コロナ規制が緩和され、街を行き交う人も増えた印象があります。
毎日でなくとも、週に数回の出社をされる方も多いと思います。
かく言うナッチョも、外での打ち合わせが増え、以前の生活に戻ってきた実感があるこの頃です。
会いたかった友人や同僚との再会に喜ぶ反面、苦手な上司や取引先との再会に、気持ちが沈む方も多いのではないでしょうか。
今回は苦手な人に会う苦しみについて、私ナッチョの船での実体験を元に深堀りしていきます。
一緒にいる人によって、私たちの気持ちは左右される
船員は会社の命令によって、乗る船が決まります。
会社から与えられた情報は船名だけで、乗組員の名前は一切知らされません。
乗船後に自分でメンバーの確認を取るのですが、苦手な先輩が乗っていると判明した瞬間、一気に憂鬱となります。
同じ船に乗ると、数ヶ月は閉鎖的な毎日を一緒に過ごすからです。
トイレや食堂、洗濯場といった、本来プライベートな空間も共用スペースとなっているため、毎日どこかで鉢合わせすることがあります。
私は共有の浴室に入ろうとした時、苦手な先輩の下着が着替え室にあった瞬間、音を立てずに自室へ戻ったことがありました。
結局、先輩は下着を忘れたままであり、浴室には誰も居なかった…なんてことも、よくありました。
苦手な先輩と、職場だけでなく、個人的なスペースも共有することは本当につらいことです。
そういった船上生活に比べ、陸上の仕事では基本的には毎日帰宅することができます。
休日は遊びに出かけ、大切な人とリフレッシュすることも可能です。
苦手な人が職場にいても、対策を練ることもできます。
船員の場合、休み時間でもスマホの電波がなく、陸上にいる友人と相談することも悩みを打ち明けることも、満足にできません。
ゆとりの無い環境だからこそ、一緒にいる人によって精神状態が左右されるのが船員という仕事なのです。
思い通りにいかない「出会い方」から哲学をする
船という極端な例を挙げましたが、人の悩みの大半は人間関係にあると言えます。
どんなにつらい状況でも、同じ方向に向かって進む仲間がいれば、励まし合って乗り越えて行けます。
反対に、容易い任務や業務内容でも、ウマが合わない先輩や後輩では苦痛に感じてしまうでしょう。
人との関わりでつらいことは、出会う相手を自分で選べないところではないでしょうか。
「もっと、こんな先輩だったら良かったのに」や、「次に来る後輩はこうあって欲しい」は、万人が口にする言葉だと思います。
しかしそういった希望は、自身の願望でしかありません。
今の職場を選んだのも自分であり、自分と同じ職場を選んだのも先輩と後輩ならば、やはり似たような傾向や癖、課題を持っていることが多いのです。
思い通りにいかないからこそ、事実を受け入れて、人との出会いについて哲学をしたほうが賢明と言えます。
大切なことは好き・嫌いではなく、理解をすること
出会い方から哲学をしても、つらいものはつらいです。
私も苦手な人とは、会う前から冷やせをかいたり、気持ちが消沈したりします。
こういった嫌いな人や苦手な人と、会わねばならぬ苦しみについて、仏教では怨憎会苦と教えられています。
呼んで字のごとく、怨む・憎しむ相手と会う苦しみの意味です。
人間の苦悩の原因をあげた四苦八苦の1つであり、人生において逃げることのできない苦しみとして説かれています。
苦手な相手とは、会うと考えただけでも気が滅入ったり、メールが来ただけでも憂鬱になります。
例え克服しても、環境によって新たに苦手な相手が出てくるでしょう。
怨憎会苦は人生において止めどなく、どうしようもない苦しみなのです。
そういった苦しみの本質を理解した上で、私たちにできることは、苦手な相手の素晴らしいところ、足りないところを理解することです。
素晴らしいことすら見つけるのが難しい!と思った方は外見・内面問わず、小さなところから始めることをオススメいたします。
私の場合は、当たり障りのないところから始めました。
家族の話をしている人には「家族想いなんですね」や、高価な時計をしている人には「似合ってます」と言ったような、当たり外れのない言葉を使いながら、「私はあなたを嫌いではありませんよ」雰囲気を醸し出して、一歩一歩着実に距離を縮めていきました。
ただの好き嫌いで人を判断することは、本質的な解決になりません。
私は苦手な人との出会いを克服した時、自己の成長があると考えます。
今後も海×仏教の記事を書いていきます。
興味のある方はぜひチェックしておいて下さい。