こんにちは、とわです。お久しぶりの記事です。
いつもはTwitterに引きこもり、漫画やイラストを描いています。
Twitterに自身の作品を投げ、フォロワーと萌えを語り合う日々です。
のんびりと楽しく活動しているのですが、最近不穏な出来事が。
「毒マシュマロ(焼きマシュマロ)」が頻繁に目に付くのです。
※本記事は「毒マシュマロ」を受け取った方たち、それをそばで見ていた方たちが傷ついているように思えて、少しでも楽しく活動をしてほしくて書こうと決めました。
繊細な内容に触れておりますことを、どうかご容赦ください。
匿名性の悪用「毒マシュマロ(焼きマシュマロ)」
「毒マシュマロ(焼きマシュマロ)」とは、「マシュマロ」から匿名で悪意をもったメッセージを送る、嫌がらせのことです。
「マシュマロ」とは、匿名でメッセージを送れるサービスです。
メールフォームやweb拍手など、似たサービスが世に出ています。
「マシュマロ」の特徴は「AIによって、不適切な言葉が含まれるメッセージを削除したり、伏字にしてくれる」ことにあります。
このサービスは「世界はもっとマシュマロを投げ合うような安全さで満たされるべき」という思想で作られています(開発者メッセージ)
https://marshmallow-qa.com/about
匿名性は気軽に感想や応援メッセージを送ることができる利点がありますが、
一方で悪口を書き込む人によって、心に大きなダメージを受けることがあります。
嫌がらせのメッセージが原因で創作活動をやめてしまう作家さんを何度も見ました。
どれだけ多くのファンがいたって、ごく少数の悪意が簡単に心を折ってしまうのです。
その現状に異をとなえたのが「マシュマロ」でした。
マシュマロが「やさしさ」にこだわるのは、絶望から生まれたサービスだからです。
匿名サービスは常に自殺者を生むツールですが、お金になるので多くの企業や開発者は本気でその事実と向き合いません。
そこに絶望したので、匿名なのに「やさしさ」を提供して、誰も死ななくしてやろうと思ったのです。— マシュマロ公式 (@marshmallow_qa) 2018年5月21日
マシュマロはその危険性(絶望)を事前に防いで柔らかで温かいメッセージだけを受け取れるようにと、「安心して使える」ことを目指しています。
マシュマロの優しいコンセプトに感動して利用するファンも多く、筆者もその1人です。
創作の感想を送る場として活用されることが多く、大きな励みになる感想や応援を伝え合う。
それが「マシュマロ」なのです。
ところが、現在のAIでは捉えきれないような言い回しの悪口が増え始めました。
それを「毒マシュマロ(焼きマシュマロ)」と呼んでいるのです。
マシュマロサービスから受け取ったメッセージのことも「マシュマロ」と呼んでいるのですが、
その内容に「毒(=悪意)が入っている」こと、また「焼け焦げて美味しくない(=嬉しくない)」ことからこのような呼び方をしているのだと思われます。
「悪口なんてやっかみや嫉妬なんだから、気にしないほうがいい」
なんて言われずとも分かるけれど、好きでやっている趣味の場に土足で踏み入られて平然としていられない。
大事にしていることほど、思うことでしょう。
見ているだけの筆者でさえ苦しくなります。
傷つかないようにと願いを込めた「マシュマロ」にさえ悪口を書き込まれる。
そんな中で楽しくすごすためにどうすればいいのでしょうか。
実は今から約2600年前に仏教を説かれた釈迦も、同じような経験をしているのです。
悪口に傷つく人へ、釈迦のエピソード
あるとき、異教徒の男が釈迦の前に現れると、さんざん悪口を言った。
三大聖人と言われる釈迦であっても快く思わない者がいます。
釈迦は罵詈雑言を浴びせられながら何一つ返事をせず黙って聞いたあと、男に尋ねました。
釈「おまえは、祝日に、肉親や親類の人たちを、招待し、歓待することがあるか」
男「そりゃ、あるさ」
釈「親族がそのとき、おまえの出した食べ物を食べなかったらどうするか」
男「食わなければ、残るだけさ」
釈「私の前で悪口雑言ののしっても、私がそれを受けとらなければ、その悪口雑言は、だれのものになるのか」
男「いや、いくら受けとらなくとも、与えた以上は与えたのだ」
釈「いや、そういうのは与えたとは言えない」
男「それなら、どういうのを受けとったといい、どういうのを受けとらないというのか」
釈「ののしられたとき、ののしり返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。闘いを挑めば闘い返す。それらは与えたものを受けとったというのだ。しかし、その反対に、なんとも思わないものは、与えたといっても受けとったのではないのだ」
どれだけ料理を振舞っても、相手が一切口をつけなかったならば
それらは全て自分へと返ってくる。
同じようにどれだけの悪口を言ったとしても、一切相手にされなかったならば
その行いの結果は、一切合切全てが悪口を言った本人に返ってくる。
だから私はあなたの悪口を受け取りません、というのです。
「なんだ、結局は釈迦も”気にするな”って言うのか…」
と憮然とする心が出てくるかもしれません。
しかし、単なる励ましや精神論とは、思想の根底が異なるのです。
自分行いの結果は自分のもとへ…「因果律」
仏教の根底は因果律です。
善いことをしたら善い結果が、悪いことをしたら悪い結果が出てくる。
善い/悪い結果は、善いこと/悪いことをした本人にやってくる。
「行いに応じた結果が自分に返ってくる」という原則です。
今回のテーマの「毒マシュマロ」は相手を傷つける行いなので、当然悪いことです。
釈迦も十悪(10個のより苦しい結果を招く悪い行い)の1つに「悪口」を挙げています。
そして、誰かに見つかっていようといまいと関係ないと教えられています。
因果律に則れば、「悪いことをしても、見つかっていないから大丈夫」ということはありません。
してきた行いの分だけ、結果となって返ってくるのです。
悪口を言われた立場からすれば、「言われたままじゃやられ損だ」とはなりません。
あなたが何もせずとも、相手は自ら悪い結果へと自分自身を導いているからです。
釈迦が男の悪口を受け取らなかったのは「心を強く持つ」というような精神論ではなく、
いつでも変わらない「因果律」という知恵に基づいてのことなのです。
傷ついた人たちへ。苦しい思いをした人たちへ。
釈迦のように毅然と流すのは難しいでしょう。
ですが、あなた方が「苦しみの料理」をわざわざ一緒に食べる必要はありません。
自分の傷を癒すことを優先していただけたらと願っています。
それから悪口を言う人へ。
悪意に勝ち逃げはありません。
重ねた悪意の分だけ自分が苦しむだけだからやめなさい、
という釈迦のメッセージが少しでも目に留まってくれたらと思います。