【昭和元禄落語心中】まるで“BL”?助六と菊比古の絆に亀裂をもたらした「妬み」の実態

アニメ2期が好評放送中『昭和元禄落語心中』は雲田はるこ先生による、本格落語漫画です。

2期に渡りアニメ化している『落語心中』の魅力の1つが、人気ボーイズラブ作家でもある雲田はるこ先生により描かれる、麗しい男性噺家(はなしか)たちのちょっとBLっぽい関係性。

BL好きの女性にとっては、思わず「萌え~」と思ってしまいそうなシーンもたくさんあります。

しかしこの作品の魅力は、麗しい男性噺家の耽美(たんび)性だけではありません。

読者、視聴者を惹きつける本当の魅力は、クライマックスに向かって劇的に動いていく噺家たちの思惑と人間の悲しい性とが錯綜(さくそう)する描写にあります

前回は『八雲と助六編』をご紹介、私たち人間が苦しむ「煩悩」の一つである「欲」の心について解説しました。

助六たちが苦しんだ煩悩の実態について、今回はさらに深く解説します。

”まるでBL”のような絆、菊比古と助六の心に隠れる本音

主人公 与太郎の人生を変えた昭和最後の大名人・八雲師匠

年齢を感じさせない妖艶な落語家・八雲の秘められた過去が語られるのが『八雲と助六編』です。

怪我で足が不自由になった幼少期の八雲は、生まれが芸者の家だったこともあり、先代の八雲である七代目八雲の家に養子に出されます。

同じ日、縁故もないのに強引に入門してきた孤児の少年が、後に一世を風靡する噺家となる信さんでした。

八雲は信さんとまるで兄弟のように同じ部屋に寝泊まりして生活し、信頼関係を築いていきます。

八雲が「菊比古」という前座名を師匠からもらい高座に上がるようになった頃は、戦争で兄弟子たちがどんどん八雲門下を去っていく厳しい時代でした。

しかし信さんだけは落語にまだ未来があることを確信

戦争の時代が終わると彼の言った通り、寄席は大盛況になります。

この人の見つめる先はいつも明るい

そして正しい

私も同じ方を見ていれば

自ずと自分の行く道も見える。

そう確信したのでございます。

いつも側にいて、まるで恋人のように将来を語り合う信さんと菊比古。

しかし実は、菊比古は自分より噺家として成功していく助六に対する焦りに耐えていました

それぞれの思いが交差し、二人の関係に亀裂が入っていきます

妖艶な美女”みよ吉”の登場で狂っていく助六と菊比古の人生

真面目過ぎる性格から、落語に隙や色気がない菊比古を案じた師匠は愛人・みよ吉を紹介します。

芸者のみよ吉と接触することで遊びを知り、落語にも色気が刺せばと思ってのことだったのでしょう。

しかし菊比古の大人びた態度や中性的な美しさに、みよ吉は菊比古に心を奪われてしまい、二人は恋仲に発展していきます。

菊比古に本気で恋をしたみよ吉ですが、菊比古はつれない行動が目立ちます。

そんな折、祭りの日に バッタリ出会った助六とみよ吉。

みよ吉は自分に何も告げずに菊比古が師匠と旅に出ていたことを知らされ、助六はみよ吉の見せた深刻な表情に固まってしまいます。

「優しいから気休めばっかり、ばかね

別れたがってんのなんて空気で判るわ

何度めだと思ってんのよ」

捨てられると辛そうに吐露する美しいみよ吉を、思わず助六が抱きしめてしまったその時、菊比古が現れます。

しかし菊比古は怒りもせず、変なところに来て悪かった、と謝ります。

呆然とし走り去ってしまったみよ吉を追いかけもしない菊比古に、助六は叫びました。

助六「おいテメエ、たまにゃア男見せろ!」

菊比古「見せてるよ

一世一代の大嘘だ

あの人の事は好きなんだ

けどアタシぁ、あの人とは別れようと思ってる

そんな野郎が追いかけたら酷だ

師匠(オヤジ)に旅先で言われたんだよ

そろそろああいう女とは手を切って、ちゃんとしたお嬢さんと世帯を持てって

芸のために遊ぶにはいいけど世帯となるとまた別なんだってよ

アタシだってそんなのァ正しくないって判ってる

けど

逆らって破門されて

落語ができなくなって…?

そうまでしてあの人と、までは思えなかった……

愛する人と一緒になりたい愛欲と、落語を続け真打になりたい噺家として誉を求める欲

二つを天秤にかけた菊比古は落語を優先したのでした。

このあと、助六と菊比古に決定な別れが訪れます。

「お前さんがいる事でアタシがどれだけ苦しんだか」打ち明けられた菊比古の本音

ショックを受けたみよ吉が走り去った後、菊比古と助六は二人で飲み直していました。

そこで助六は、菊比古から長年胸に秘められていた本心を聞かされることになります。

菊比古「とにかく独りになりたい。アタシァその方が向いてるよ……」

助六「じゃあ俺も邪魔か

菊比古「そうだよ、お前さんといると何でも楽しいし、新しい事も目に入るし何でも分かち合いたくなる

ずっと傍でお前さんの落語を聞いてられりゃね、そんな楽なこたないだろうよ

でもそれじゃ手前の落語と向き合えない

助六「できねぇのを人のせいにするんじゃねぇ、他人がいなけりゃ落語はできねぇぜ

菊比古「アタシはお前さんとは違うんだ

いつも先ィ歩いてたから見えなかったろ

お前さんがいる事で

アタシがどれだけ苦しんだか

ほんとうに……ア、アタシは……」

助六「そんな風に思ってたのか

もう一緒にいる必要もねぇな、ここらでお開きだ」

先に落語の腕を上げ、いつも上の実力でいた助六には分からなかった菊比古の本心。

それは一番近く見てきた噺家であり兄のような存在の助六に対して吹き出した、妬みの心でした。

“BLみたいな”仲の二人だからこそ消えない「お互いの無いところを妬む心」

自分の芸に心を集中しなければならないのに、傍に抜きん出た落語の才を持つ助六がいることで心が乱れ、自分の落語に集中できないという苦悩を感じていた菊比古。

助六の才能に憧れていた菊比古でしたが、同時に彼を苦しめていたのは、ドロドロとした妬みの心でした。

前回仏教で説かれる「煩悩」について解説しましたが、妬みの心も人間が持つ代表的な煩悩の一つです。

よく私たちは不平不満を漏らすことを「愚痴る」といいますが、本当の「愚痴」の意味は妬みやそねみの心のことをといいます。

欲が満たされないとき、自分より幸せそうな人、成功している人に対して湧き上がってくるのが「愚痴」の心です。

実は師匠との旅中、車内で菊比古は

真打に、早く上がりてぇんです

と師匠に問うており、真打に上がりたい欲があることが伺えます。

無欲そうに見える菊比古ですが、心の奥底には噺家としての成功者である真打になりたいという欲の心があったのでした。

そして誰よりも自分の傍にいた助六の活躍により、菊比古の欲はずっと満たされることがなかったのです。

そして菊比古に妬まれていた、助六にも長年鬱積した心がありました。

助六と菊比古に決定的な別れがやってきた日、助六は本音をぶちまけています。

「(八雲には)お前さんがなりゃアいいよ
師匠からも聞いてんだろ、大事な大事な坊っちゃんだもんな

俺はずっとお前が羨ましかった

可愛がられて甘やかされて何でも師匠にやってもらってヨ

俺ァ所詮野良犬だ

同なし弟子じゃねぇんだよッ!

助六がずっと胸に秘めてきた、菊比古への恨めしい心。菊比古は呆然とします。

この背中を

ずっとずっと憧れて見てきたのです

けれどもこの頃は この背中を

蹴りたいような 縋りたいような

肩を叩いてやりたいような

何とも云えぬ 阿修羅のような

心持ちで眺めておりました

悲しいかな、私たちは親しい人だからこそ、より強く、醜い妬みの心を感じてしまうことが往々にしてあります

いつも女子会で盛り上がっていた、独身仲間の友達が結婚したとき。同期で入社した職場の仲間が自分より遥かに速いスピードで出世していったとき。

大切な友や仲間の幸せを心から喜べなかった経験のある方は多いのではないでしょうか。

身近で意識し合うことの多い相手だからこそ、妬み、そねみの心が吹き上がってくるのでしょう。

消そうとしても吹き上がる、身近な友に対する「愚痴」の心。

菊比古に対し「できねぇのを人のせいにするんじゃねぇ」と助六は言っていましたが、この言葉は助六自身にも当てはまる言葉でした。

自分より活躍する友、師匠にチヤホヤされる仲間に対して妬んでも、何も変わりません

自分が変われるところはないか、自身を見つめることが大事なのです

しかし菊比古も助六も、妬みの心で絆はバラバラになり、別れ別れに生きていくことになります。

大切な友への妬みの心で苦しむ菊比古と助六。

そして「最愛の人に愛されたい」という欲の心が満たされず苦しむ みよ吉。

煩悩の中でも特に私たち人間を苦しめる心である欲や妬みに振り回される三者。

彼らのその心は更なる波紋を起こしていきます。

次回に続きます。