芥川龍之介【本当の】死因とは?「ぼんやりとした不安」を徹底考察!

こんにちは。ウッシーです。

文豪ストレイドックス」というアニメの影響で、若い人にも文豪作品が読まれているようです。

「ちょっとキャラを美化しすぎじゃない?」とも思いますが、カタイ文学作品に触れるきっかけが増えたのはいいですよね。

今回は、そんな文豪たちの中でも、私が大好きな芥川龍之介にスポットを当てて考察をしていきたいと思います。テーマはズバリ、なぜ、芥川は自殺をしてしまったのか」「彼が遺した言葉の意味は何なのかということです。

稀代の天才作家が何を考え、どう苦しみ、そして最後を迎えたのか。

一緒に考えていきましょう。

芥川龍之介の生涯と死因

本棚
若くから天才性を発揮したが、35歳で自殺…

まず、芥川のことをサラッと紹介しておきましょう。

彼は1892年に東京に生まれました。幼いころから優秀な成績で、現在の東京大学に合格。その後は文学活動にいそしみ、あの夏目漱石のもとで研鑽を積みます。

そして、発表した「鼻」という作品が漱石から大絶賛され、作家としての道を歩いていきました。芥川は古典をアレンジした短編小説を得意としており、代表作には「羅生門」や「地獄変」があります。

輝かしい業績を残した、まさに天才作家だったのですが、晩年は偏頭痛に悩まされていたり、精神的に衰弱していたりしたとも言われています。

そして、1927年7月24日に、芥川は自ら命を絶ってしまいました

 

その死因については様々な推測がなされていますね。代表的なもので言えば、「睡眠薬を飲んだ」というものや「青酸カリを使った」と説が唱えられています。

いずれにしても、彼が自ら命を絶ってしまったということは間違いありません。問題は「芥川は何を考えて、そんな選択をしたのか」ということですが、それは彼が遺した言葉にヒントがあると私は思っています。

中でも一番有名なのは「ぼんやりとした不安」という言葉でしょう。いったいこれはどういう意味なのか、深い部分まで考えていきたいと思います。

「ぼんやりとした不安」とは何のこと?

考える男性
芥川は何を考えていたんだろうか?

芥川が自殺前に遺したとされる言葉で有名なのがこの「ぼんやりとした不安」というフレーズです。

もっと詳しく言えば、「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」という言葉で、芥川が旧友に送った手紙の中に登場します。(この手紙自体は青空文庫にも『或旧友へ送る手記』として残っており、無料で読むことができます。)

 

この手紙を読んでみると、芥川は以下のようにとても興味深いことを語っています。

・世の中で言われる病気の苦しみや精神的な苦痛は自殺の動機の全部ではない。

・僕(=芥川)の場合はただ将来に対するぼんやりとした不安だ。

・「生きるために生きている」われわれ人間は哀れだ。

ものすごく、後ろ向きなことを芥川は語っているように思いますが、これは一体何を言っているのでしょうか。順に整理して考えていきたいと思います。

本当の自殺の動機とは?

ブロンズ像
病気や精神的なつらさでも自殺を考えるけど…

まず、彼が言っている「病苦や精神的苦痛は自殺の動機のすべてではない」というのはどういうことでしょうか。

僕たちは、肉体的・精神的に苦しければ自殺を考えますよね。

「どうして俺がこんなに苦しい思いをしなければならないんだ…」

「こんなに苦しいなら、いっそ…」

という風に、自ら命を絶ってしまう人も大勢いるでしょう。

 

ですが、芥川は人が自殺するのはそれだけではない、「将来に対するぼんやりとした不安」があるからだと言っているのです。

でも、この「ぼんやりとした不安」とはどこから出てくるのでしょうか

彼の言葉から考え、僕はあるひとつの結論にたどり着きました。

苦しみの先にも苦しみがある

雲と飛行機
毎日の延長が人生、ということは…

先ほども挙げた言葉の中に、「人間は生きるために生きているから哀れだ」というものがありました。原文で確認しておくと、以下の部分ですね。

…しみじみ「生きる為に生きている」我々人間の哀れさを感じた。若し自ら甘んじて永久の眠りにはいることが出来れば、我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違いない。

「生きるために生きる」とは、つまりは「同じことの繰り返し」ということです。

僕らは1日1日を生きていますが、毎日に大きな変化はあるでしょうか。

「楽しいことはあるけれど、なんだかつまらない。何かいいことないかな…」

「会社に行って仕事をして、帰って寝るだけの生活。休みもあっという間でまた会社…」

もちろん、まったく同じ1日はないですが、劇的な変化はそうそうありません。あったとしてもそれはほんの一瞬のことで、また平凡な明日がやってくる

そして、それが一生続いていくのが人生なのです。

 

もし、苦しいことを乗り越えたら、辛いことにはバイバイ。もう一生楽しい、刺激のあふれた毎日が待っている…とするならどうでしょうか。おそらく、そうなら自殺する人はいないと思います。

でも、現実はそうではありません

つらい受験勉強を乗り越えたら、今度はレポート地獄、そうこうしているうちに就活であくせくする。

希望の会社に入っても出世競争、結婚相手も探さないといけない。家を買ったらローンに苦しみ、歳をとったら病気にかかって病院生活。

…こんな話は枚挙にいとまがありません。1つ苦しみを乗り越えても、また苦しみがやってくるのが現実なのです。

今は苦しくても、未来が明るければ人は頑張れますが、僕らの一生は「生きるために生きる」一生で終わってしまいます。

それをなんとなく感じているからこそ、芥川のように「ぼんやりとした不安」を抱いて自殺する人はあとを絶たないのではないでしょうか。

解決の道は仏教にあった

明るい空と雲
仏教には苦しみの原因とその解決方法が詳しく教えられている

実はこの「毎日生きるために生きて終わる、同じことの繰り返し」ということは仏教にも教えられています。

例えば、日本人にもなじみが深い「一休さん」こと一休宗純は次のような歌を残しています。

・人生は食て寝て起きて糞垂れて 子は親となる子は親となる

私たちが毎日していることは単純化してしまえば、起きて食事し、トイレにも行ってそして寝る。

そうこうしているうちに時間はドンドン過ぎ去り、いつの間にか結婚して、子供が生まれる。

気づけばその子供も、いつの間にか親になっている…これが人生の実態だと読んだ歌です。

これだけ聞くと、「そんなの知りたくなかった…」と思うかもしれませんね。

しかし、仏教では、その解決方法も教えられています。

では、どのように解決するのか。天才芥川にもわからなかった深い悩みですが、その答えは仏教を学ぶことでハッキリと分かります。

「ぼんやりとした不安」に自分も悩んでいるという方、現代でも通用するのが仏教なのかと驚いた方は、ぜひ詳しく学んでみてはいかがでしょうか。


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自分をどこかの星の高次元生命体の生まれ変わりだと思っている精神異常者。趣味は「進撃の巨人」の奇行種の真似をしながら妹に襲い掛かること。 「狼と香辛料」の賢狼ホロのような女性と結婚するのが将来の夢。 好きな遊戯王カードは【死霊伯爵】で、フィッシュアンドチップスがあれば幸せにお酒を飲める能力を持つウルトラレアカード。