対人関係の悩みを解決するには? 共同体感覚と陰徳のすすめ:アドラー心理学と仏教⑥

アドラー心理学では、すべての悩みは対人関係に行き着く、と教えられています。

私たちが悩んだり苦しんだりしているのは、他者の存在があってこそということですね。

アドラーは「悩みをゼロにするには、宇宙でたった一人きりになるしかない」と言っています。

完全に対人関係の悩みから解放されたければ、宇宙でたった一人きりになるかしかないのです。そうでもしない限り、対人関係から逃れることはできないのですね。

しかし、宇宙で一人きりになることなど不可能です。

そんな状態の私たちは、どうすれば対人関係の悩みを解決し幸せに生きることができるのでしょうか。

(仏教の観点からすると、悩みがすべて対人関係に行き着くという見方には食い違いがあるのですが、この記事の主題はそこでないので省略します)

悩みから解放される道は、共同体感覚を持つこと

私たちが対人関係の悩みから解放され幸せになる道は「共同体感覚」を持つことと教えられています。

アドラーおよび彼の高弟ルドルフ・ドライカースらは「共同体感覚」を持つことの大切さを繰り返し述べてきました。

なぜならば、それこそが悩みから解放され、幸せになる唯一の道だからです。

そして、共同体感覚とは「他者に対する貢献」により形成されると言いました。

幸せになる唯一の方法は他者への貢献-「共同体感覚」に関するアドラーの言葉66 『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』

共同体感覚は、以下の3つにより構成されています。

  1. 周囲の人は私を援助してくれる = 他者信頼
  2. 私は周囲の人へ貢献できる = 自己信頼
  3. (その結果として)私は共同体に居場所がある = 所属感

他者信頼と自己信頼は相互因果関係にあります。

他者が私を援助してくれていると思うからこそ、私も他者に貢献しなければと思い、また貢献できるようになる。そして、自分は他者へ貢献できていると自己信頼が生まれる。周囲の人を自分の敵だと感じていたならば、自分が貢献に踏み出すことは難しいのですね。

逆もまた真なりで、自分は他者に貢献できると思い、実際に他者貢献に踏み出せば、他者もまた私を援助してくれるようになります。その結果、他者への信頼も生まれるのですね。

他者信頼と自己信頼によって、自分は共同体への居場所が感じられ、所属感が生まれます。

そうなれば、周りを敵とは見なさず仲間と思えるようになり、対人関係の悩みは解決することができるのですね。

共同体感覚を身に付けるには?

と、言うのは簡単なのですが、問題はどうすれば共同体感覚を身に付けられるのか?ということです。

落ちていたり、多少高額でも売っていたりすれば楽なのですが、そんな都合よくいかないですよね。

何しろ、この共同体感覚を身に付けるには、生きてきた人生の半分ほどの時間がかかると言われているのです。教えられていることを地道に実行していくしかありません。

では、私たちは何から始めればいいのでしょうか?

それは、まず自分から他者貢献を始めることです。

「自分の居場所がない」と感じるのなら、「周りの人がわかってくれない」と愚痴るのではなく、自分から周囲に貢献するのです。

そうすれば必ず居場所ができるはずです。

幸せになる唯一の方法は他者への貢献-「共同体感覚」に関するアドラーの言葉66 『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』

見返りを求めず、承認も求めず、自分から他者への貢献を始めるのですね。

他者への貢献とは、他者が喜ばれることをすることなので、周りの人は何をされると喜ぶのか具体的に考え、実行していくことが大事ですね。

また、所属への視野を広げて、小さな徳を積むことも有効であると教えられています。

例えば道に落ちている空き缶を拾って捨てる。

お年寄りに席を譲る。

エレベーターで他の人に先を譲る。

楽しい会話の席で自分ばかりしゃべらずに、周囲の話に相づちを打つ役割にまわる、など。

自分よりも相手を大切にすると、共同体感覚は高まります。

幸せになる唯一の方法は他者への貢献-「共同体感覚」に関するアドラーの言葉74 『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』

仏教が勧める「陰徳」

共同体感覚を身に付けるには、見返りを求めず、承認も求めず、他者貢献に努めることが大切であると学びました。

お釈迦さまの説かれた仏教にも、「陰徳」が勧められています。

陰徳は、以下のように説明されています。

人に知られないようにひそかにする善行。隠れた、よい行い。

いんとく【陰徳】の意味 – 国語辞書 – goo辞書 いんとく【陰徳】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

人に見られているときはする、人が見ていないと手を抜いたり、やらないようになるのが悲しくも私たちの実態です。

それは人にほめられるかどうか、悪く言われるかどうかを基準にしてしまっているからですね。

しかし、たとえ人が見ていようがいまいが、善いことを実行すれば必ずその人の元へ善い結果が返ってくるのであり、悪い行いとすれば悪い結果が返ってくると説かれるのが仏教です。見返りを求めずに実行していくことが大事なのですね。

「あれを見よ 深山の桜 咲きにけり 真心尽くせ 人知らずとも」という歌があります。

山奥深くにある桜は、人に見られようと見られまいと、美しい花を咲かせています。

人に見られないからといって手を抜いている桜の木は1本もありません。

同様に私たちも人が見ている見ていないにかかわらず、因果律に基づいて善いこと、他者貢献を実行し続けることが大切であり、実行したならば必ず目に見える善い結果となって返ってくるのですね。

まとめ

アドラー心理学の目的である共同体感覚を身に付けるには見返りを求めない他者貢献が説かれており、仏教でも陰徳が勧められています。

口先だけにならず実行こそ肝要であり、常に自分を優先してしまう心に教えを照らし、軌道修正していきたいと思います。