時代を100年先行したといわれるアドラー心理学と、2600年前に説かれたものながら、現代科学の進みゆくところを先取りしたいわれる仏教。
そのアドラー心理学と仏教の関連性の高い内容を紹介し、両方の理解が深められ、実行できるところまで落とし込むところを目指して記事を作成しています。
3回目は、アドラー心理学のライフスタイルと、仏教の業界についてお話します。
アドラー心理学の「ライフスタイル」
ライフスタイルと聞くと、生活様式のことだと思われるかもしれません。
ライフスタイル(lifestyle):生活の様式・営み方。
「現代に最適のライフスタイル」「あなたのライフスタイルに合った」などと使われていますね。
しかし、もう一つの意味が載っていました。
ライフスタイル(lifestyle):人生観・価値観・習慣などを含めた個人の生き方。
人生観や価値観、その人の生き方という意味もあるのですね。
アドラー心理学でも「ライフスタイル」という言葉が使われているのですが、上記の後者よりの意味で使われていて、以下のように定義されています。
アドラー心理学では、性格や気質のことを「ライフスタイル」という言葉で説明します。
第一夜 人は常に「変わらない」という決心をしている 嫌われる勇気p,48
私たちの性格のことを言われているのですね。
また以下のようにも定義されています。
その人が「世界」をどう見ているか。また「自分」のことをどう見ているか。これらの「意味づけのあり方」を集約させた概念が、ライフスタイルなのだと考えてください。
第一夜 人は常に「変わらない」という決心をしている 嫌われる勇気p,48
たとえば「わたしは悲観的な性格だ」と思い悩んでいる人がいたとします。
悲観的な性格な人というのは、たとえば、職場のプロジェクトのおいてチーム全体でプロジェクトがうまく進んでいるときも「今は大丈夫でも、突然のアクシデントがあるんじゃないか」と悲観的な見方をしてしまう人でしょう。(そういう見方が必要なときもありますが)それは悲観的な“世界観”を持っている、とも言い換えられます。
また、プロジェクトはうまく進んでいるのに自分に分担された仕事だけがうまくいっていないんじゃないか、と自分へも悲観的な見方をしてしまう人でしょう。これは悲観的な“自己概念”を持っている、と言えますね。
世界観や自己概念の総称が性格であり、ライフスタイルなのですね。
性格は変えられる?
性格と聞くと、とても変えられないもの、と思う人が多いと思います。「自分は昔から内気な性格で、人前で話をするのは苦手」「私のひねくれた性格は生まれつき。この性格は変えられない」などという声が聞こえてきそうです。
「どうしてこんな性格で生まれてきたの?」「こんな性格、もうイヤ!」とまで思っている人もいるかもしれません。
ところがアドラー心理学では、ライフスタイルは自ら選びとるものだとも言われています。
哲人 アドラー心理学では、ライフスタイルは自ら選びとるものだと考えます。
青年 自ら選びとるもの?
哲人 ええ。あなたはあなたのライフスタイルを、自ら選んだのです。
青年 つまり、わたしは「不幸であること」を選んだばかりではなく、このひねくれた性格までも自らの手で選んだのだと?
哲人 もちろんです。
第一夜 人は常に「変わらない」という決心をしている 嫌われる勇気p,49
生まれた国や時代、両親など自分で選ぶことのできない外的な要因は、幼少期や思春期のライスタイルの選択においてかなり大きな影響力を持っています。
しかしそれらは過去の問題であり、ここ先どうするか、これまでどおりのライフスタイルを選び続けるか、新しいライフスタイルを選びなおすかは、あなたの一存にかかっているのですね。
もしもライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び自分で選びなおすことも可能なはずです。
第一夜 人は常に「変わらない」という決心をしている 嫌われる勇気p,50
しかし、私たちは不平・不満を抱きつつも、今のライフスタイルでいることの方が楽であり安心なので、ライフスタイルを変えない決心をしてしまっているのです。今のままのライフスタイルなら、不満はあっても目の前の出来事に対処しやすい。けれど違うライフスタイルを選択した瞬間、目の前に出来事にどう対処したらいいのかわからなくなり、不安になってしまいます。
だからライフスタイル変えようとるするときに“勇気”が試されるのですね。
仏教の「ライフスタイル ≒ 業界」
このようにライフスタイルとは、性格や気質、周りをどう見ているかという世界観や、自分をどう見ているかという自己概念と定義されるとわかりました。
実は仏教にも、アドラー心理学のライフスタイルにあたる言葉があります。誰かが言っていたわけでなく、概念が似ていると思って私が言っているだけなのですが…。
それは「業界(ごうかい)」という言葉です。業界と聞くと普通は「ぎょうかい」と読みますが、仏教では「ごうかい」と読みます。
業界とは、私たちの業(ごう)によって生み出された世界のことです。
業は梵語のカルマ(karman)を意訳したもので、私たちの行為のことを言います。業界は私たちの行為が生み出した世界であり、一人一人が自らの業によって生み出した世界に住まいしていると仏教では説かれています。
住んでいる世界が異なれば、ものごとの見方が変わってきます。
一水四見(いっすいしけん)という言葉があります。これも仏教の言葉で、以下のような意味で教えられています。
人間にとっての河(=水)は
天人にとっては歩くことができる水晶の床
魚にとっては己の住みか
餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ
というように、見る者によって全く違ったものとして現れるという。
水といっても人間・天人・魚・餓鬼でそれぞれ四通りの見方がされるように、業界の違いによって全く違ったものに見える、ということですね。
これは極端な例と思われるかもしれませんが、人間同士であっても、過去の業の選択の違いによって異なった業界が形成され、同じものを見ていても違った見方になるのですね。
今、どんな業界が形成されているかは過去の業の選択によって決まっていますが、これからどんな業界を形成していくかはこれからの業の選択によって変わっていきます。
ここで知っておきたいのが、これからの業の選択は、過去の業に引っ張られてしまうことが大いにある、ということです。
何度もダイエットに失敗している人なら、せっかくまたダイエットしようと思っていても甘いものを見ると身体が反応してしまう、いつもマンガばかり読んで勉強しない学生なら、ようやく一生懸命勉強しようと思っていても勉強して10分経たない間についついマンガに手を出してしまうなど、私も思い当たることばかりです笑 これではダメだ、と思いつつも居心地がよくてその状態に止まってしまいます。
業の選択において、過去の業に引っ張られないように周りからサポートしてもらったり、新たな環境づくりをしていくことが大切なのですね。
まとめ
私たちの性格や世界観、自己概念は変わらないものと思い込んでしまいますが、アドラー心理学でも仏教でも、これからのものの見方の形成はあなたの選択次第である、と教えられています。
決して「自分は元々こういう性格だから、こういうものの見方しかできないから」と現状に止まることなく、理想の自分へ近付く選択をしていきたいですね。