初めまして。ポンタと申します。
Facebookの画像もポンタくんです。最近は、ポンタくんとリラックマがお気に入りです。
今回は、死生観について物議を醸し出している漫画「ギフト±(プラスマイナス)」についてお話しします。
この漫画は「臓器移植」をテーマに扱っていることと、表紙の絵が綺麗であることで、何気なく読者のレビューなどを読んでみました。すると、かつて私が読んできた漫画の内容とは明らかに違い、衝撃的かつ斬新でした。我を忘れて、読みふけってしまいました。
なぜって、「こんな可愛い、一見普通の女子高校生が、生きたまま臓器解体するなんて・・・!!」
気がついたら、電子書籍でダウンロードして読破していました。
もっと命は大事にしないと
簡単ですが、あらすじを紹介します。
主人公、鈴原 環(たまき)は表の顔は普通の女子高校生。幼い頃に生死をさまよう心臓の手術を受けたことがあります。
ある日、イジメにあっているクラスメートが、学校の屋上から飛び降りようとします。遠くから傍観者のごとく見ている生徒。その場しのぎの偽善で止めようとする教師。ただ一人、環だけが真剣に彼女の側に近づき、彼女に自殺をやめるよう諭します。
その時に言ったセリフが、
もっと命は大事にしないと。
命は神様からの贈り物だから大事にしなきゃダメなんで。
自身も生死の危機を乗り越えた経験があるため、命を大切に考えます。しかし、彼女にはもう一つの裏の顔がありました。
それは、「人を狩るプロ」です。
“生きる価値のない人間”は臓器解体
狩りをするターゲットは「(環から見て)更生できず、生きる価値のない犯罪者」
例えば連続強姦殺人者や、自分の産んだ赤ちゃんを何度もゴミ箱へ捨てては売春を繰り返す若い女性。
環は、そんな生きる価値がないと判断した人間を捕らえ、生きたまま臓器解体をするのです。その臓器を海外での臓器移植まで待つことが出来ないレシピエント(受給者)に提供するため、闇医者と売買取引を行っています。
「あの男(連続強姦殺人者)には生きてる時は存在価値なんてなかった」
「でもこうなって初めて社会貢献出来たんだ」
「・・・命は神様からの贈り物」
「それをより良い形で再分配するの」
「これも人助けだよ」
臓器提供をすることで、無価値な人間も社会貢献ができると考え、その人間の解体することに環は自分の存在価値を見いだしているのです。
例え非合法でも需要があるから供給がある それだけの話だ
自分のやっていることは非合法であろうと、需要があり人助けなのだから、と割り切っています。
生きる価値の無い人間を「クジラ」と呼ぶ理由
環は生きる価値がないと判断した人間を「クジラ」と言っています。どうしてでしょうか。
昔から鯨は全身を資源として活用されてきました。歯は靴べら、印材、すじはラケットのネット、骨や皮は口紅、クレヨン、石鹸などの製品の原料として様々な製品に姿を変えてきたのです。食用のくじらベーコンやくじらの刺身もその一部であることがわかります。
日本の調査捕鯨では 調査後の鯨は完全に利用することが義務づけられています。肉はもちろん、油・ヒゲ・骨…、とにかく無駄がありません。
鯨と同じように、生きる価値の無い人間も臓器解体という形で無駄なく利用できる… そんな考えから人間を「クジラ」と言っているのではないでしょうか。
このままでは更生できず、生きる価値のない「クジラ」は捕ってしまい、完全に利用する。それが環の死生観なのです。
仏教で説かれる死生観とは
環の儀式、つまり臓器解体は、たとえ需要があろうとも「人殺し」です。
人や生き物を殺すことを、仏教では殺生とも言い、次のように教えられています。
生き物を殺すこと。仏教では最も重い罪の一つとされる。「無益な殺生」「みだりに殺生してはいけない」
「みだりに殺生してはいけない」と書かれているように、仏教で生き物を殺すことは罪であり、殺生することは戒められているのです(殺生戒)
連続強姦殺人犯は環から見て(おそらく読者から見ても)「生きる価値なし」の人であり、野放しにしていても何一ついいことなど無いであろう人間です。そんな人間を、たとえ臓器提供という理由があっても、なぜ殺してはいけないと仏教でいわれるのでしょうか?
環の儀式、生きたまま臓器解体することは、本当の意味で人助け・社会貢献と言えるのでしょうか?
次回はこのことを切り口にしてお話ししたいと思います。