レオナルド・ダ・ヴィンチの転職法 ~ 不遇の天才はこうして職を得た ~

はじめまして。Daヴィんちと言います。その名の通り、ダヴィンチ好きです。レオナルド・ダ・ヴィンチの魅力を知ってもらえると幸いです。

世界一有名な絵画『モナリザ』を描いた芸術家、レオナルド・ダ・ヴィンチ。詳しくは知らなくても、きっと一度は誰しも名を聞いたことがあるでしょう。彼の死後、まもなく500年が経ちますが、近年、『ダ・ヴィンチ・コード』という小説をきっかけに世界的な関心が持たれ、今日の日本にも影響を与えています。2014年、綾瀬はるか、松坂桃李主演の『万能鑑定士Qモナリザの瞳』が映画化されましたが、見られた方もいるかもしれませんね。日本では、初めてルーブル美術館で撮影された映画だそうです。

天才画家レオナルド・ダ・ヴィンチと聞くと、何だかエリートな印象を受けますが、実を言うと、ダ・ヴィンチは、生まれながらにして、ある逆境を経験しています。それは一体どんな逆境だったのでしょうか?生い立ちから順を追って説明していきたいと思います。

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wikipedia 自画像(レオナルド・ダ・ヴィンチ)より引用

逆境多しレオナルド・ダ・ヴィンチの生い立ち

ダ・ヴィンチの父親は、公証人という、今でいう公認会計士と弁護士を兼ねたような、地位のある役職についていました。一方、母親は貧しい農家の娘であり、身分の違いから二人は結婚には至らず、ダ・ヴィンチは私生児(婚姻関係のない夫婦から生まれた子)として負のレッテルを貼られることになります。当時のキリスト教社会では、私生児である以上、父親の職業である公証人になることは許されておらず、私生児というだけで色々な差別を受けていました。

自分の仕事を継がせることができなかった父親は、まだ14歳の息子の芸術的才能を見出し、当代随一の工房に預け、自分とは違う道に進ませることを考えます。
私生児で十分な教育も受けておらず、当時の知識階級の教養であるラテン語も分からなかったため、劣等感に苛むダ・ヴィンチでしたが、絵画の腕を磨いて師匠に一目置かれる描き手となり、20歳には親方の称号を手にしています。しかし、この頃、ダ・ヴィンチは経済的に厳しく、給料を前借りしたり、現物支給のワインを飲んで生活していました。天才と言われている人でも、人知れず地道な努力があったんですね。繊細な描写力で美しい絵を描き、高く評価されていましたが、ダ・ヴィンチの描き方には大きく二つの欠点がありました。

  1. 遅筆
  2. 未完成作品が多い

ようやく描いても中々完成させることができない、おまけに教養もない。当時の知識階級のグループから見下されており、彼の書いた直筆ノートには、こんな反論が記されています。

私が学者でないから、ある威張り屋は、私のことを文字を知らぬ人間だと決めつければ、
それだけで私をもっともらしく非難できるとお考えのようであることを私は十分に承知している。馬鹿な連中だ!(『アトランティコ手稿』より引用)

差別扱いされていることに対する、ダ・ヴィンチの 憤りが伝わってきます。

その後、ヴァチカンにあるシスティーナ礼拝堂に連作壁画を描くという、教皇の命を受けた一大プロジェクトが企画されます。ダ・ヴィンチの住んでいたフィレンツェから、代表的な芸術家が招集・派遣されましたが、ダ・ヴィンチはお呼びがかかりませんでした。仕事を任せても完成できない未熟な画家であり、人柄的にも扱いにくい存在と、意図的に除外されたのかもしれません。ダ・ヴィンチは、ここで大きな挫折を味わうことになります。

画家とは全く異なる職業に転職!

がっくりと肩を落としたダ・ヴィンチでしたが、そのまま不運に甘んじる小さな男ではありませんでした。

ダ・ヴィンチは時代の趨勢を把握し、自分が求められている居場所を探し始めました。
そして、自分を必要としていないフィレンツェを離れ、新天地ミラノで、これまでとは異なる活路を見出そうとします。

異なる活路、それは画家とは全く違うジャンルの予想外の職業でした。

軍事技師。

戦乱の世の中に求められるのは、画家ではなく、軍事の知識に長けた人物、ダ・ヴィンチはそう狙いを定め、ミラノの権力者に自薦状を送ります。

その内容はこちらです。

私は兵器を発明する秘密の技術を持っています。もし私を採用して頂ければ、いつでもその効果をお試し致しましょう。

1 軽量で丈夫で、持ち運びのできる橋のアイディア

持ち運びできる丈夫な橋を造る方法を知っております。
また、敵の橋を燃やし、破壊する手段も持っております。

2 攻城戦で役に立つ数々の攻撃用兵器

要塞を包囲し攻撃するために、堀の水を空にする方法を
知っております。またはしごや、その他の必要な諸道具の
制作方法を知っております。

3 砲撃が不可能な城を攻略する方法

もし要塞が高く、またその場所が堅固で、砲撃で陥落させる
ことが難しい場合、たとえ岩の上に建てられていたとしても
あらゆる岩や要塞を破壊する手段を心得ております。

4 散弾を放つ持ち運び容易な大砲

便利で持ち運びやすい大砲を作る方法を知っております。
煙によって敵に恐怖を与え、重大な損害と混乱を引き起こし、
まるで嵐のような小石を発射いたします。

5 敵に気づかれることなく、抜け穴を掘る方法

堀や川の下を通り抜ける必要がありましても、
秘密の地下道や通路を通って、目的地点にたどり着く方法を
知っております。

6 装甲に覆われた戦車

安全で攻撃されることのない蓋つきの戦車を制作できます。
この戦車の大砲で壊滅できない大軍など存在しません。

7 これまでにない火器

普通の大砲よりも美しく有用な大砲や軽砲を制作します。

8 砲撃が不可能な場合に役立つ投石機など

大砲が使用できないところでは、投石機など、一般にはほとんど
使われていない機械を製作いたしましょう。
さまざまな場合に応じて、無限の攻撃と防御の手段を考案します。

9 砲撃に耐える船のアイディア

また、もし戦闘が海で行われるような場合、攻防両用に
極めて効果のある多くの機械を発案し、より大きな大砲の砲火や
火薬、煙に対抗する船を造ることも可能です。

10 平和時には、建築、土木、彫刻、絵画を

平和な時代には、建物や運河の建設において完全な満足を与え、
他のいかなる人にもひけをとらないと確信をしております。
また、彫刻や絵画は他の誰よりもうまく描けます。
青銅の馬の制作ができます。スフォルツァ家の不滅の栄光と
永遠の名誉を記念するためであります。

以上、列挙したどれかが不可能で実行できないと思われるならば、
お気に召すどんな場所でも試す用意があります。
謹んで、以上の通り、推薦するものであります。(『アトランティコ手稿 簡約』より引用)

軍事に関してオレは何でもできる、と言わんばかりですが、工房で働いていたダ・ヴィンチにとって、専門的な軍事知識はなく、何と見せかけのハッタリだったといいます。

しかし、ハッタリが功を奏してミラノの宮廷に受け入れられます。すごいですね。そして、ダ・ヴィンチは採用されてから、必死に軍事に関する勉強を始めたらしいです。

なにはともあれ、ダ・ヴィンチは新天地で転職することができました。また本当にやりたかったのは絵画を描くことでしたが、それも成し遂げます。移り住んだミラノで革新的な大作、『最後の晩餐』を描き、その名はヨーロッパ中に轟いた、と言われています。

挫折しても諦めない精神

ブッダの言葉にこんな名言があります。

過去は追ってはならない、
未来は待ってはならない。
ただ現在の一瞬だけを、
強く生きねばならない。

ダ・ヴィンチは挫折しても諦めませんでした。自分が成功するにはどうすれば良いかを懸命に考え、明るい未来に向かって一歩前進しようとしました。

キリスト教では、運命は神によって決められているから、人間の意志や能力では変えようがないといいます。

しかし、仏教は、自分の行いを変えることで未来を変えることができると説きます。

ダ・ヴィンチは、新たな策を練ると同時に、自分の居場所を探しました。自分の価値を分かってくれる人に出会おうとしました。

仏教では、また環境や人という縁を大切にすることが教えられています。

一切法は、因縁生なり。(大乗入楞伽経)

これは、「 この世のすべてのものごとは、因と縁が合わさってできる」ということです。

この「すべて」の中には私たちの未来に起こる運命も含まれます。

ダ・ヴィンチは、挫折しても腐ることなく、新しいタネ(因)をまきました。

そして、新しい環境(縁)を選びました。

生まれつき逆境を背負ったダ・ヴィンチでしたが、その逆境に立ち向かうがごとく、挑戦する人生を選択しました。

何か、困難な壁にぶつかったり、苦境に転じてしまっても、それで終りではありません。
自らの行動や、環境を変えることで運命は変わります。

仏教には、私たちがより良い未来を生きていくための、大切なことことがたくさん教えられています。これから、皆さんと共に学んでいければ幸いです。

まとめ

  1. 行き詰まったときは、自分には何ができるか、何ができそうかを考える
  2. 時には環境を変えることで、心機一転をはかる
  3. 仏教には、明るい未来を生きるための智慧が教えられている

続編出ました!
哲学者レオナルド・ダ・ヴィンチの人間観 〜人間は残酷無慈悲なる怪物〜 哲学者レオナルド・ダ・ヴィンチの人間観 〜人間は残酷無慈悲なる怪物〜

ついに書籍になりました!

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その名も『超訳-ダ・ヴィンチ・ノート』です。

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