孤高の天才は孤独に耐えることができたのか?昭和元禄落語心中の八雲にみる人の孤独※ネタバレ注意

昭和元禄落語心中』は刑務所上がりの主人公・与太郎が、噺家・八雲に押しかけ弟子入りし、落語の未来を切り開こうとする物語。

アニメでの豪華キャストによる落語の演技も話題を呼び、今年1月には第2期が放送されました。

このシリーズでは、半年に渡り『昭和元禄落語心中』から分かる人生哲学を解説してきました。最終回の今回は主人公の人生を大きく変える名人噺家・八雲の一生から、孤独についてお伝えします。

※ストーリーの核心部分に関する記載があります。ネタバレご注意ください。

昭和元禄落語心中あらすじ-「孤独」に苦しみ続けた天才の一生

満期で出所の模範囚・与太郎はムショで見た有楽亭八雲の落語『死神』が忘れられず、刑務所を出るなり八雲に弟子入りを志願。

これまで一人も弟子を取ったことのなかった八雲ですが、なぜか与太郎を初弟子にします。

八雲が寄席に出る日に舞台裏に来られるようになった与太郎は、八雲のファンであり演芸評論家のアマケンと知り合います。

アマケンは八雲が弟子を取ったと聞いて驚きます。

「オイラは弟子です、与太郎と発しやす」

「……弟子ッ、でぇしぃ…!?

八代目は弟子を取らないので有名なのですッ、というのも孤独でいてこそ芸が磨かれるという崇高なポリシィに基いており

だからこそのあの洗練された芸なのです、八代目の落語こそが真の落語ッ」

八雲の養女・小夏も八雲のことをこう言います。

「アイツは自分の芸を残そうなんざ全然考えちゃいない

言ってたんだよ

落語と心中するんだって

昭和最後の大名人なんて言われてるくせに

ずーーっと独りでいるんだ

ファンだけでなく共に暮らす家族にまで、自らの意志であえて孤独な人生を貫いていると思われている八雲。

その本心は八雲の過去が語られる『八雲と助六編』に表現されています。

幼い八雲は夏のある日、噺家・七代目八雲の家を訪れました。

「坊ちゃん。今日からここがあなたのおうち

あなたも不安でいっぱいでしょうけどね、こんなご時世にとてもありがたい事なんですのよ

お一人になってもしゃんとしていつも通り正しく…」

同じ日に入門してきたのが、身寄りがなく寄せ場で育った少年・信さん。

共に銭湯へ行った八雲は信さんからこんなことを言われます。

「お前な、ボンヤリしてるとすぐ死ぬぜ

子供なんてなァ一人んなったら頭使わねぇと

お前さんも捨てられたんだろ

何があったかわからねェけど辛ぇよなあ

この年で一人で放り出されるなんてな……なあ 坊」

その瞬間、常に無表情だった八雲の頬に涙が流れました。

栓無いことと頭ではわかっていても、他人に事実を告げられると辛いもので

アタシは確かに親に捨てられたのでした

その現実がこのとき一気に襲って参りました。

女系家族に生まれて居場所がなかったこと。

芸者の家で男の自分が踊りをやっても誰にも褒められないこと。

足を悪くしてまたさらに疎まれたこと。

助六はやがて持ち根多(ねた)の多い二ツ目として重宝される、注目の的となります。

「俺は決めたんだ、人の為に落語をやるって

お前さんは?どうなんだい」

自分の落語が見つからず悩んでいた菊比古(八雲)。その苦しみを察知し、助六は菊比古が自分の芸の強みに気づくよう導きます。

落語の方向性を見出した菊比古は、先の助六の問いに自分の中で答えを出しました。

なんの為?

アタシの落語は誰の為?

なんの為の落語

テメエの居場所をこさえる為

ここにいても大丈夫だと思う為

自分が自分でいる為だ

ここにいても大丈夫と思う為

それは幼い頃から家族に捨てられ孤独と共に生きてきた菊比古の心が表れているようにも聞こえます

孤独に苦しみ続ける人生を送っていた八雲にとって、落語は孤独を忘れさせてくれる存在でした。

孤独な心を見抜き傍にいてくれたはずの助六との決別

菊比古の孤独を見抜き、ずっと共に生きてきたかけがえのない存在、助六。

しかしその助六に菊比古は、落語の才能で追いつけないことへの妬みの心を抱いていました。

菊比古「とにかく独りになりたい。アタシァその方が向いてるよ……」

助六「じゃあ俺も邪魔か」

菊比古「そうだよ、お前さんといると何でも楽しいし、新しい事も目に入るし何でも分かち合いたくなる

ずっと傍でお前さんの落語を聞いてられりゃね、そんな楽なこたないだろうよ

でもそれじゃ手前の落語と向き合えない

この本音がきっかけで、二人は別々に生きていくことに。

そして助六はその後師匠に破門され失踪します。

失踪する直前、助六も菊比古に本音をさらけ出します。

俺はずっとお前が羨ましかった

可愛がられて甘やかされて何でも師匠にやってもらってヨ

俺ァ所詮野良犬だ

同なし弟子じゃねぇんだよッ!

天涯孤独同士、独りで生きていくことの辛さを共有しあったはずの二人も、心の奥底から寄り添うことはできませんでした

物理的にはずっと共に生きてきた助六と菊比古でしたが、心はそれぞれ独りぼっちだったのです

その後助六を破門した師匠も亡くなります。

さあ

正真正銘、独りになった

助六とみよ吉もその後事故で死に、独り残された落語界で八雲を襲名した菊比古は決意します。

結局アタシはたった独り

こうして生きてゆくほかは無いのだ

この時分、

腹の底から

実感したのです

アタシの名は

有楽亭八雲

本当の名など

とうに忘れましたーーー

孤独に耐えることで大名人となったように見えた八雲の本心

この半生を経て八雲は「落語と心中する」と口癖のように言い続けるように。

昭和最後の大名人と言われながらも、弟子を取らず孤独に生きていました。しかし与太郎を弟子として受け入れてから八雲は少しずつ変わり、与太郎や養女の小夏が生んだ信之助と共に暮らすようになりました。

晩年はかつて弟子入りをきっぱり断った少年・樋口栄助と交流するようにもなります。

孤独を貫こうとした八雲でしたが、最期は家族や仲間に囲まれてこの世を去ったのでした。

さらに結婚せず独りでいたように見えた八雲ですが、実は小夏の子供・信之助本当の父親だったかもしれないという衝撃の事実も最終回に語られています。

死後、三途の川の手前で助六と再会した八雲は、自分の心中をこのように吐露しています。

八雲「結局アタシぁ一人にはなりきれなかった

あんなに立派な家族まで持っちまって

挙句の果てにゃ

落語にァ見放されて心中なんざできなかったのさ

孤高の天才と言われ、自ら孤独を貫いてきたかのように見えた八雲。

しかしその本心は「一人にはなりきれなかった」のでした。

人は皆孤独、だからこそ傍にいてくれる存在を求めて生きる

落語にもよく出て来る仏語の中に、こんな言葉があります。

独生独死独去独来 (大無量寿経)

人間は独りぼっちで生まれ、独りぼっちで死に、独りぼっちでこの世にやってきて、独りぼっちでこの世を去る、という意味です。

八雲は幼くして養子にされ、落語を通じて出会ったかけがえのない友も死に、孤独に苦しんだ半生を送っていました。

しかし独りぼっちでこの世に生まれ、孤独にこの世を去るのはすべての人に共通する姿です。

その理由は孤独な心を理解し合っていたはずの助六と八雲が互いを妬む心に苦しみ、お互いが無いところを羨む苦しみを理解できなかったように大親友でも家族でも、お互いの心を100%理解することはできないから

私たちは、人脈を広げたり友達を増やしたり、家族を持てば孤独から解放されるように錯覚しがちです。しかし人間の実態は、孤独を癒そうと人と寄り添えば寄り添うほど、心の「独生」が露わになっていくものなのです

八雲は親に捨てられた者同士、助六となら心の底から分かり合いたいと思っていたのではないのでしょうか。

それは叶わず助六は独りこの世を去っていき、八雲は「孤独」に耐えることが生き残った者の試練と思うようになります。

しかし晩年、八雲は助六の娘夫婦と共に暮らしてささやかな幸せを掴みます。

人と人は奥底に決して分かり合えない心を持っている

その残酷な真実に一生かけて向き合い続けた八雲は、分かり合えない心を持つ人間だからこそ、縁あって会うことのできた人を大切にできるようになったのかもしれません

助六が死ぬ直前、八雲が助六に漏らした本音にはその心の一端が現れているようにも思えます。

人ってのは全部わかり合える訳がない

それでも人は共に暮らす

取るに足らねえ

詮ない事をただ分けあうことが好きな生きものなんだ

だから人は一人にならないんじゃないか」

どうして分かり合えないの?と嘆くのではなく、分かり合えないと知ってこそ、相手の存在を大切に思い、尊重できる。

そうすれば相手の歩み寄りにも感謝できるようになります。

私も対人関係でつまずいたときはこの八雲の言葉を思い出したいものですね。

 

 

「『昭和元禄落語心中』からの仏教」シリーズを読んでくださって、ありがとうございました!
20代からの仏教アカデミー 獄上