前世はあるのかないのか。韓国ドラマ『トッケビ』からみる三世の真理※ネタバレ注意

http://post.naver.com/viewer/postView.nhn?volumeNo=5668264&memberNo=1754831より

“私の前世は何だったのかな?”

“犬かな?猫かな?”“俺、蚊かも…”

幼い頃、友達とそんな会話をしたことはありませんか?

こんにちは、YURAです。

今回はあの“太陽の末裔(태양의 후예)”のスタッフが再集結した大ヒットドラマ“トッケビ(도깨비)”から、過去世(前世)・現在世・未来世の三世はあるのかないのか、多くの人が抱いたことのある幼い頃からの疑問を、“トッケビ”を通して、仏教の目線で検証していきたいと思います。

https://youtu.be/RipxcuCSgNA

衛星劇場

『トッケビ』あらすじ

高麗時代(日本の平安から室町時代)、一人の側近によって、王族が秘密裏に次々と殺され、幼い王子が王位につきます。

当時、高麗の英雄として名を馳せていた武臣・キムシンは、王家の行く末を案じた前王からの遺言により、妹を王妃とし、見守る約束を果たそうとします。

ところが、側近に上手く操られた幼い王の嫉妬から、逆賊に仕立て上げられ、キムシンの家族、関係者、王妃までも殺されてしまいます。さらにキムシンは、永遠に生き続けるトッケビになる呪いをかけられてしまうのでした。

それから900年、死ぬことが許されないトッケビは、呪いが解ける唯一の方法、“トッケビの花嫁”を探して生き続けます。

その中で一人の死神と出逢います。

死神も不老不死ですが、トッケビと違い、自分の過去世や名前はわかりません。ひょんなことからトッケビの家に転がり込むこととなり、物語が展開していきます。

そんな死神は、ある人間に恋をします。

店の美人オーナー“サニー”です。

死神とサニーはお互い惹かれ合うのですが、ある日、自分たちの過去世を知ってしまいます。

それは皮肉にも、死神はかつての高麗の幼い王であり、サニーは過去世の死神が殺めたかつての王妃であり、トッケビの妹でした

仏教で教えられる、過去世と未来世がある理由

私たち人間は、“過去”と“未来”はよくわかります

『昨日はこんな仕事をした』『先週末は友達とカフェに行った』という過去。

もっと突き詰めていくと、一分、一秒前はすべて過去といえるでしょう。

また、来年はどういう年にしようかな、と考えるのは、自分に未来があるだろうと思っているからです。

しかし、生まれる前や死んだあとのこととなると、突然わからなくなります

仏教では生まれる前のことを、“過去世”死んだあとのことを“未来世”と教えられます。

私たちは、過去世のことは覚えていないし、死んだ後の未来世があるかどうかなんて、誰も分かりません。

でもよく考えてみてください。

生まれてから今まででも、忘れている過去はあります

例えば、0歳の頃の記憶はありますか?ほとんどの方が、忘れているのではないでしょうか。

しかしそれは、忘れているだけで、『0歳の私がなかった』というわけではありません。現在の自分は、過去の自分があって成長し、そして今があるわけです。

仏教では、私たちが忘れているだけで、一人一人に過去世があり、また、わからないだけで、未来世もあると教えられています。

お釈迦様は、このように仰っています。

汝ら、過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ

(因果経)

“過去に、どんな種まきしてきたかを知りたければ、現在の結果を見なさい

未来、どんな結果が現れるかを知りたければ、現在の種まきを見なさい、分かるであろう”

今私たちがこの世に生を受けたという結果には、必ず原因があるのです

人生いきなり20代からスタートする人はいません。

ましてや、全世界約70億人の一人一人の顔かたち、生まれた場所、性格など、すべて違います。

もし一人一人に過去世がなければ、それぞれ違う結果を受けるということは考えにくいですね。

過去という原因が、今の私を生み出しているのです。

劇中でも、キムシンは、英雄として名を上げた一方、それだけ多くの命を奪ったということです。それは紛れもない罪であり、その罪によってトッケビという“死ねない命”となりました

また、幼い王も、操られていたとはいえ、キムシンの一族を逆賊に仕立て上げ、虐殺し、その罪によって死神という今の姿となったのです。

すべて、過去世で起こした罪によって、現在の姿が描かれていますね。

色んな縁があって今の私がいる

また、私たちには日々支えてくれている周りの人がいます。もちろん嫌な上司、中には会いたくない人もいるでしょう。

人生で出逢える人は、果てしなく限られています。そんな中、この人たちと、この世で偶然出逢ったと思えますか?

昔から、『袖触れ合うも多生の縁』というように、私とその人に、過去世で何らかの縁があったからこそ、今こうして出逢ったのです。

過去世、現在世、未来世の三世があって、強い縁があったからこそ現在の縁があり、トッケビや死神でいうと、罪を償うことができるのかもしれませんね。

このように、不老不死のトッケビや死神がいるかどうかはさておき、過去世・現在世・未来世という点においては、私たちが忘れている、または理解できないだけで、“ある”と教えられたのが仏教です。

では、色んな縁あって生まれた私たちが、現在世ですべきことは何か。死んだあとはどうなるのか。

仏教に詳しく教えられていますので、深く学んでいっていただけたらと思います。