません。ナミの熱はどんどん上がっていく一方、とりあえずどこか医者のいる島を探そうという流れの中、ナミはビビに新聞のとある記事を見せるのです。それは祖国アラバスタの暴動が本格化したという内容でした。

このままでは多くの人が無意味な殺し合いをすることになる。一刻も早く帰らなければ、アラバスタ王国は大変なことになってしまう。ナミは、自分は大丈夫だからこのままアラバスタへ向かおうと言います。しかし、本当はそれが強がりであることも皆は分かっています。ビビは祖国と、ナミとの間で大変悩みます。悩んだ結果、彼女は仲間たちを集め、言うのです。

「この船を最高速度でアラバスタ王国へ進めてほしい」と。

当然だと答えるナミに、ビビはそれならすぐに医者のいる島を探そうと言いました。

「一刻も早くナミさんの病気を治して、そしてアラバスタへ。それがこの船の最高速度でしょう?」

このビビの選択に、仲間たちは改めて彼女に一目置き、信頼を深めたのでした。

やはり状況が状況なだけに迷いなく選択するということはできなくても、ビビは最終的に相手を優先する選択をしました。この場合、例えばビビがナミの病気を治す事よりアラバスタへ帰ることを選んだとしても、皆は彼女を責めたりはしなかったと思います。しかし、仲間たちが彼女を信頼することもなかったでしょう。

自分を優先する選択をしたとき、その場は自分に損失がなくてよかったように思うかもしれませんが、ふと気づけば、あなたは一人ぼっちになっています。困ったときにあなたに手を差し伸べてくれる人は一人もいないでしょう。我利我利の選択はあなたに不幸をもたらす選択です。

迷いがあるのは当然です。しかし、相手のことを想って、相手を優先させる選択をしたならば必ずそれは自分にも幸せとなって返ってくるのです。ルフィやビビがそうであったように。それこそ、仏教がすすめる自利利他の精神です。

まとめ

我利我利の選択より、自利利他の選択を。

自分のことを優先したい気持ちを抑えて、まずは他人の幸せのために動いてみましょう。自分がルフィやビビの行動をかっこいいと思うように、周りもきっとあなたの自利利他の選択を称賛することと思います。

私自身も自利利他に心掛けていきます!