【第四回】仏教×LPのイベントで考える≪本当の≫ライフプランとは?

仏教×LP

仏教×LP(ライフプランニング)も最終回を迎え、会場はキャパオーバーではないかと思うほどの人で溢れ返っていました。

今回はLPパートを凄腕ファイナンシャルプランナーのシュンスケさんが担当。後半の仏教パートをエロス研究家ショーンが担当というスキのない2部構成。

会場にはいつも以上に女性の姿も多く見られ、みんな真剣に自分の人生に向き合う時間を持つ貴重な時間だったと思います。

仏教×LPの最終回、一体どんな話だったのか。そのエッセンスをお伝えしたいと思います。

 

前半:シュンスケさんパート

ファイナンシャルプランナー/キャリアカウンセラーとして活動する傍ら、大規模なチアダンスの司会やコミュニティスペースの運営までしているというシュンスケさん。

とにかく「イイ声」の持ち主で、今回は「お金の本質」「ライフイベント」について詳しく語ってくれました。

お金の本質とは?

シュンスケさん

お金を擬人化してみるとどんな人になるでしょうか?グループに分かれて考えてみてください!

ウッシー

うーん、何か厳しそうな顔をした恰幅のいいオジサンって感じかな…

シュンスケさん

日本人は特に、お金に対しては汚い、ネガティブなイメージを持っている人が多いんです。

でも、実はお金自身は無色透明。情報や経験をもとにお金にネガティブなイメージをつけているに過ぎません。

フラットにお金に向き合って、その本質を考えてみてください。お金の本質とはなんでしょうか

お金は価値を形にし、保存しやすくしたものとも言われますが、「信用」をカタチ化したものだということもできます。

 

また、現代においては信用は別のカタチで数値化されることもあります。

SNSのフォロワー数や、仮想通貨なんかはその最たる例です。こうやって別の指標で信用が数値化されていくため、「お金自身の価値がどんどん下がっていく」とも言われているんです。

 

実践ライフプランニング

次に、あなたの人生の中でどんなライフイベントが起きるのかを考えてみましょう。

登る山や高さは人によって違い、その山や高さによって準備が必要になってきます。

確かに未来のことはわかりませんが、だからこそ「備えあれば憂いなし」です。

ウッシー

ということで、1人1人実際にライフイベント表を書いてみました

自分の年齢だけではなく配偶者や両親の年齢、そしてその年齢の時に起こるイベントを書いていくと、親の介護が近かったり自分の老後が長かったりと色々な発見がありました。

シュンスケさん

ライフイベント表が全然埋まらないときは、次の質問を考えてみると良いです。

  1. あなたは死ぬまでにこれだけはやりたいということは何ですか
  2. あなたが亡くなった後にどんな人だと言われていたいですか
  3. あなたが生きていく上で大切にしている価値観は何ですか

 

こういう価値観や自分のやりたいことが何かを考え、それに沿って生きていくことで人は幸せになることができます

死ぬまでにやりたいことはやれていますか?もしかしたらそれは今すぐにでもやっていいことかもしれません。

実際にライフイベント表を書いて、自分の思い描いたことを1つ1つ行動に移していくことが大事なことです。

 

幸福の定義は人それぞれだけど…

『幸福の資本論』という本の中では幸福は「自己実現」・「自由」・「共同体(絆)」の3つから成り立つとしています。

言い換えれば、人的資本・社会資本・金融資産の3つをバランスよく組み立てていくことが重要になります。

「100年時代」と言われますが、老後は自分という資産をすべて失った後。いかに残りの資本・資産でカバーするか、またはどうやって一生働いていくかを考える必要もありますね。

ウッシー

ライフイベント表を実際に書いてみて、やりたいことややるべきことが少し見えてきました。将来のことを考えるとても貴重な機会になりました!

 

後半:ショーンパート

大学時代はエロスの研究に真面目に没頭していたというショーン。今回はスピーカーとして熱く仏教について語ってくれました。

今回のテーマは「メガネを捨てて人生を見つめる」という一見しただけでは意味不明なもの。

いったいどんな内容なのか、お届けしていきたいと思います。

メディアの風刺画

これはメディアの風刺画としてよく知られているものです。

メディアというレンズを通したことで、実際の被害者と加害者が逆転してしまっていますね。

でも、僕たちも「自分というメディア」を通して世界をみているんです。

 

誰もが自分のレンズを持っています。

そして、そのレンズが歪んでいたら世界は歪んで見えるし、レンズが赤ければ世界は赤く見えてしまうのです。

仏教では、ありのままにみることを「正見」と教えられています。

そして私たちには4つの間違ったレンズがある、これを四顛倒の妄念(してんどうのもうねん)と言うように教えられています。

ショーン

僕は最近、読む本、読む本に同じことが書かれている気になってしまいます。

でも、これって著者の言葉を通して自分の思考パターンをなぞっているだけだということですね…

ウッシー

それはわかりみが深いっすね…

四顛倒の妄念

「四顛倒の妄念」とは「常」・「楽」・「我」・「浄」の4つを指します。

私たちは常があり、楽であり、我と言う固定不変のものがあり、そして清らかであると思っていますが、お釈迦様はこれは間違いだよと非常にロックなことを言い放っておられるのです。

では、実際はどうなのかというと「無常」であり「苦」であり、「無我」であり「不浄」だというのです。ここでは、「無常」と「苦」について詳しくお伝えします。

 

諸行無常

諸行無常とは「一切のものは常がなく続かない」という意味。誰もが一度は聞いたことがある言葉だと思いますが、これは仏教しか教えていないことです。

人間はいずれは死にますが、いつか死ぬと理解することと、自分が死ぬと理解することは全く違うのです。

例えば、私たちはなんとなく今日は死なないと思っています。

明日になれば明日が「今日」になり、やっぱり死なないと思う。明後日になっても明々後日になってもこの心は変わらず、私たちは「永遠に死なない」と思っているのです。

 

ライフプランを考えるということ

私たちは永遠に死なない、常があると思っていても実際にはいつか死が訪れます。

こう聞くと「暗い話だな」と思うかもしれませんが、「残された時間は少ない」と思って生きる人生は変わってくるのです

 

仏教では「無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり」というお言葉があります。

これは、無常をよくよく見つめることは本当の幸せになる第一歩という意味。

そして、はじめという言葉に「一」という漢字が使われているのは、「ここからしか始まらない」から。

 

自分に残された時間はもしかしたらもう少ないかもしれない。その時誰とどのように過ごすのか。

無常を真剣に見つめたとき、本当のライフプランニングができるのではないでしょうか。

ウッシー

自分に残された時間がどれくらいなのか」ということは深く考えていなかったなと反省…

自分の死というものを考慮して、はじめて見えてくるものがあるなと感じました

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