“カルマ”(業)の本来の意味とは?ベストセラー小説『殺人鬼フジコの衝動』から解説

こんにちは、YURAです。
先日レンタルビデオ店で、なんとも異様なジャケットに目を引きました。それは、尾野真千子主演「フジコ」でした。

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このドラマは、イヤミス(嫌な気分になるミステリー)として話題になった、真梨幸子のベストセラー小説「殺人鬼フジコの衝動」が原作なのですが、当初は「過激すぎて映像化は不可能」といわれていたそうです。

今回、この作品を取り上げたいと思ったのは、劇中で“カルマ”という用語が、殺人鬼フジコを語る上で外せない用語だったからです。実はこの“カルマ”というのは、仏教用語なのです。

「フジコ」のあらすじ

まずは「フジコ」のあらすじを紹介します。

フジコは幼い頃、ひどい虐待に遭っていました。貧乏だけど見栄っ張りな母親は、子どもには一切お金をかけず、そのくせ周りの人には羽振りよく振る舞う、そんな人でした。

そんな幼少期を経験したフジコですが、11歳の時、一家惨殺事件が起こり、フジコは家族でたった1人の生き残りとなりました。悲劇を乗り越え、新しい人生を歩もうとしていたフジコは、母親のようには絶対になりたくない、と懸命に生きようとします。

この物語に何度も出てくる言葉に、“カルマ”という言葉があります。フジコにとって“カルマ”とは「持って生まれた運命」でした。

もともと劣等感の強かったフジコは、カルマへの恐れと不安の中、どうすれば幸せになれるのかと、幸せを追い求めます。
しかし、「所詮親のようにしか生きられない」と呪いのように繰り返される言葉に精神を蝕まれ、少しずつ歪みが生じ、「殺人鬼フジコ」へと変貌していきます

そんなフジコを知るある人物の遺した記録という形で、謎と悲劇に満ちたフジコの一生が描かれている作品です。

“カルマ”(業)の本来の意味

“カルマ”という単語を、皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。

カルマはサンスクリット語の“karman”のことで、お経では(ごう)と意訳されています。業は仏教の基本的概念であり、「行為」を意味します。

業 – Wikipedia

業そのものは、善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生するもの、と仏教では説かれています。

業(ごう)にも三通りあり、三業(さんごう)といわれます。

三業は、

  1. 身体の行いである身業(しんごう)
  2. 口の行い、すなわち喋ることの口業(くごう)
  3. 心の行い、つまり心で何かを思うことの意業(いごう)

の三つがあり、その自分の業(行為)によって、私自身が作り上げられているのです。

三業 – Wikipedia

しかし、フジコにとっての“カルマ”とは、自らの行為でなく、親から受け継がれる運命ようなものだったのでしょう。

親と子の顔かたちが似ていることからも、私たちが親の遺伝子を受け継いでいることは言うまでもありません。

また、性格も然りです。親と似た性格を持っているなと、思い当たる節がある方もいらっしゃるのでないでしょうか。性格は、生活する中で似てきたり、家庭環境に影響されるということはあると思います。

しかし、顔かたち、性格が似ていたとしても、行為をする主導権が自分である以上、親から子へと運命が受け継がれるということは絶対にありません。「私」自身の行為は、親といえども、どこにも他人は入ってこられないからです。

自らの行為によって運命はいくらでも変えられる

フジコの娘も、母親と同じようになりはしまいかと悩まされますが、彼女のセリフの一節に、次のような文章があります。

貧乏は、環境や社会や制度が作り出すものじゃない、どんなに社会が寛容になって貧乏をなくそうと努力しても無駄なのだ。

無計画でその日暮らしでだらしなくてお調子者で変なところで散財するような人たちは、お金がどんなにあっても結局は、破綻するのだ

少ない給料でも、計画的に明日のことをちゃんと考えている真面目な人たちならば、必ず生活は向上する

同じ環境や社会に生きていても、あるいは同じ親から生まれた兄弟でも、全く同じ人生を歩む人はいません。

確かに、フジコのように虐待する親の元に生まれた子供は、不憫でなりません。しかし、その親と同じ運命を背負って生きなければならないことはないのです

「わたしは、お母さんのようにはならない」
「わたしは、お母さんとは違う」

こんなフジコのセリフが、何度も繰り返し出てきます。しかし、言葉では否定しながらも、フジコは、母親と同じような運命を受け継いでいるかもしれない、何をやっても無駄だと思っていたのかもしれません

フジコはただ、純粋に幸せになりたかっただけです。幸せになろうとしても幸せになれない、そのジレンマにフジコはもがき苦しみ、いつしか自分の人生をリセットするようになります。

親から子へと運命が引き継がれることはない。自らの行為によって運命はいくらでも変えられる」とフジコがカルマの意味を正しく理解していたなら、フジコの人生は狂うことなく、好転していたかもしれません。

私たちにも
「自分は何をやってもうまくいかない」
「こんなに不幸なのは、そういう運命なんだ。あきらめるしかない」という思いがこみ上げることもあるでしょう。

そんなときこそ、カルマ本来の意味を思い出していただきたいです。

参考URL:殺人鬼フジコの衝動 – Wikipedia

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