こんにちは、最近電車で人体からのガス漏れを感知し、犯人を見つけた大学生の、みさきちです。
犯人ということで、今回はちいかわの「セイレーン編」の犯人について考えていきたいと思います。
この「セイレーン編」では、「誰が悪者なのか」ということを考えるのはとても難しいです。
大切な人を痛めつけられ、喰われる、そんな復讐の連鎖が生んだ『ちいかわ人魚村殺人事件』
恨み恨まれる負のスパイラルは、関係するものみな不幸へといざないます。
どうしてこのような悲劇は起こってしまったのかでしょうか。
一体、一番の悪者は誰なのでしょうか。
おさらいしながら仏教上の解説も見ていきましょう!
犯人はこの中にいる…ってコト?!
容疑者① 「自由奔放の暴喰王・セイレーン」
報酬の魅力につられて島にやってきたちいかわ達、おいしい食べ物に、お祭り騒ぎでしたが、なにやら島の人たちの様子がおかしいです。
そしてちいかわ、ハチワレ、うさぎの3人は洞窟の中で、「セイレーン」と出会います。
その後、村の人の話の中で、セイレーンが村人を次々にさらっており、村では大問題となっていることが分かります。
村人を次々にさらって食べているセイレーン、その理由はセイレーンの発言にありました。
「…食べられちゃったの…」
「だから食べてるの」
とあり、仲間の人魚を食べられた復讐として村人を食べているようです。
確かに事情はあれど、全く関係ない村人まで、無差別に食べていっていたのです。
セイレーンは理不尽な殺人を繰り返しているということになります。
正常な良心のある人なら誰でも分かることだと思いますが、これは残虐極まりないことと言えるでしょう。
しかし、ほんとうにそうでしょうか。
セイレーンの立場から考えると、家族同然の人魚を殺されたのです。それによってセイレーンの中の何かのスイッチが押されてしまったのでしょう。
あくまで筆者の見解ですが、村人を無差別に殺していたのは、犯人にも自分の大切な人を失う気持ちを味わせたかったからなのかもしれません。
こう考えると、セイレーンが悪なのではなく、セイレーンを悪にしてしまった原因、つまり、人魚を食べた犯人が一番わるいことをしたということになるでしょうか。
容疑者② 「友達想いの“煮付け”料理人・島民」
「人魚の肉を食べると永遠のいのちが手に入る」
村人の家にあった生物図鑑にはこんなことが書いてありました。
村人は永遠のいのち欲しさに人魚を食べていたとも考えられます。
しかしそれは違うようです。セイレーンが討伐された後、人魚を食べるに至った村人の過去のシーンが回想されます。
ある日、仲良し2人組(一葉ちゃんと二葉ちゃん)が船で海釣りをしていると、人魚と戯れるセイレーンと出会います。
飛び上がったセイレーンの尾びれが船にぶつかり、そのうちの1人(二葉ちゃん)は生死をさまようことになりました。
一葉ちゃんは復讐の気持ち、そして仲間を助けたいという気持ちが交錯する中で、あることを思い出します。
「人魚の肉を食べると永遠のいのちが手に入る」
意を決し、人魚を捕獲、殺害。
そしてなんと人魚を「煮付け」に調理して二葉ちゃんに食べさせたのです。
なかなかのえげつない展開に、Xでは「人魚の煮付け」がトレンド入りするなど世間を騒がせました。
さっきまで元気に描かれていたキャラが料理になって登場するというギャップや、仲のいい友達に自分が殺した生き物の肉を食わせるという闇深い内容に、驚いた読者も多かったのでしょう。
一葉ちゃんがした行為の善悪はどうなるのでしょうか。
仲間が助かることを切に願い、自分の手を汚してまで仲間の命を救ったという行為は良かったと言えるのかもしれません。
しかしながら見方を変えれば、罪なき命を奪い、復讐の連鎖をつくり、永遠のいのち、すなわち「永遠の孤独」ともいえるものを、相手の了承なく与えてしまったとも言えます。
結果的に自分自身も人魚の肉を食べ、2人揃って永遠に生きていくことを誓い合った2人、ハッピーエンドにも見えますが、そこからセイレーンによる復讐は始まってゆくのです。
こうやって考えてみると、「どちらが悪者」とは言い難く、双方の事情が複雑に入り混じっているように思えます。
容疑者③ 「憎みがたき暴君・モモンガ」
ではまた別の視点から攻めてみましょう。
モモンガの行動に着目して見たいと思います。
モモンガは人魚の肉を、自分が永遠のいのちを手に入れたいという自分の欲望のままに欲しがっていました。
また、自分のせいでラッコが捕まってしまったときも、罪悪感のひとつも見せませんでした。
その他にも、わざとではありませんが、立ち入り禁止の看板をたおしたり、ちいかわの赤ウインナーを取ろうとしたり…
などなど、自分の欲望に忠実で、故意かどうかはさておき、戦犯とも言えるような行動が目立ちます。
また、モモンガの中身はちいかわ属の捕食者“でかつよ”であるともされています。モモンガはこのセイレーン編でも自分のものでは無い身体をずっと使い続けているということになります。
このように考えると、一番悪いことをしているのはモモンガとも言えるのでしょうか。
モモンガからは心の底から悪いことをしようとしている様子は見られませんし、自分の「欲しい」に忠実で気ままに生きているだけのようにも見えます。結果的にその姿勢が周囲に迷惑をかけてしまうことがあるようです。
容疑者④ 「無力な傍観者・ちいかわ」
では次に「真実を知りながらも黙っていた」ちいかわはどうでしょうか。
ちいかわとしては一葉、二葉2人のことをおもってのことかもしれませんが「嘘」をついているということになります。
このセイレーン編、ラストはちいかわたちが島から出航し、無事にハッピーエンドで終わった…かのように見えました。
その後、物語のつづきが更新され、不穏な幕引きとなりました。
一葉と二葉は他の村人に迷惑をかけないためか、小さな離島で2人で生きて行くことにしました。そんな中、最後のコマに注目すると何やら嫌な予感しかしません…。
その後どうなったかは残念ながらまだ分かりませんが、最悪の場合、二人は「なんかずっとくらいとこ」に行くことになるかもしれません。
このような心配が出てくるのも、それ以前にセイレーンと人魚を食べた張本人らが、きちんと腹を割って話し合うことが出来ず、根本的な解決ができなかったからだとも言えます。
もし、ちいかわが人魚を食べた犯人を公表していれば、みんなで解決の方法を考えられたかもしれないのです。
つまり、ちいかわが真実を公表しなかったのは、結果的に悪い方向へと向かったともいえるのではないでしょうか。
仏教的視点から浮かび上がる真犯人
「一番の悪者はだれ?」
ここでもう一度、本題に戻ってみます。
今まで考えてみて、事実だけを見ていてもその裏側にある事情によって、真実がことなってくるということが分かったように思います。
ですので、今度は違った視点、仏教ではどう考えられるのかみていきましょう。
私は、仏教の視点で考えると、今まで出てきた容疑者たちには、ひとつの特徴があると思います。
それは欲のこころです。
仏教では「貪欲」と言われます。
代表的なものは食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の五欲です。
- 食欲:美味しいものが食べたい、飲みたいというこころ
- 財欲:お金が欲しい、ものが欲しいというこころ
- 色欲:好き、嫌いとか思うこころ
- 名誉欲:褒められたい、受け入れてもらいたい、無視されたくないと思うこころ
- 睡眠欲:寝ていたい、楽がしたいと思うこころ
この欲のこころの恐ろしいところは「限りがない」ところです。
「なければないで、欲しい、あればあったでもっと欲しい」
と、欲のこころは際限ないと言われています。
このちいかわセイレーン編でも、それぞれが自らの欲を満たすための攻防戦が繰り広げられています。ここで終わって、満足し切るということが無いのです。
セイレーンはかつて、「遊びたい」という欲のままに動き、一葉と二葉を傷つけてもおかまいなしでした。
また、復讐心から村人達を食べる際に、下味をつけて美味しく食べようとしているところからは、美味しいものを食べたいという「食欲」もみられます。
一葉も、人魚を殺すに至った心境には「二葉ともっと一緒にいたい」という貪欲の存在もあったかもしれません。
モモンガなんて分かりやすく、「永遠のいのちがほしい」「食べたいものが食べたい」など、常に欲のままに生きています。
ちいかわが真実を知りながら公表しなかったのも…?
ここまで読んでいただいてわかる通り、「一番悪いことをした誰か」が存在するというよりも、全員がその可能性を秘めていたといえるでしょう。
そしてその根源は「貪欲」にあったと私は考えています。
「貪欲」はだれでも持っているこころです。朝は睡眠欲と戦っている人がほとんどでしょうし、食欲がなければ生きてはいけません。
不倫・浮気のスキャンダルは絶えませんし、今の時代はとくに、承認欲求の行き過ぎによって自滅していく人など、「貪欲」に翻弄され自分を見失っている人もしばしばいるのも事実です。
どんなに良い人に見えても、この恐ろしい「貪欲」を持っているのです。
そう、もちろん私も持っていますし、あなたにもこの、欲のこころはあります。
つまり、あなたもこの「人魚村殺人事件」の犯人になり得たのかもしれません…。
引き続きこのような「ちいかわ」と「仏教」の記事を更新していきたいと思います。