当事者意識をもたない人はなぜ愚痴が起こるのか

元陸上選手の為末大さんが書いたブログが話題になっていました。愚痴について色々と考えさせられたので、紹介します。

当事者になるつもりがない人 | 為末大・侍オフィシャルサイト 当事者になるつもりがない人 | 為末大・侍オフィシャルサイト

為末大選手の記事は前にも紹介しました。投資家の一面ももっていることを紹介したものですね。

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陸上選手としても400mハードルで世界選手権で2度の銅メダルを獲得し、五輪にも三大会連続で出場された為末さん。引退後もコメンテーターとして活躍し、またTwitter上では独自の切り口のつぶやきが人気です。そんな為末さんが書いた当事者についてのブログが話題を呼んでいます。

背景が気になるところですが、当事者になる人とそのつもりがない人との違いを表しています。

当事者になるつもりの人とない人

当事者とはつまり、起きている問題に直接関与している人です。当事者は直接関与していることを肯定し、当事者になるつもりのない人はそれを否定します。

前者は目的を成し遂げること以外は手段だと思っているからあらゆる手を尽くすが、後者は目的を成し遂げる担当は自分ではないから、手段や仲間や面子にこだわり、うまくいかなかった時は誰かのせいにする。

もちろん問題いかんによって話は変わってきますが、当事者ではない態度をとる人の特徴を的確に指摘しています。当事者になるつもりのない人は、問題への関わり方が当事者とは異なります。あくまで第三者として、問題を俯瞰している人間として関わっています。そのため批判者にはなりますが、行動を起こす人にはなりません。そして成功した時は褒め称えますが、失敗した時は批判に回ります。問題を解決しなければならない状況において、当事者になるつもりがない人がいると、弊害になってしまうのです。

そしてその本質を以下のように解説しています。

当事者になるつもりがない人は愚痴が多い。愚痴の原因をほったらかしているのも、解決できるかどうかも全ては自分にかかっていると思っていないから、愚痴が多い。下手すると自分の人生まで愚痴を言っている人がいる。自分の人生の当事者にすらなっていない人が何かの活動の当事者になれるはずがない。こういう人はこんな自分に誰がしたと思いながら生きているから、自分で自分の人生を変えられるとすら思っていない。

以前紹介した愚痴ですね。仏教では愚痴は言動ではなく、煩悩であり心と解説しました。

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どうして愚痴が生まれるのか

当事者意識の記事はまさに愚痴の本質に迫る切り口だなと思いましたので、改めて解説します。

愚痴は煩悩の一つで、端的にいうとバカな心です。愚は「愚か」ですし、痴もバカということです。

バカといっても色々なバカがあります。文字が読めないバカ、計算ができないバカといった知能的な問題。あるいは夜中に騒ぎまわる、空気が読めないバカ。あげればたくさんありそうですが、仏教で教えられる愚痴はそういったものではありません。

ところで馬鹿といいますが、当て字だそうで、馬と鹿は何も悪くありませんので、彼らを責めないであげてください。

仏教でいうバカは、自業自得が分からないバカを指します。自業自得とは因果律で教えられている思想です。普段からよく使っている言葉なので説明は不要と思いますが、自分の行いが自分の運命をつくり、反対に自分の運命は自分の行為がつくったものだということです。ですから夜更かしして体調を崩したら、言うまでもなく自業自得でしょう。注意しなければならないのは、一般的には悪い意味のみで使われていますが、良い意味でも自業自得です。努力でオリンピック銅メダルをとったら、それはその人の自業自得です。

では自業自得が分からないバカとはどういうことでしょうか。それは自分の運命は他人の行いによって決まるという考えを指します。一見するとおかしくないように思えますが、これは大きな誤りです。もちろん私たちは他人の関わりがなければ生きてはいけません。他人の影響を大きく受けています。しかし自分の運命は自分の行いで切り開かなければ何も変わりません。いくら他人が勉強したところで、自分の成績は上がるヨシもありません。

具体的に愚痴の心を見ていきましょう。例えば大事な公務員試験に落ちてしまったという結果があった時、普通なら自分の勉強不足を嘆きます。しかし愚痴の人は、自分ではなく他人のせいにします。例えば「アイツが試験の1週間前にカラオケに誘ったからだ」「物覚えが悪いのは親のせいだ」「そもそも公務員を勧めてきた教授もどうかと思う」といったように。そして怒りの矛先は、人ではなく外部にも向きます。「公務員に受からないのは倍率が高いわけで、定員が足りないからだ。もっと国がしっかりしないといけない」「勉強に集中できなかったのは図書館の設備が悪かったから」と、愚痴の矛先は限りがありません。こういったバカな心を愚痴というのです。

当事者意識をもたないと愚痴の人になる

批判しなければならない時であれば第三者として冷静な言及が求められますが、自分が関わっている問題に他人事ですと、愚痴の態度にならざるを得ません。

ましてや自分の人生において、他人事であれば、幸せになれるはずもありません。

当事者は成し遂げられるかどうかは自分にかかっていると思っている。だから考えるし、どんなところからでもヒントを得ようとする。小さなプライドにこだわって他人の助言を受け入れなかったり、自分は間違っていなくて周りがわかっていないだけだ、なんてことにははならない。当事者は目的のために動いているから手段にこだわることはない。

反対に自業自得の精神をもっていると、自分の運命は自分で何とかするしかないわけですから、当事者意識を強く持ちます。その分、責任を請け負い、そのための行動に出ます。成果はこういう人にしか出ないでしょう。またどちらがリーダーとしてふさわしいかは言うまでもないでしょう。成功また出世するのは頷けます。

それは個人においても言えることですが、集団としてもいえます。全員が当事者意識をもつ組織と、他人のせいにする人しかいない集団だと、どちらがいいかは言うまでもありません。

気をつけたいところです。

また参考までに7つの習慣を通じて解説した記事もあります。こちらもぜひお読みください。

7つの習慣と仏教:身につけておくべき主体的と因果の法則の考え方 7つの習慣と仏教:身につけておくべき主体的と因果の法則の考え方

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    ゆげ

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    coconalaで仏教カウンセリングしています