はじめまして。Racchiと申します。女子高生です。
春休みもおわり、新学期が始まりました。
初投稿となる今回、“せか猫”こと、映画『世界から猫が消えたらなら』から感じたこと、仏教との関係をつづっていきます。
(映画『世界から猫が消えたなら』公式サイト より引用)
2016年最も泣ける映画はコレ!
映画『世界から猫が消えたなら』は、川村元気さんによる感涙ベストセラー小説が映画化されたものです。
原作は2013年に本屋大賞にノミネートされ、その後文庫化・コミック化、そして中国・韓国・台湾で出版もされて累計発行部数100万部突破。「2016年最も泣ける映画」として話題を呼びました。
絵画のように美しいロケーションがとても印象的で、舞台となった函館・小樽、アルゼンチン・ブラジルの情景のコントラストが素晴らしく、映画館の大映像で見られなかったのがとても残念です(´;ω;`)
『世界から猫が消えたなら』あらすじ
「僕」は医者の診察を受け、末期まで進行した脳腫瘍と告知されるところから始まります。
家に戻ると、自分そっくりの容姿の「悪魔」と名乗る者が現れたのです。悪魔は「世界からひとつなにかを消すと、1日寿命が伸びる」と告げ、僕の周囲にある「物」を消し去ることを提案します。
そして悪魔は、電話に映画、時計と次々に僕がこれまで当たり前にしていたものを消していき、それによって「僕」は一日生きながらえます。
しかしその「物」をきっかけとして出会えた恋人、友人、家族との大切な関係や思い出も消えてしまうのです。
☆Pick Upしたいポイント
- 世界から○○がきえたなら
- 失って初めて気づく大切な事
- 世界から私が消えたなら
- 「私が存在している意味」
① 世界から○○が消えたなら
悪魔が現れてからの一日目、僕は、電話が世界から消されると、電話がなければ出会わなかった元彼女の大切さに気付きます。
二日目は映画が消される日。映画が縁となり仲良くなった親友との絆に触れました。また三日目は、彼女と行ったブラジルでの思い出がどれだけ自分にとってかけがえのないものだったのかを痛感したのです。
「僕」のように、もし自分にとって大切なものがなくなるとしたら…と考えると、今まで当たり前にしていたものがいかに希少で、大切さであったかを思い知らされます。
② 失って初めて気づく大切なこと RacchiVer.
私が失うことを考えたのは、両親です。どれだけ疲れていても苦しくても、両親は私のために働いて、愛情をくれています。
私は中高一貫の私立に通っているので、公立に行けば本当はタダの授業でも、将来のためにと学校に行かせてくれています。
両親がいなくなったり、記憶がなくなってしまうときが来たら…二人のために私は何も恩返しできていないのではないか、とその時になってようやく気が付くことでしょう。
だから今、記憶があるうちに、お互い命があるうちに、感謝して大事にしていきたいと思うようになりました。
私の好きなバンド「bump of chicken」の『花の名』という歌に、
生きる力を借りたなら 生きているうちに返さなきゃ
という歌詞があり、激しく共感しました。両親だけでなく、今お世話になっている人にこんな思いで接していけたらな、と思いました。
失うことを考えるのは、後悔のないように終わる第一歩になるかも知れません。
③ 世界から『私』が消えたなら
そうはいっても、大切にしていたものにはいつか、お別れをしなければなりません。
大切にしていたおもちゃが壊れたり、長年付き合っていた彼氏にフラれたり、信頼していた友人に裏切られたり、事故で家族を亡くしたり…。その一つ一つはどれもとてもツライものですが、たとえそんな悲しい別れの経験のない人も、自分が死ぬときは、すべてと別れてゆかねばなりません。
映画では、ブラジルで会った日本人・トムさんという人が突然亡くなり、彼女がイグアスの滝に向かって叫んでいる衝撃のシーンで、こう言いました。
何にも変わらないんだね
トムさんが死んでも、この世界は何にも変わらない
トムさんって人がもともと存在しなかったみたい
なんでだろう?あんなに一緒にいたはずなのに、私だって悲しいかどうかもわからない
私が死んだら、泣いてくれる人はいるのかな
それともやっぱり、この世界はいつもと変わらない朝を向かえるのかな
私がここにいてもいなくても、世界は少しも変わらない。
そんなちっぽけな私の存在に、どんな意味があるのだろう。いずれ離れてゆく幸せを求めて、そのために傷ついたり転んだりして、何のために生きているのだろう。
その答えまでは、この映画には描かれていません。
④ 「私が存在している意味」
お釈迦さまは、
天上天下 唯我独尊
と教えられました。今日では誤解されている言葉ですが、本来の意味は、
「私たち人間には、果たさなければならない、ただ一つの大事な使命があるのだよ」ということです。
仏教には、死に直面したときに突きつけられる「私が存在している意味」について、論理的に教えられています。大切なことが教えられている仏教を、ぜひ皆さんと、これからも学んでいきたいです。
『天上天下 唯我独尊』について詳しく解説した記事もあるので、読んでみてください。
最後までお読み下さりありがとうございました!またお会いしましょう♪