イタリア、ルネサンス時代に活躍をしたレオナルド・ダ・ヴィンチが、実はキリスト教を信じていなかったのはご存知でしょうか?
芸術家、科学者、軍事技師、哲学者、解剖学者、衣装デザイナー、舞台演出家など、ダ・ヴィンチの活躍は怪人二十面相のごとく実に多彩です。そんな彼の代表的なキャッチコピーは「万能の天才」。一つの仕事を成し遂げることでも大変なのに、一生涯にどうしてこんなにたくさんのことができたのでしょうか?
そう思ってダ・ヴィンチについて調べていくうちに、学者が口を揃えて言う、意外なキャッチコピーが見つかりました。
それは、
「異教徒レオナルド・ダ・ヴィンチ」でした。
レオナルド・ダ・ヴィンチはキリスト教を信じていなかった?
異教徒とは、「キリスト教とは異なる宗教あるいは思想を持つ者」ということです。
あれ、ダ・ヴィンチって、キリスト教の絵を描いてるから、キリスト教徒じゃないの?と思われる方もあるかもしれません。確かにダ・ヴィンチは、『最後の晩餐』を始め、『岩窟の聖母』や『受胎告知』など、実際にキリスト教をテーマとした絵を描いています。しかし、当時は、画家本人が自発的に描き始めるのではなく、注文を受け、依頼主の要望に応じて描くというスタイルが基本でした。そのため、単にキリスト教絵画を描いていたからといって、「ダ・ヴィンチ=キリスト教徒」と断定することはできません。
しかも、ダ・ヴィンチの描いた絵画は、どれも従来のキリスト教絵画と一線を画しているものばかりでした。それは、当時の時代背景とも関係しています。
彼が生きた時代は、日本語で「文芸復興」と訳されるルネサンス、時代はキリスト教の宗教中心の世界から、人間中心の世界へと、パラダイムシフトしようとしていました。時代の変革期にありながらも、依然としてキリスト教の影響力は絶大で、キリスト教を批判する者は、処罰され死刑になる可能性がありました。
実際ダ・ヴィンチの遺産である膨大な直筆ノート(手稿)の管理を任せられた弟子のフランチェスコ・メルツィは、検閲の危険性を感じてか、師匠のキリスト教批判ともとれる文章を削除しています。
「信心めかした態度」は、「偽善」をも意味する。
計5回も単語リストに出てくる。
近くの単語、キリスト教のが削除されている。
削除されている単語はこれしかない。(トリヴルツィオ手稿解説)
パリサイ人とは聖職者のことである。パリサイ人には、「偽善者」という比喩的な意味があることから、
この文の内容は、「聖職者は偽善者にほかならない」という辛辣な宗教批判となる。(トリヴルツィオ手稿解説)
ダ・ヴィンチが異端者であったという研究者たちの声
キリスト教を偽善と捉えたダ・ヴィンチ。
キリスト教を見限った彼は、やがて異教徒と呼ばれるようになります。異教徒レオナルド・ダ・ヴィンチの有力な根拠を紹介しましょう。
レオナルドの思想が神学的に非正統であったという考えは、ヴァザーリによっても記録されている。「彼(レオナルド)はかなり異端的な精神の持ち主だった。彼はいかなる宗教にも満足できず、あらゆる点において自らをキリスト教徒である以上に哲学者であると考えていた」。ヴァザーリは1550年の『美術家列伝』初版にこう書いたが、1568年の第二版ではこの部分を削除した。あまりにも批判のニュアンスが重大すぎると考えたのだろう。
(『レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 飛翔する精神の軌跡』、チャールズ・ニコル)
ダ・ヴィンチ研究の世界的権威として知られる、ケネス・クラークは、
「いかなる認容された意味においても、レオナルドはキリスト教徒とは呼べない。
彼は宗教心を持った人でさえなかった。・・・レオナルドは、ルネサンスの芸術家のうちで最も異教的な芸術家であった。」(『レオナルド・ダ・ヴィンチ』、ケネス・クラーク)
また、ドイツの哲学者カール・ヤスパースは、著『リオナルド・ダ・ヴィンチ』の中で、哲学者ニーチェの言葉を引用し、ダ・ヴィンチは、「超キリスト教的な視線を持っており、彼の中には超ヨーロッパ的なものがある」と語っています。これら研究者・哲学者の見解からも分かるように、レオナルド・ダ・ヴィンチは、キリスト教とは異なる思想の持ち主であったことは明白です。
次の文章は、ダ・ヴィンチ本人の言葉の引用です。
修行、勤労、 貧しき生活と貧しき物を放棄して、威風堂々たる高層建築と富貴の中に住み、これぞ神の友たるべき道なりと広告するものおびただしくあらわれん。—教会と修道士の住居について。
(アトランティコ手稿)
死せる人々が、千歳の後、生ける多数の人々に、生活費を与えることになろう。
—大昔なくなった聖徒のおかげで生計を立てる修道会の宗教について(レオナルド・ダ・ヴィンチの手記)
ある司祭が、聖土曜日に自分の信者がいる地域をまわって、いつものように家ごとに聖水をかけていくうち、たまたまある画家の部屋に入った。そこでもその水を絵の上にふりかけたので、その画家は後を振り向いて、ややむっとしながら、なぜ自分の絵にそんなお水をかけるのか、と言った。すると司祭は、こうするのが慣習じゃ、こうするのが自分の義務じゃ、自分はよいことをしたのじゃ、よいことをする者はよいこと、否、一層よいことを期待すべきなのじゃ、神様がそう約束されたからじゃ、地上でなされたあらゆるよいことは、天上では百倍になって返ってくるじゃろう、と言った。すると画家は、相手が表に出てくるのを待ち構えて、窓の上に乗り、その司祭の頭へ大バケツ一杯の水を浴びせた。こう 言いながら。「さあ、天上から百倍になって来ましたぜ。あんたは、お水でわしの絵を半分台無しにしてくれたが、その聖水であんたがわしにして下さったよい行いから生じるとおっしゃった通りでさあ」
(アトランティコ手稿)
この画家とは、もしかするとダ・ヴィンチ自身のことを言っていたのかもしれません。
慎ましい生活を忘れて、神の威光を借りて暮らす司祭が行ったことは、聖水をふりまくこと、しかも絵の上に水をかけていきました。絵に水がかかると、せっかく描いた絵が台無しになってしまいます。果たして、それは善い行いでしょうか?ダ・ヴィンチは、そんな行いを偽の善、偽善と思わざるをえなかったのでしょう。
偽善についてどう考えるか
ダ・ヴィンチのキリスト教に対する不信感は、年々強くなっていきます。そして、ダ・ヴィンチは晩年、とある調査をきっかけに、キリスト教の記述は間違いであることを発見します。と、だいぶ長くなりましたので、続きは次回に。
最後に、仏教で教えられる経典の言葉を紹介します。
悪いことをした時には気をゆるすな。その悪いことが、ずっとむかしにしたことだとか、遠いところでしたことであっても、気をゆるすな。秘密のうちにしたことであっても、気をゆるすな。それの報いがあるのだから、気をゆるすな(ウダーナヴァルガ)
チューリップの種をまけば、チューリップが出てくるように、善い行為をすれば善い結果が、悪いことをすれば悪い結果が表れてきます。バケツ一杯の水をぶっかけられた司祭は、やっぱり悪い行いをしていたのではないでしょうか。
この善悪の原因と結果の関係は、人が見ている、見ていないは関係がないと教えられています。
誰も見ていないところでゴミ拾いをした、とします。その時、誰から褒められなくても、善いタネまきに違いはありません。時間の差はあれ、必ずその結果は返ってきます。悪い行いも、誰も見ていないからバレやしない、と思っていても、やはりその結果はいずれ正直に返ってきてしまいます。例えば、毎日ポテトチップスばかり食べていれば、やがて肥満になり塩分のとりすぎで病気になってしまいます。
このことが腑に落ちると、行動が変わってきます。
悪いタネまきはなるべく控え、できるだけ善いタネまきができるように努めていきたいものですね。
それでは次回もまたお楽しみに。
今回のまとめ
ダ・ヴィンチは異教徒だった
ダ・ヴィンチはキリスト教を偽善と捉えていた
人が見ていようがいまいが、善い行為に徹っしていると幸せになれる
ダ・ヴィンチシリーズ
レオナルド・ダ・ヴィンチの転職法 ~ 不遇の天才はこうして職を得た ~ | 20代からの仏教アカデミー
哲学者レオナルド・ダ・ヴィンチの人間観 〜人間は残酷無慈悲なる怪物〜 | 20代からの仏教アカデミー
ついに書籍になりました!
記事を執筆した桜川Daヴィんちが、ダヴィンチ本を出版しました!
その名も『超訳-ダ・ヴィンチ・ノート』です。
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