「あなたは、殺人犯ですか?」映画『怒り』衝撃の結末から知る、愛する人を信じられない人の心【後編】※ネタバレ注意

ーーあなたは、殺人犯ですか?

映画上映中の『怒り』で描かれる、人を「信じる心」。

愛する人を信じるという当たり前のことは、実は何より難しい。

そんな人間の本質について、前編に引き続き、仏教の見地から解説していきます。

ikari-movie-com

映画『怒り』公式サイト より引用)

※前編はこちら

※物語の核心部分でのネタバレがありますので、今後映画や小説をご覧になる予定の方はご注意下さい

謎の男・大西直人が突いた、人間が誰かを信じる心の本質

大手通信系の会社で活躍し、一夜限りの男を探すのが日課だった藤田優馬。ひょんなことから、住所不定の青年・大西直人と同棲するようになります。

映画版では妻夫木聡さんが実際に綾野剛さんと同居をして、役作りをしたことでも話題を呼びました。

ある日の夜、直人に

「俺、お前のことまったく信用してないから」

と言った優馬の言葉を直人は鼻で笑い、

疑ってんじゃなくて、信じてんだろ」と真顔で言いました。

「お前のこと疑っているから」と言うのは、「お前を信じている」と告白しているのと同じこと。

裏返せば、人は誰かを疑わずして信じることはできない。どんな大切な人であれ、100%その人を信じることは人間にはできないのです

直人が突いたのは、人間が誰かを信じる心の本質でした

共に暮らすうち直人は、余命僅かな優馬の母親がいるホスピスに行きたいというようになります。
直人は日課のようにホスピスに通い、母は直人に優馬の子供時代のことを嬉しそうに語るようになりました。

母親の最期の日まで献身的に傍にいた直人は、親族たちにも家族のように認められていきます。

一緒に墓入るかって、俺に訊いたろ?一緒は無理でも、隣でもいいよな

母親の墓を建てるため、共に霊園に行った日に直人から告げられたこの言葉。
望んでも直人と結婚できない優馬にとっては、プロポーズよりも重い言葉でした。

しかし同じ頃、優馬の周囲では空き巣が多発。
さらにカフェで女性と会話をする直人を見た優馬は直人への信頼が揺らいでいきます。

愛している人を信じる

当たり前のはずのことができなくなっていく優馬に追い打ちをかけるように、ある日、テレビの特集で一昨年八王子で起きた殺人事件の容疑者・山神一也の手配写真が放送されます。

山神一也は直人と出会った新宿二丁目にいたという目撃情報があり、右頬には直人と同じ、三つ並んだホクロがある…

帰ってきた直人に、思わず優馬は聞いてしまいました。

お前さ……、まさか殺人犯だったりしないよな

翌朝、直人は失踪します。

愛しているのに疑ってしまう「疑」に苦しみ悶える優馬

信じたいと思うほど、疑ってしまう心に優馬は苦しめられ、眠れない日が続きます。

どんなに深く愛している人であっても、その人を100%信じることはできない

これは人間に「疑煩悩(ぎぼんのう)」というものがあるからです。

疑 (ぎ)は、仏教が教える煩悩のひとつ。

疑ーーーWikipedia

煩悩とは、人を煩わせ、悩ませるものという意味で、私たち人間には108の煩悩があると、仏教で教えられています。

煩悩というと、欲や怒りの心が代表的ですが、実は人を疑う心も煩悩のひとつ

この疑煩悩により、私たち人間は、信じて当然の愛している人さえ100%は信じられません

そもそもどんなことも100%信じてしまっては、私たちは騙されてばかりでまともに生きていけなくなります。
たしかに身近に殺人犯が本当にいたら、疑煩悩がなければ自分の身を守ることはできませんね。

疑煩悩なくしては人間は生きていけないのです

優馬に突きつけられる『怒り』衝撃の結末

ある日、上野警察署から優馬に電話が入ります。

「大西直人さんという方をご存知ですか?」

うまく呼吸ができない。膝が震え出し、ドアノブを強く握った。

「知りません。……知りません」

優馬はそう答えていた。

携帯を握った手が尋常じゃないほど震えている。

「藤田優馬さん、ですよね?」

「ええ」

「大西直人……」

「知りません」

警察から電話が来た。やはり直人は殺人犯だった。友人たちの家に空き巣に入って捕まり、取り調べの中で山神一也だったと分かったんだろう。

優馬はそうとしか思えませんでした。

しかし後日、テレビにニュース速報が流れます。

沖縄で十六歳少年が男性を刺殺。

刺された男性が一昨年の「八王子夫婦殺人事件」の容疑者山神一也と判明。

直人は山神一也ではなかったのです。

「俺みたいな奴のこと信じるなよ……。」

経験したこともないような感情が湧き上がってくる。

直人がそんな男ではないと分かっていたくせに、最後の最後で信じてやれなかった

上野署から連絡があった時、俺はあいつを裏切った。

大西直人という男など知らないと言った。

あの時、俺は逃げた。あいつを裏切って逃げたのだ

後日優馬は、以前直人とカフェで話していた女性から直人の全てを聞きます。

直人が四歳の頃両親を亡くし、施設で育ったこと。働きながら高校を卒業、国家資格を取ろうとしていた矢先、心臓に不治の病が見つかったこと。

直人は優馬のことを強くて堂々とした人だと、幸せそうに語っていたこと。

直人は心臓疾患のため上野公園内で死亡し、死後数日経ってから発見されたこと。

唯一残っていた持ち物に、優馬の名前と電話番号が書かれていたこと…

直人が死んだ場所を探して、ただ歩いた。彼女から聞いた場所を探して、歩いた。

鬱蒼とした暗い小道が見えた。

そこに行けば直人がいそうだった。

気づかぬうちに駆け出していた。

二つ並んだベンチの裏、ツツジの植え込みの奥に横たわっている直人が見えた。そこにいるはずもない直人が見えた。植え込みに飛び込み、葉を掻き分ける。そこには冷たい地面しかない。

「何してんだよ……。なぁ、直人、こんなとこで何してんだよ」

思わずそう口にした瞬間、涙が溢れた。

俺みたいな奴のこと信じるなよ……。

なんで、俺みたいな臆病者のこと、信じるんだよ……

直人は自分を信じてくれていたのに、優馬は直人を山神一也だと思い裏切った。悔やんでも悔やんでも悔やみきれない自責の念が優馬を襲います。

一方直人は、優馬を100%信じていたのでしょうか。

優馬に自分の生い立ちや病のことを一切言わないままこの世を去ったのは、

直人も「自分のような男を、本気で愛してくれるだろうか」とどこかで優馬を疑っていたからではないのか

もし全てを打ち明けることができたら、二人には全く違う未来があったかもしれません。

疑煩悩によって、相手を真剣に想っていたことをお互い伝えられないまま、永遠の別れを迎えてしまったのでした。

「本気で愛したこと」と「信じられなかったこと」は別

二人は互いを100%信じられませんでしたが、それはイコール脆い関係だったということではありません

警察から電話を受けたとき、優馬はこう思っています。

直人がそんな男だと分かっていれば、家に泊めたりしなかった。

一緒にいてあんなに幸せを感じることもなかったし、あんなに好きにもならなかった。

いや、ほんとにそうだろうか

あいつがどんな男であっても、一緒にいた間に感じた気持ちは本物だった

直人と暮らし、生まれて初めて思った。大切なものなんて一つでいいんだと。

こいつさえいれば、自分は幸せなんじゃないかと

全てが解決したあと、優馬は母の遺骨が入った墓の前にいました。

「母さん……、直人……、来たよ」

しゃがみ込み、墓石に触れる。墓石には母の名と共に直人の名も並んでいる。二人の名前に触れ、「来たよ」とまた呟く。

「母さん、兄さんたちのこと、見守っててよ。直人、母さんのこと頼むな。

……それと、俺、もう大丈夫だから。全部、お前のおかげだから。

ありがとう。……直人、ありがとな」

怒り(下)

直人の遺骨が共同墓地に入っていることを知った優馬は、兄の反対を押し切り、母親の墓に直人の遺骨を埋葬しました

その墓は、男性しか愛さない優馬の遺骨が将来入る場所。

「一緒に墓入るかって、俺に訊いたろ?一緒は無理でも、隣でもいいよな」

直人が言ったこの言葉に優馬が出した、全てが遅すぎる答えでした。

疑煩悩から殺人犯ではないかと疑った優馬ですが、直人への愛情は生涯の伴侶に向けた愛情。

人を疑う疑煩悩から一生離れられない私たちにとって、本気で人を愛することと、その人を疑わずに100%信じることは決して両立しないのです

映画『怒り』公式ホームページには

人を信じることは難しく、大変な行為であると感じました

という感想が寄せられています。

もし自分の愛する人が、殺人犯かもしれなかったら?

この問いに100%自信を持って「そんなことありえない」と人は言えるのか

『怒り』は私たち人間の「信じる心」と「疑う心」の本性をあまりにも、ありのままに剥き出しにした作品でしょう。