“訪問販売に弱そう”と話題の上杉景勝。「真田丸」で人気急上昇の訳は『第一義』にあり

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NHK大河ドラマ「真田丸」の記事第3弾。今回の主役は上杉景勝です。“訪問販売に弱そう”ネットで話題の、カリスマ性はない武将にもかかわらず、人気武将の一人で、「真田丸」でも人気が急上昇しました。彼の人気を支える『第一義』、そして『正見』とは?

こんにちは、YURAです。

多くの武将が登場するNHK大河ドラマ「真田丸」。

その中でも、上杉景勝(かげかつ)は、決してカリスマ武将とは言えず、ネット上では“訪問販売に弱い”と話題にもなっています。

【真田丸】上杉景勝は訪問販売に弱そうで直江兼続はセコム? | 真田丸、どうだった?

ところが、人気武将の一人であり、「真田丸」でも人気が急上昇しました。その理由はいかに、そしてそこから私たちが学ぶべきものとは何でしょうか。

※今回の記事に関する動画です

理想と現実に苦悶するも、信繁と接して変わっていく景勝

上杉景勝に焦点を当てた回といえば、「真田丸」第12話です。真田昌幸が過去に、上杉を派手に裏切ってしまったため、上杉家と真田家に確執ができていました。

しかし、図太い昌幸は、もう一度和睦を申し込むべく、上杉に文を出します。上杉家の有能な参謀である直江兼続(かねつぐ)は強く止めにかかりますが、心優しい景勝は、真田信繁(のぶしげ、昌幸の次男)を人質に出すことを条件に、要求を受け入れます。

人質として上杉家に入った信繁ですが、身分の分け隔てなく民の訴えを聞き、必ず解決することを誓う景勝の人柄に惹かれます。景勝は、民の暮らしを守り、民の心を育てる、それがそのまま国の力となると考えていたため、大名自ら民の声を聞くことにしていたのです。

しかし、ある日信繁は、景勝が民との約束を守っていないことに気づきます。実は、その時の上杉家は余力がありませんでした。景勝は、“今のわしには話を聞いてやることしかできない。これが本当のわしじゃ。世の中、思い通りにはいかん”自分は、ただ格好つけているだけなのだと、信繁に告白します。

またある日、景勝と馬で浜に出た信繁は、景勝に訴えたもののいつまで経っても沙汰がなくて困った民衆が、「鉄火起請(てっかきしょう)」という儀式で、自分たちの揉めごとを解決しようとする場面に出くわします。

当時、上杉領は海に面しており、たくさんの漁師がいました。しかし海には境界線がなく、不公平が生じてしまい、争いが起こったのでした。

神の判定を仰ぐ「鉄火起請」は、とても危険な儀式です。そんな危険を冒しても何の解決にもならないと思った信繁は策を講じ、景勝とともに、潮の変わり目で交代するようアドバイスします。この一件後、景勝は民との約束を守ろうと奔走します。

上杉景勝が重んじる「第一義」とは?

仏教は心が大事だと教えられます。心で思ったことが元となって、体や口で行いをするからです。私利私欲のために争う戦国時代。景勝のように、民を大切に思うことは非常に立派なことであり、この心があるからこそ、わざわざ大名自ら民衆の話を聞いたのでしょう。

またもう一つ、景勝の素晴らしいところは「自分を正しく見ている」ところです。景勝を語るのに「」という言葉は欠かせません。景勝が「義」の心を大事にするようになったのは、幼い頃に仏門に入った経験があり熱心な仏教信者であった上杉謙信の志を受け継いだからだといわれています。

ですから、景勝のいう「義」とは、謙信の掲げた「第一義」のことです。「第一義」とは、仏教の「究極の真理」のことを指します。仏教の真理は、自分をありのままに正しく見よ、ということです。

第一義(ダイイチギ)とは – コトバンク

景勝は、「民の悩みを解決してあげたい。けれど、今の自分には余力がない」と、自己を明らかにみており、それを聞いた信繁に“正直、私は御屋形様を尊敬しておりました。今はそれ以上に慕わしく存じます”とまで言わせています。一国の大名が「できない自分」を認める、ましてや、齢わずか15歳の信繁に告白するのは、容易いことではありません。

上杉景勝の人気は、この「自分を正しく見る」ところにあるのかもしれません。これを仏教では「正見(しょうけん)」ともいいます。

正見とは、

正しく真実を見ること。

正見(しょうけん)とは – コトバンク

とあるように、自分を正しく、ありのままに見ることです。

「できない自分」を受け入れ、前に進んでいく

ただ、せっかく心で民を助けたいと思っていても、できない約束をしてしまうのはよくないことですね。

また、自分を正しく見ていたとしても、「私には無理」「私なんて…」と思ったり、「私が悪かった」と言って何もしようとしないのは、前に進めません

当然、人間にはできることとできないことがあります。その人その人の事情や能力も違います。「できない自分」をありのままに受け入れ、なるべく自分にできることを探して、前に進んでいかなければ、せっかく自分を正しく見ていても、勿体無いことです。

景勝は「自分には余力がないから、民衆の悩みを解決してあげることはできない」と思っていましたが、お金を一銭も使わずに民衆の揉めごとを収めた信繁を見て、自分にできることを探せば変えられることもあることを知り、その後は、民衆を助けることに意欲的になりました。

もし、景勝がこのことに気が付かなければ、民衆は景勝に不信感を抱き、上杉家は急スピードで衰退していったかもしれません。とはいえ、「自分を正しく見て、ありのままに受け入れる」というのは、とても難しいことです。私たちも仏教を学んで、前に進んでいきたいですね。

参考URL:特集 インタビュー 上杉景勝役 遠藤憲一さん ~理想に生きる者の葛藤を表現したい~|NHK大河ドラマ『真田丸』 特集 インタビュー 上杉景勝役 遠藤憲一さん ~理想に生きる者の葛藤を表現したい~|NHK大河ドラマ『真田丸』

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