ボッティチェリが絵画に込めた想いとは?映画『インフェルノ』に登場した「地獄の見取り図」を解説

映画「ダ・ヴィンチ・コード」の続編シリーズ、『インフェルノ』が公開されました。
前作と同様、トム・ハンクス演じるハーバード大学のロバート・ラングドン教授が謎解きに挑戦します。

site

映画『インフェルノ』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ より引用)

今回は『インフェルノ』の中で特に印象的な絵画「地獄の見取り図」と、その作者ボッティチェリの光と闇を解説します。

映画『インフェルノ』のあらすじを紹介

『インフェルノ』の舞台は、イタリアのフィレンツェとヴェネツィア、トルコのイスタンブール。

なぜか命を狙われているが、記憶喪失に陥ってしまったため現状が理解できないラングドン教授は、必死に追っ手から逃げ、自分が果たすべき役割は何なのか、暗号を解きながら徐々に真相に近づいていくという物語。

さて、この映画の発端は、アメリカの大富豪であり生化学者のゾブリストが、あることを考えることに起因しています。

彼は、爆発的に増え続ける人口増加が食料不足や環境破壊、貧困を引き起こしているとし、このままでは人類は100年後に滅びてしまうと見定め、全人口の半数を殺戮するウイルスを開発します。

この映画では、
100年後の人類滅亡」or「今人類の半分を滅亡させて生き残る道どちらが正しい未来なのか、究極の質問を投げかけているわけです
中々深いテーマですね。

ゾブリストは追っ手から逃走後自殺をしますが、そのウイルスの手がかりを、詩人ダンテの『インフェルノ』をモチーフとした画家ボッティチェリの「地獄の見取り図」に書き込み、ありかを伝えようとしていました。

20100108_857192

-Trip Mania- 地獄の見取り図(インフェルノ) より引用)

この見取り図は、9つの階層に分かれ、地獄の亡者たちが様々な責め苦を受けているといいます。
拡大してみると、うごめいている人が確かに確認できますが、なんともおぞましい絵ですね。

「地獄の見取り図」作者・ボッティチェリとは

皆さんは、この絵の作者・ボッティチェリという画家の名前を聞いたことがあるでしょうか。

ヴィーナスの誕生」という絵は、一度は見たことがあるかもしれません。
結婚祝いに描かれたとも言われている優美な絵画です。

la-nascita-di-venere-botticelli

La nascita di Venere di Sandro Botticelli: analisi より引用)

ルネサンスの時代、ボッティチェリは、当時権力を握っていたメディチ家のお抱え絵師として活躍しています。

ロレンツォ・デ・メディチ、通称ロレンツォ豪華王は、学者や芸術家を招待し、プラトン・アカデミーという集まりを開催していました。
このアカデミーではギリシャ思想、特にプラトン哲学を学び、古代の知恵を取り入れようと議論を交わしていました。

また、ロレンツォ豪華王は自ら恋愛日誌のような詩集をつくり、ダンテの詩からも影響を受けていたと言われます。

ボッティチェリが描いた「地獄の見取り図」も「ヴィーナスの誕生」も、このプラトン・アカデミーの影響を色濃く受けていました。

欲望の最大化を追求するロレンツォ豪華王と、厳格な信仰を訴える怪僧サヴォナローラ

ロレンツォ豪華王は、名前のごとく派手な生活をしていました。 妻の他に愛人もおり、それにも飽き足らず、真昼間からナンパをしていたといいます。

また、彼は美術品の収集家であり、数多くの宝石コレクションや壷に加え、金メダル200枚、銀メダル1,000枚を有していたことが分かっています。 カーニヴァルの際には、人々の先頭にたって祭りを指揮し、自作した歌を披露していたとか。

欲望の最大化が自身の幸せにつながると信じて疑わなかった人です。 しかしその幸せも長くは続きません。やがて近隣諸国との戦争に巻き込まれ、その後、病気に冒されてしまいます。

一方、メディチ家の華美な暮らしを堕落と見なし、フィレンツェの人々の送る生活を「豚のような生活」と激しく批判する人物が現れました。

彼の名は、サヴォナローラという修道士。”怪僧”という異名を持ち、ある意味カリスマ的存在として認められ、政治にも影響を及ぼしていました。
サヴォナローラは、自身を神の予言者と位置づけ、厳格な信仰を民衆に求めることで、地上に「神の国」を実現させようとしました

そしてメディチ家が象徴していた「贅沢」は悪と見なし、美術品や豪華な装飾品は虚飾に過ぎないと、広場に山と集めて焼き払ってしまいました

このとき、ルネサンス芸術の一部が失われてしまいます。 中でも、この過激な修道士の影響を受けたのが画家のボッティチェリだったのです。

「一体真実はどこにあるのか」ボッティチェリが絵画に込めた思い

ボッティチェリの作風は「ヴィーナスの誕生」のような優美な絵画から、暗い陰鬱な絵画へと変化していきます。

hibou_-1000x675

日伊国交樹立150周年 ボッティチェリ展 より引用)

これは「アペレスの誹謗」というテーマの絵画です。
実はこの絵、登場人物に次のような意味が与えられています。

アペレスの誹謗注釈

ボッティチェリの心境を描いた絵とも言われていますが、彼はこの絵を通して何を伝えようとしたのでしょうか。

欲望を抑制するように、厳格で過激な説教をしたサヴォナローラは、やがて民衆の支持を失い、最終的には拘束され火あぶりの処刑をされています

この絵の左端に“真実”を象徴する裸の人物がいます。

欲望の最大化を目指したロレンツォ豪華王も身を滅ぼし、そのロレンツォ豪華王を鋭く批判し厳格な信仰を民衆に求めたサヴォナローラも処刑される…

激動の時代を生きた画家・ボッティチェリは一体真実はどこにあるのか、「アペレスの誹謗」を通して投げかけていると感じます

「快楽主義」と「禁欲主義」どちらが幸せになれるのか

欲望の最大化することが幸福と捉える考えは快楽主義といわれ、反対に欲望の最大化を悪とし、欲望を抑えて安らかな幸福を得ようとするのは禁欲主義といわれますね。

それでは仏教はと言えば、サヴォナローラが説いたような禁欲主義をイメージされる方が多いのではないでしょうか。

欲や執着を起こしてはいけない、できれば断ち切りなさい、と教えているのが仏教だと思うから、禁欲主義につながるのでしょう。

ところが仏教を説いたお釈迦さまは、欲望を満たして幸せになる、欲望を抑えて幸せになる、このどちらの方法を実践しても最終的には幸せにはなれない、と教えています

際限なく広がる欲を満たし切れずに苦しんでいるのが人間であり、また欲をなくそうとしても吹き上がってくるのも人間です。
ロレンツォ豪華王とサヴォナローラの最期を見るに、快楽主義と禁欲主義には限界を感じますね。

対しては仏教では 、その欲や執着をなくしたり減らしたりすることなく、欲や執着あるままで幸せになれる、「煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)」という概念が教えられています。

それはただ単に欲を満たすことで得られる一瞬の幸せとは異質の幸せです

その幸せとはどのようなものなのか。
それは煩悩とは何かがよくわからないと、知ることはできませんね。

煩悩について詳しく解説している記事もありますので、ぜひ読んでみて下さい。

この記事をきっかけに、仏教に関心を持っていただければ幸いです。