こんにちは。膝の上に座らせていた6歳のカワイイ弟から「…?なんか足ふといな」と言われてしまった、みさきちです。
今回はアニメでもちょこちょこ登場している「あのこ」。
大きくもふもふな外見に反して暴力的な一面があり、そのギャップに惹き付けられる人も多いかも知れません。
そんな可愛いバケモノ「あのこ」について、考察していきたいと思います。仏教から見ると意外な発見がありました!
「あのこ」の凶暴性 登場シーンからおさらい
なにかと注目を集めていますが、可愛い見た目とは裏腹に、かなりひどいことをするキャラクターでもあります。
https://twitter.com/ngnchiikawa/status/1439183389412638734
自分の力を自覚し、喜びを覚えるあのこ、この辺りから怪しいですが…
これ、食べちゃってますかね…。
もしそうなら、かつての仲間を亡き者にしながら、喜んでいるなんて、なんと恐ろしい…
自分の力を自覚し、残虐な本性が出てしまったのでしょうか、弱き「ちいかわ族※」をいたぶって楽しんでいるように見えます。
※ちいかわのような丸っこく二頭身な体型・姿をした種族
終始笑顔で、ちいかわ族の命を脅かすシーンはおぞましい限りです。
「あのこ」は、強大な身体を手にしたのと引き換えに、良心を捨ててしまったように見えます。
しかし、果たして「あのこ」の行動に悪意はあると断言できるでしょうか。
無自覚に周りを傷つける怪物「あのこ」は近くにいるかも…
無邪気に破壊と傷害を繰り返す姿は、怪物の身体を得た、ただの子どものように見えます。
そう、行為は残酷なものですが、不思議と“悪意”は感じないのです。
私も小学校のとき、「面白い遊びを教えてあげる」と友達が言うので、どんな遊びか聞いたところ、「熱いマンホールの上にカエルを乗せたら、ジュージュー音が鳴って面白い」と教えてくれました。
きっとその子は、その行為がカエルにとってどんなことなのか分からず行っていたのだと思います。
同じように「あのこ」もそれがどれだけ恐ろしい行為か分からずに、強い力を得た嬉しさに任せ、気ままに暴れているのでしょう。
そこには罪の意識はあまり感じられません。無自覚としたら、そこまで悪い子とは言えないような気がします。
しかし、その行為を受ける側はどうでしょうか?
皆さんは、相手の何気ない一言で傷ついた経験はありませんか?
例えば私の場合、今ぐらいの寒い時期に「今日の服装寒そうやね」とよく言われます。
その言葉を言われる度に私は、身構えてしまいます。
相手は恐らく、何も考えず、あるいは心配して言ったのかもしれません。けれど、なぜかその言葉が「服選びのセンスないね」や「露出が激しすぎるよ」などの意味も含んでいるように感じてしまうのです。考えすぎでしょうか…?笑
このように無自覚の言葉であっても傷つくということがあります。
そして同じように、自分も無自覚に相手を傷つけてしまっていることがあるのかもしれません。
私の場合、髪の毛の変化について触れる時には、本当に気をつけています。
先日髪を真っ赤に染めてきた友達に「髪染めたんや!いいやん!」と声をかけると、その友達は「全然思ったんと違う色なった…」としょんぼりしてしまったことがありました。
また、中学校のとき、教頭先生に挨拶ついでに「髪切ったんですか?」と話しかけたことがありました。教頭先生は「いや、切ってないよ……」と言い、少し考えてから、「あ、でも量は減ったのかもしれない(苦笑)」と、照れくさそうに薄毛ネタを披露してくれたことがあります。
そのときの私は申し訳なさと気まずさで、なんと言い返せばいいのか分からず、ぎこちなくはにかむことしか出来ませんでした。
これくらいのトラブルは日常茶飯事、口での行いなんて、気にしすぎる方が良くないのでは…?とも思われるかもしれません。しかし、そういうわけにもいかないのです。
大切な人も斬り刻んでいた、私の「言葉」
先程の髪の毛の例のように相手が笑っていたとしても、実はより深く傷つけてしまっていることだってあります。
私は週に一回、学習サポーターとして、小学校に行っています。あるとき、3年生の子たちが、授業の中で保護者の人に向けて感謝の気持ちを伝えるお手紙を作ったようで、それをみんな次々に見せてくれました。
その中で見せてくれたある子に、「これはお父さんもお母さんも喜ぶね」と声をかけると、その子は言いました。
「うちはお父さんおらんから、お母さんにあげるねん」
私はその後「そっか……」とつぶやいただけで、ほかに何も言えなくなってしまいました。
「しまった!私の配慮が足りなかった……」と反省しました。
すぐに謝りたい気持ちでしたが、謝った方がかえって傷つけてしまわないかと考えると、なんと声をかけたらいいのかが分からなくなったのです。
そして、意図せず相手を傷つけてしまった自分に対する、苛立ちと情けなさのようなものが入り交じり、ショックは大きかったです。
このように、言葉で人を傷つける行為には実は名前がついています。
舌に刀で、舌刀(ぜっとう)と仏教では言います。
普通舌のような柔らかいものが人を傷つけるとは思えません。しかし、舌から出る言葉は、相手を深く傷つけることがあります。その点から仏教では、切れ味の鋭い刀に例えてこのように言われています。
そして、恐ろしいことに言葉でつくった罪は、自分は忘れていても、相手は一生忘れないということもあります。
私も、小学校時代に言われた一言で、いまだに覚えていることがあります。
ある日、友達に何気なく言われた
「みーちゃんって、いちごばなよな」
という一言です。言われたときは、その言葉の意味がよくわかっておらず、「なに?いちご??かわいいっ…ってコト?!」ぐらいに思い、上機嫌でした。
しかしその意味を知って愕然としました。
いちごばな(鼻)とは、鼻の毛穴が黒ずみ、角栓が目立つことで、イチゴの種のようになってしまっている現象のことを言うそうです。
その日から、いつもはあまり気にしていなかった自分の鼻が、いつも以上に気になるようになってしまいました。「わざわざ言わんくてもいいやん…」
何気ない一言が、一生記憶に残ってしまうこともあるということを教えてくれました。
SNSなどでの誹謗中傷などは、現代社会における舌刀の最たるものとも言えるのではないでしょうか。
ウイルスばらまいてるかも?! 無自覚な悪の重さについて
ここで考えてみましょう。
悪いことを自覚してやるのと、無自覚にやるのとではどちらが重いでしょうか。
一般的に考えると悪いと分かっていながらする方が、重いと思うはずです。
例えば違法ドラッグと分かっていながら売る人は、罪が重いですよね。
しかし、じつは仏教では、無自覚でやる方が重いとされています。
例えばコロナのような感染症にかかったとき、自分が病気であることを自覚していれば、出来るだけ家にいて、外に出るときにはマスクを着用し、周りにうつさないように心がけます。
しかし、自覚していなければどうでしょうか?
普段と同じように生活し、ゴホゴホと平気で咳、タンを撒き散らし、気付かぬうちにウイルスをばら撒き続けるのです。
自覚して他者を傷つけることが悪いのはもちろんのことですが、周りを傷つけた自覚がなければ、無意識に、何度も同じ過ちを繰り返すため、非常に危険なのです。
無自覚なだけで、私達も気づかぬうちに周りを傷つけているのかもしれません。
そう、気づいていないだけなんです。
気づいていないだけで、あなたも、無邪気にちいかわ族を恐怖のドン底に突き落とす、「あのこ」と同じなのかも知れません。
もしかすると、「あのこ」というキャラクターを通じて、無自覚に相手を傷つけることをナガノ先生は私たちに暗に伝えてくれていたのかも…しれません…