日々の生活や仕事の中で、思わずイライラしたりムカムカしたりしてしまうことは、ないでしょうか。
部下に仕事を頼んだら、まったく仕事ができない割に言い訳ばかりでイラッとしたり、
上司や取引先からの心ない言葉に腹立ったり
約束を守らない恋人や友人にあきれたり…
思わずイライラ、ムカムカする場面が、生きていく中でどれだけあるか分かりませんが、そのイライラ、ムカムカは、あなたが頑張っている証拠かも知れません。
SAKURAKO – Do not get mad ! / MIKI Yoshihito (´・ω・)
イライラ・ムカムカの正体は、欲求が満たされていないから
仏教では、イライラ・ムカムカといった気持ちを「怒りの心」と言われます。
では、その怒りの心は、どうして起きてくるのでしょう?
仏教では、怒りの心は「こうしたい」「ああしたい」「こうして欲しい」という欲求がジャマされたときに出てくるのだ、と教えられます。
イライラやムカムカを漢字で表すならば「不満」でしょう。
不満ということは「満たされていない」ということですから、何か満たして欲しいことがあるわけです。
「部下がもっとこうしてくれれば」
「上司がこうなってくれれば」
「恋人がこうだったら」
などといった欲求が満たされないときに、不満となり、怒りの心が起きるのです。
欲求があり、満たされないのは、頑張っている証拠
そうした欲求があるのは、あなたが頑張っている証拠です。
まったく何も頑張っていないのに「ああして欲しい」の心は、なかなか起きません。
「自分なりに努力をしている。なのに、それがなかなか報われない」という人こそ、「こうなってほしい」の気持ちが強くなるのです。
だから、イライラ・ムカムカは、あなたが頑張っているからこそ、出てくる心なのです。
無気力主義は、イライラ・ムカムカは無縁なのですね。
「私が」「誰々に」「何々を」の3つを忘れて、気持ちを楽に
そうは言っても、イライラ・ムカムカした感情は、あまり気持ち良いものではありません。
仏教に「三輪空寂(さんりんくうじゃく)」という言葉があります。
これは他人に布施をしたときに、布施をする自身も、施しを受け取る者に対しても、施す物品へも、なんの執らわれのないものでなければならない、ということです。
今日風の言葉でいうと、他人に親切をしたとき、
- 私が
- 誰々に
- 何々を
してやった、という3つを忘れなさい、ということですね。
腹が立っているときの自分の心をのぞいてみると
「私は、部下のために、優しい言葉をかけてやっているのに」
「私は、上司のために、残業をしてやっているのに」
「私は、恋人のために、ちゃんと予定をあけているのに」
などといったように
- 私が
- 誰々に
- 何々を
してやったのだ、という心が燃え盛っています。
施しをした自分や、相手、そして与えたものへの執着心で私たちは苦しんしまうのです。執着があるからこそ、自分の行為に対して相手がお礼を言ってくれなかったら猛烈に腹が立ちます。せっかく良いことをしているのに、イライラ・ムカムカの感情で苦しむのですね。
だから、そんな執着心・恩着せ心を忘れれば忘れるほど、それは心からのよい行いになるのだよ、そしてあなたの気持ちもずっと楽になるのだよ、と仏教では教えられるのです。
その気持ちを忘れてしまったら、自分の努力が報われなくなるような気もするかもしれませんが、大丈夫です。その心配はありません。
仏教では、他人が見ている見ていないに関係なく、また自分が覚えているかどうかにも関係なく、まいたタネは必ず生えると教えられます。
あなたがやった努力は、必ずあなたに返ってくる。しかも、先の3つ(私が、誰々に、何々を)を忘れるだけ、より良い行いとして良い結果が返ってくるのだというのが仏教の教えなのです。
まとめ
イライラしたときには、それは自分が頑張っている証拠だとほめてあげて、その上で「私が」「誰々に」「何々を」してやった、ということをできる限り忘れるようにする。
実際やってみると、それだけで、気持ちがずっと楽になって、生活が好転すること間違いありません。