優先順位と、仏教が教える備えの大切さ:7つの習慣と仏教

こんにちは、ライターのねりうめです。
今回は7つの習慣の第三の習慣を紐解きたいと思います。

なお、7つの習慣シリーズの記事は以下になります。

  1. 7つの習慣と仏教:身につけておくべき主体的と因果の法則の考え方
  2. 7つの習慣と仏教:人生の終わりを思い描くことと、仏教が教える無常観

第三の習慣: 最優先事項を優先する

さて、7つの習慣の第三の習慣は「最優先事項を優先する」です。

第二の習慣では、自分にとって重要な基準を明確にする事の必要性を述べました。第三の習慣では、その基準に従って行動の優先度を決定します。第二の習慣を方位磁針、つまり進むべき方向(基準)を作り出すものとすると、第三の習慣は、いわば時計。限られた時間の中で何を優先的にやりくりするか決定してくれる習慣なのです。巷のビジネス本ではタスクスケジューリングと言われる部類です。言い換えれば自己管理。そう言われるとなかなか難しい感じがしますが、7つの習慣で教えられていることは意外にシンプルな原則です。

では、どうやって仕事の優先度を決めたらいいのか。第三の習慣では、私たちの普段の行動を下の図のように4つの領域に分けています。第一領域、第二の領域、第三の領域、第四の領域の4つですね。

priority

緊急な用事はいつでもやってきて、後を立ちません。緊急なものには、仕事の用事もありますが、楽しい遊びの用事だったりもします。その一方、重要なことは、第二の習慣で考えた自分のなりたい姿を達成するために大事な行動を意味します。なりたい自分になるためには、ここでいう重要なことをやっていくことが必須になりますね。

第一領域は重要かつ緊急。例えば、締め切りの迫った会社の業務。病気や事故で、医者に行って直さないと行けない時。はたまた家庭の問題など。これらの行動はほっておくと、自分の生活が成り立たなくなってしまう自体にもなってしまいますね。仕事をしなければ収入はえられないですし、病気をほっておくのも危険です。だからこそ優先して行う必要があります。

第二領域は重要だけど緊急でないこと。勉強や読書、運動、掃除などですね。すぐには成果にならないけど、着実に取り組めば自分の力になります。全くやらなかったら、いつまでもスキルは伸びないまま。ホントは最優先でやりたいですが、なかなか時間がなくてできないことでもありますね。

第三領域は緊急だけど重要でないこと。会社で生産性のない定例会議や、行きたくない飲み会などが該当します。自分はやりたくないんだけど、頼まれたからやらざるを得ない仕事もこれに当てはまります。

最後に、第四領域は重要でも緊急でもない、つまりどうでもいいことです。人によってどうでもいいことってさまざまだと思いますが、ついやっちゃうことってありますよね。テレビを見たらいつの間にかこんな時間になってしまったとか。自分の大学時代の生活はだいたいここに含まれる気がします。ニ○○○動画とか、まとめサイトとか…久々に休日朝早く起きて、大変得した気分になったことがあります。何をしようかと考えたのですが、結局youtubeで動画をはしごしてしまい、気づいたら5時間たってた時があります。

この4つの領域をもとに、行動に優先順位をつけていきましょう。

第二領域を極めよ

まず、優先してやらなければいけないものに第一領域がありますね。ですが、第一領域のことばかりが押し寄せて、それに追われてばかりいると、何かに逃げたくなるのが人の性(さが)。第四領域に逃げてしまう人も多くいます。

第三領域を第一領域と勘違いしてしまう人もいらっしゃいます。人から頼まれた仕事は、必ずしもやるべきこととは限りません。そもそも自分でなくてもできるような仕事もまま有ります。そうゆうのを引き受けすぎると、やっぱり自分の時間がどんどんなくなってしまいます。

結局、私達が優先してやるべきことは、第二領域に集約されます。私たちは、普段ほかの3つの領域のことばかりに追われてしまい、なかなか第二領域を優先してやろうとしません。しかし、第二領域こそ目標達成の鍵なのです。一流のスポーツ選手が日々の鍛錬を怠らないように、第二領域の活動をしっかり時間をとってやっていくことで目標に近づけるのです。これがちゃんとできれば人生良くなるよな、そうゆうものは第二領域の行動になります。

業務に関連した勉強をしたり、効率的なPCの操作方法を学んだりすれば、仕事のスピードもアップし、業務に関わる時間(第一領域)を少なくできます。また、運動の習慣をつけたり、ヨガなどで心を清めたり、ダイエットのための食事の知識をつけたりすることで、健康になれば、病気にかかってなにもできない時間を減らすことができます。つまり、第二領域は重要なだけでなく、第二領域に時間を使っていけば、仕事や病気の解決など、第一領域の時間も減らすことができるのですね。

第二領域は、なりたい姿を実現するために必須の行動。着実に第二領域の行動を行い、人生を良くしていきたいですね。

優先順位をつけるには断る勇気が必要

しかし、第二領域は緊急でないので、ついつい後回しにしてしまいがち。でも、どうにか時間を作ってやるべきこと。ではどこを削ればいいのでしょう。

まず当たり前ですが、第四領域は不要です。すこしでも減らしましょう!一方、緊急である第一領域はなかなか減らすのが難しい。先ほどの第二領域の活動である程度は減らすこともできますが、限界もあります。というわけで、あと減らすとすれば、それは第三領域になります。第三領域は、会議や飲み会、頼まれ仕事。これらをなくせれば十分第二領域のための時間が取れそうですね!

でも第三領域を減らすには、NOといえる勇気が入ります。NOといえない日本人という言葉もありますが、私たちはどうにかNOをいって、仕事や誘いを断らなければ、時間は増えていきません。

確かに、人から頼まれた仕事を引き受ければ、好印象を得られるでしょう。仲も良くなるでしょう。ですが、そういったことは重要でしょうか。ホントに自分が大切にしたい人やコトより大事なことでしょうか。それを考えたうえで、必要でないものと判断したことは、断りましょう。

ベストセラーの漫画、進撃の巨人にもこんなセリフが出てきています。登場人物の一人、アルミンの一言で、「何も捨てることができない人には、何も変えることはできないだろう」と。自分の大切なもののために、断る勇気を持ちましょう。

中国故事で言われる備えの大切さとは

中国の故事でも、将来のために第二領域の行動に取り組み、人生をより良くしていくことが伝えられています。

よく、「備えあれば憂いなし」といわれます。言うまでもないですが、きちんと準備すれば、もしものときも安心ですね。この言葉は、紀元前480年頃、中国の春秋時代の方が話したことだと言われています。原文を見てみましょう。

居安思危 (やすきにおいてあやうきを思う)
思則有備 (おもえばすなわち備えあり)
有備無患 (備えあればわずらいなし)

春秋時代、晋、宋、斉などの十二国の連合軍が鄭(てい)へ攻め入ろうとしました。鄭は十二国の中で最大国の晋へ和解を申し込み、晋はこれに同意。さらに他の国も争いを取りやめました。鄭はお礼に大量の貢物を晋へ送りました。喜んだ晋の王は、それを山分けしようとしましたが、そこに家臣、魏峰(ぎほう)がいったのが、先ほどの言葉です。

「晋国が今大変順調な時だからこそ、常に将来の危険を考えるべきだ。考える心があるからこそ準備し、準備をすれば危機を避けることができる」

第二領域の行動も将来を見据えた準備です。今さえ楽しいからと準備を怠っていては、将来、第二の習慣で思い描いたビジョンを形にすることはできません。

仏教で教えられる第二領域とは?

蒔いた種は必ず生える。蒔かぬ種は絶対に生えぬ。第二領域の大切さは、仏教の根幹原理である因果の道理にも通じていますね。

因果の道理は、「自分がまいた種は、必ず結果となって自分に返ってくる」ということを意味しています。将来を見据えてよい種まき(第二領域の行動)を続けることで、善い結果が返ってくるのです。重要だが緊急でないゆえ、忙しい毎日で、つい後回しにしてしまいがちな第二領域。ですが、よい結果を信じ、将来に向けて種まきを意識して行っていきましょう。

さて、先ほどの話で危機、と言いましたが、仏教でも将来の危険に対して時間をとって備えを今からしておくことが大事だと言われています。

仏教で教えられる、将来の最大の危機とはなんでしょうか。

それは死の問題といわれます。死はどんな人にも確実にやってくるものであり、仏教を聞く目的は、死の問題の解決のためなのだとお釈迦さまは教えられています。この最大の危機に対する備えができていなければ、これからを心から楽しく充実して生きることはできないのです。

では、どうして死の問題が私たちの将来の最大危機といえるのか。そして、どうすればその死の問題の解決ができるのか。それについて書かれている記事もありますので、ぜひご覧ください。

最終的に必ずブチ当たる”死ぬ”という問題に、仏教は向き合う:死を考える①最終的に必ずブチ当たる”死ぬ”という問題に、仏教は向き合う:死を考える① | 20代からの仏教アカデミー

将来の危機の備えが説かれた仏教を学ぶことも第二領域の項目といえるでしょう。今後も仏教の学びも深めていきたいと思います。