ついに映画化!泣ける音楽漫画「四月は君の嘘」 主人公・有馬公生がピアノを弾けなくなった理由とは

それは、最も切ない嘘でした

今週10日から全国の映画館で放映が開始する映画「四月は君の嘘」。

原作は『月刊少年マガジン』で新川直司さんにより連載されていた漫画作品です。

累計発行部数は400万部。2012年度にはマンガ大賞ノミネート。
2013年には第37回講談社漫画賞少年部門を受賞をしました

昨年12月29日に放送されたフジテレビのTV番組『一流が嫉妬したスゴい人』では「ONE PIECE」の作者である尾田栄一郎さんが絶賛され、各地の書店で売り切れが続出します

普段、青春モノも恋愛モノも一切興味がない私も、友人に勧められてアニメを見始めてからあっという間に夢中になってしまい、原作の漫画も大人買いしてしまいました。

そして今週からはついに実写映画化

そんなこの秋一番の注目作「君嘘」の登場人物の心理を考察、仏教哲学の視点から解説していきます。

「ピアノが聞こえない」元天才少年・有馬公生

「四月は君の嘘」の主人公、有馬公生は14歳の中学生。

黒メガネに自信なさげな表情が特徴的な男の子ですが、実は「元天才少年」です。

“ヒューマンメトロノーム”と言われた幼少期の公生は、数々のコンクールで優勝。
8歳でオーケストラとモーツァルトの協奏曲を共演し、「神童」と言われていた天才ピアニストでした。

しかし11歳の秋、公生は突然ピアノが弾けなくなります…

3年後。普通の中学生として生活していた公生は、幼なじみの椿と下校中、こんな会話をします。

椿「公生は?好きなコいないの?美和が言ってたよ、『好きな人といると全部がカラフルに見える』って」

公生「…僕を好きになる人なんかいないよ」

椿「暗い!!目が光ってない!!私達14歳なのよ!!

公生「目は黒いから光らないだろ」

椿「出た!!常識論、何となくわかるでしょ、輝いてないの、思春期なんだからビカーっと!!ビカー!!ビカーっと」

公生「うん、椿の目は輝いている」

その後、椿に言われたことを授業中、公生はこのように振り返っています。

椿の目にはきっと風景がカラフルに見えているんだろうな

僕とは違う

僕にはモノトーンに見える

譜面の様に

鍵盤のように

どうして公生は齢14歳にして、モノトーンのように色を失くした人生になっているのでしょう。

椿との会話を見ていくと、彼の心の奥に巣食う闇の正体が見えてきます

有馬公生がピアノにしがみつく理由

ある日椿は、ヴァイオリンをやっているクラスメイトが、公生と椿の共通の友人である「渡亮太」に好意を持っていると聞き、そのクラスメイトに渡を紹介することになります。

3人では気まずくなるので、公生に一緒に来てほしいと頼みました。

椿「公生も来てよ、公生はピアノやってるから共通の話題あった方がいいじゃん」

公生「僕はピアノはやめたんだ、もう2年も弾いてない

椿「昨日弾いてたじゃん!!音楽室で!!嘘つき!!」

公生「あれはバイト、新譜を耳コピして譜面におこしてるんだ」

椿「ふーん、バイトなんて他にいくらでもあるよ。教室でできるバイトなら音楽室に行く必要もないじゃん。私には必死でしがみついているように見えるよ

帰宅した公生は、母の遺影に向かいます。

ただいま母さん、今日は月命日だね

公生の母の夢は、世界を飛び回るピアニストに息子を育てることでした。

毎日毎日何時間も
叩かれながら 怒鳴られながら
泣いても許してはくれなかった
いよいよヨーロッパのコンクールを視野に入れた3年前

母が死んだ

ピアノは嫌いだ
それでもしがみついているのは
きっと僕には何もないから

ピアノを除けば
僕はからっぽで
不細工な余韻しか残らない

幼い公生は病気の母親が喜んでくれるなら、元気になってくれるなら…と思いから、厳しい指導に耐え、ピアノを弾いていました。

しかし3年前11歳の秋。
母親が他界します。

そして母の死の直後出たコンクール。
公生は突如演奏中にピアノの音が聴こえなくなり、以来ピアノを弾くのが怖くなってしまいます。

そんな思い出のピアノは、公生にとって「嫌い」としか思えないもの。

しかし新譜を耳コピするバイトをし、ピアノのある音楽室で時間を過ごしている公生。

幼なじみで自分のことを何でも知っている椿に「必死でしがみついているように見える」と言われたのはまさにその通りでした。「僕はピアノはやめたんだ」と言いながら理由をつけてピアノにしがみついているのは、自分でも自覚しているのです。

必死にしがみついているのは「ピアノを除けば、僕には何も無い」と思っていたからでした

母を亡くして「生きる意義」を失った公生

幼い公生が母親に虐待のような指導を受けても、必死で耐えピアノを弾きコンクールに出ていたのは、「お母さんを喜ばせるため」「お母さんを元気にするため」という大きな使命があったからです。

ピアノのコンクールで競い合うライバルやその保護者は

「また有馬がトップか、母親が橋本先生の直系だからな」

「7,8時間レッスンなんでしょ、毎日」

「そんな生活、普通耐えられないよ」

「メガネに譜面でもついてんじゃね?叩かれたアザ隠しにもなるしな」

と陰口を叩いていました。

しかし幼い公生はこう思っていたのです。

みんな勝手なことばかり
僕が たった一人母さんの味方なんだ

重い病気でピアノを弾けなくなった母親の代わりに活躍して母親を喜ばせ、母親を元気にしたい。

それは幼い公生にとって、人生で最も大事な使命であり「生きる意義」となっていたのでした

公生がピアノを弾く目的は、コンクールで優勝して有名になりたいからでもなく、海外で活躍したいからでもなく、「お母さんを喜ばせるため」であり「お母さんを元気にするため」でした。

しかし母を亡くした日、公生は「お母さんのために」ピアノを弾くという生きる意義を失います。

それからの公生の人生は譜面のように、鍵盤のように、モノクロームになってしまいました。

一方で弾けなくなってしまったピアノにはしがみつこうとする。

その姿は自分にとって唯一の生きる意義だった目的を見失って、何かすがるものを探しているようにも見えます

公生の苦悩を見ていると、やがて壊れ、崩れていく可能性のある「生きる意義」を糧に生きるのは、非常に痛ましい悲劇が待っていることが分かります。

その理由は、公生が「生きる意義」だと思っていた「お母さんのためのピアノ」は、本当の人生の意義ではなかったからです。

そして公生だけではなく、私たちもまた、

「仕事で出世したい」
「幸せな家庭を持ちたい」
「お金を貯めたい」
「趣味で充実したい」

というような、何らかの生きる意義を求めて毎日あくせく生きています。

しかしそのどれもが、仕事を退職するとき、離婚したり死別するときなど、何かの拍子に色あせたり、崩れてしまうものであり、本当の「生きる意義」ではないのです

本当の「生きる意義」は大切な人を失っても、人生に挫折しても変わらないもの。それは公生も同じ。
決して公生はピアノを弾く以外価値の無い人間ではありません
極端な話、何かの不幸で両手が無くなったとしても、有馬公生には「生きる意義」があるのです。

その生きる意義を教えている仏教の言葉が「天上天下 唯我独尊」です。
誤解されがちな「天上天下 唯我独尊」を詳しく解説した記事がありますので、ぜひお読み下さい。

このあと公生に、人生を変える出会いが訪れます。

それは「君嘘」のメインヒロイン・宮園かをりとの邂逅。
かをりとの出会いで、公生に起こった変化とは…

次回に続きます。