【刀ステ悲伝・考察】「鵺と呼ばれる」から知る「ぼくはだれ?」が分からない私たちの苦しみ

「ぼくは…だれ…?

わかんない…!

ぼくはだれ…

おしえて…!」

「刀ステ」六作目となる「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」はシリーズ集大成となる作品。

今年夏に上演された『悲伝』は衝撃的な展開から様々な解釈が飛び交い、ファンによる考察が盛んに行われました。

シリーズ全体の伏線を回収する深いストーリー構成とともに、上演直後から話題になったのが「鵺と呼ばれる」です。

まもなくファン待望のBlu-ray・DVDが発売される『悲伝』の魅力を改めて振り返り、「鵺と呼ばれる」が苦しんだ「自分とは何か」という問いかけから、私たちにも共通する深い人生哲学をお伝えします。

舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰 [Blu-ray]

【ネタバレ注意】『悲伝』あらすじ・展開の鍵を握る「鵺と呼ばれる」とは

鵺と呼ばれる」の登場から『悲伝』の物語は始まります。

時は永禄八年に起こった永禄の変。

室町幕府第十三代・征夷大将軍 足利義輝が三好義重・松永久通らの手によって最期の時を迎えようとしていました。

そこに歴史改変を目論む時間犯罪者「歴史修正主義者」が2205年の未来から過去に送り込んだ軍勢「時間遡行軍」が出現。

足利義輝の死の定めを覆そうとします。

時間遡行軍に対抗する歴史の守り手「刀剣男士」は、「審神者(さにわ)」という能力者の手によって刀剣から励起された戦士たち。

時間遡行軍の出現を聞いた刀剣男士たちも永禄の変に現れ、敵を殲滅していきました。

死にゆく足利義輝を残し、未来へ帰っていった刀剣男士たち。

しかし義輝にはまだ息がありました。

義輝は虫の息で、松永久通たちが死出の供にと置いていった愛刀たちに手を伸ばします。

「まだじゃ…まだ…終わらぬ…

儂は…こんなところで……死ぬわけには…

刀…たちよ…」

最期の言葉を残し義輝が息絶えた所には、この季節に咲くはずのない満開の桜がありました。

桜は義輝の血を吸ったかのように、根元から上へ上へと真っ赤に染まっていきます。

真っ赤な桜が落ち、刀剣男士が顕現するときのように現れたのは虚ろに見開かれた大きな瞳が特徴的な銀髪の青年。

道半ばで果てた義輝の無念が、義輝の持っていた複数の刀に宿った「刀剣男士」でした。

存在するはずのない「刀剣男士」が生まれるところから『悲伝』の物語は始まっていきます。

「お主は歴史に存在するはずのない刀と言える。

歴史の異物…か」

刀剣男士・三日月宗近は大阪冬の陣に出陣したとき、この「刀剣男士」に遭遇し、こう言います。

足利義輝が最期に抱いた生への未練と強い無念が複数の刀に宿った、歴史に存在するはずのない「刀剣男士」。

そして三日月は、実は「刀ステ」で描かれているこの本丸を何度も何度も巡っていました。

この「刀剣男士」は三日月が気の遠くなるほど長い間、時間のループを繰り返してきた中で初めて出現した存在だったのです。

「義輝の刀よ、俺は賭けてみたいのだ…!

この終わりなき戦いの中に

何故お主が現れたのか?」

ある目的のために円環を続けていた三日月は彼に望みを見出し、とどめを刺さずに見逃します。

この場面を仲間の燭台切光忠が目撃していたことから、本丸の物語は大きく動いていきます。

※「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」ストーリー全体についてはこちらのコラムでご紹介しています。

【刀ステ悲伝・感想】三日月宗近から「悲伝」の本当の意味を考察する(大千秋楽公演ネタバレ有り)

「ぼくはだれ?」鵺は「自分とは何か」が分からない苦しみを抱えながら戦う

複数の刀剣から生まれた、歴史上存在するはずのない「刀剣男士」。

名前を持たないために名乗ることもないその戦士は、刀剣男士たちに「」と仮の名を付けられます。

「鵺」と同じく、足利義輝の愛刀の一振りだった骨喰藤四郎は「鵺」と交戦したときこんなやり取りをしていました。

骨喰「お前は…誰だ…?」

鵺「ぼくは…だれ…?

わかんない…!

ぼくはだれ…!

おしえて…!

後に同じく義輝の刀である三日月と刀を交えたときも「鵺」は苦しみ始め、地を這うようにのたうち回り叫びます。

ぼ、ぼくは…ああああっ!

私は…!

俺は……!

誰だあああっ!

「鵺」は何の刀から生まれたかを特定できないため「自分が何者なのか」を定義することができません

三日月宗近や骨喰藤四郎のように自身が生まれた元となる刀剣を持たず、自分は何者なのかが分からない鵺は「ぼくはだれ」と苦しんでしました

時間遡行軍は義輝の死の運命を変えたい鵺の思いを利用、鵺は時間遡行軍と共に、様々な戦場に出没するようになります。

次第に戦闘能力を上げていくものの、その言葉使いはたどたどしいままで、他の刀剣男士のような「心」が生まれません。

自分は何者か分からないことに苦しみながらも鵺は経験を積み、ついに生前の義輝と接触、行動を共にするようになります。

足利義輝の最期の日となる、永禄の変の前夜。

鵺に転機がやってきます。

混沌の中にあった「鵺」は義輝が名を与えたことにより「時鳥」となる

足利義輝は本丸を離れ永禄の地にやってきた三日月宗近に、自分の死の定めを変えてほしいと懇願。

しかし三日月は協力の姿勢を見せませんでした。

鵺はその後、義輝と二人きりになり胸の内を打ち明けます。

「よしてるさま…

あのう…

みかづき、いらない

ほねばみも、だいはんにゃも、いらない

よしてるさま、ぼくが、まもる」

「儂のために、戦うてくれるか」

「ぼく、たたかう。よしてるさま、しなせない」

鵺がたどたどしい言葉で精一杯伝えた思い。

義輝は鵺の思いをしっかり受け止めたあと、ふと名前を聞いていなかったことを思い出します。

「そういえば、お前の名を聞いておらんかった。

名を何と申す?」

なまえ…

ない…

たくさんのか、かたなでできたから…

……あ、ああああ、ああああ、あああ…!!

ぼくは…!ぐちゃぐちゃだ……

苦しむ鵺の姿を見た義輝は、その苦悩を何とかしたいと思ったのか、あることを提案します。

「名も無き刀か…

ならば儂が、お前に名を与えてやろう

「なまえ…?」

「刀の名前か……

いざ名付けるとなると、難しいものじゃな

……『時鳥(ほととぎす)

この国の言葉は不思議なものでなあ

ホトトギスにはいくつもの書き方がある

時の鳥、と書いて『時鳥』。」

「ぼくはだれ」という問いに苦しみ続けていた鵺を変えるきっかけになったのが、この義輝の言葉でした。

「そうじゃ、お前は時鳥じゃ!

時を越えて、儂を連れて行ってくれ

この永禄を超えた、まだ見ぬ歴史の先にじゃ」

「ぼくはだれ おしえて」時鳥の苦しみは私たち人間の姿

「俺は、この身命を賭して貴方をお守りする!」

「お前……!言葉が…!」

足利義輝から名前を授かった鵺は、他の刀剣男士たちのように人の言葉を操り、義輝の運命を変える戦士として歩みだします。

「いくつもの刀から成る俺には、多くの物語が内在していた

その物語はぶつかり合い、互いを食い合っていた

故に俺の心は混沌の中にあったんだ

だけど公方様…!

貴方が名を与えてくれたお陰で、俺は俺という刀になった!

だから俺は貴方のために戦う

俺は貴方の刀であり

これは、俺という刀の物語だからだ!

義輝が最期に抱いた無念が形となり、狂った時間軸の中で生まれるはずのない存在として誕生した「鵺」。

「ぼくはだれ」なのかを定義することができず、心が混沌の中にあった「鵺」は、明日やってくる義輝の死の運命を超える戦士の名「時鳥」を授けられたことで、自我を持てるようになります。

そしてやってきた永禄の変。

「時鳥」は皮肉にも「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」と表現される織田信長の刀剣男士たちに討たれ、散っていくことになります。

その儚い最期は、何回見ても涙無しには見られません。

ぼくはだれ おしえて」と叫び、のたうち回って苦しんでいた鵺。

その姿は私たちにあることを教えてくれます。

私たちも実は、自分のことは分かってるようで分からないものです。

「ぼくはだれ」と自分に問いかけてみると、即答できないものではないでしょうか。

汝自身を知れ」という格言でも知られるように、古代ギリシアの時代から「ぼくはだれ」という問いは人類が向き合ってきた哲学的命題です。

現代でも「自己分析」「自己知」といった言葉がビジネス、心理学などで取り上げられています。

私たちが何気なく使っているTwitterでも、自分の深層心理を探る心理テストがよく拡散されていますね。

本当の自分を知りたい」という思いは、哲学者や思想家でなくても多くの人が持っている心なのではないでしょうか。

古今東西を問わず人間たちが向き合ってきたテーマといえるでしょう。

鵺は時鳥という名を与えられたあと、名も無く自分が存在する意味も分からなかったときの自身を

俺の心は混沌の中にあったんだ

と表現します。

私たちも同じことで、自分の本当の姿が分からなければ、本当に自分が望んでいることも分かりません。

自分が望んでいることとは、言い換えれば「幸せ」といえるでしょう。

幸せになるために必要なのが「ぼくはだれ」という問いの答えなのです。

「ぼくはだれ」と問いかけることは、幸せになる第一歩

私たちは鵺と違い、生まれたときに親から名前を授かっています。

しかし名前があったとしても、人間は自分の本当の姿が分からない存在だと仏教では教えられています。

鏡を使わなければ自分の顔を直接目で見ることができないように、自身の姿は近すぎて分からないのです。

自分は一体何者なのか分からない苦しみを鵺は「混沌の中にある」と表現しました。

実は私たちの心も、混沌の中にあるといえるのです。

『悲伝 結いの目の不如帰』では日本刀の父ともいえる刀剣男士・小烏丸が登場します。

「我が名は小烏丸。外敵と戦う事が我が運命。

千年たっても、それは変わらぬ」

顕現するときに小烏丸自身もこう言っているように、1000年以上前に打たれ、移ろいゆく歴史の中で人間たちの姿を見てきたのが小烏丸です。

『悲伝』のクライマックスで、臨終の足利義輝は小烏丸にこう問います。

足利義輝「刀剣男士よ。お前たち、刀とは何だ」

小烏丸「刀とは…か

難しい問いであるな

生きることそのものが

人間という存在を解き明かす問いかけであるように

我ら刀剣も、此の世に在り続けることが問いかけなのだ

答えなど、千年あろうとも未だ見つからぬがな

だが、いずれは歴史の果てで、その問いの答えにたどり着きたいものよ」

1000年この世にあった小烏丸も分からず、いつか答えにたどり着きたいと願っている「ぼくはだれ おしえて」という問いかけ。

古今東西の人間が答えを求め続けてきたこの問いは、2600年前に生まれた釈迦も向き合い、厳しい修行の末その答えにたどり着いたと言われています。

お釈迦様は私たちの本当の姿を「実機」と言われ、生涯かけて説かれていきました。

自分の本当の姿が分からなければ、どんなに財や名声を得ても、友達や家族に恵まれても、心から幸せになることはできないと仏教では教えられています。

「ぼくはだれ」と自身に問いかけることは、幸せになる第一歩なのです。

自分は何者か知りたいと苦しんでいた「鵺と呼ばれる」は「実機」を知ることの大切さを、私たちに教えてくれているのかもしれません。

★このコラムの続編をアップしました★

【刀ステ感想・ネタバレ注意】悲伝「鵺と呼ばれる」の刀剣破壊セリフ「僕たちはどこに向かっているんだろう」の意味を考察する

 

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    獄上(ごくじょう)

    中学生でBL萌えに目覚めてしまい、腐女子になってはや15年近くの、筋金入りの「腐った」OLです。 三国志大戦、Lord of Vermillionといったカードゲームや音楽ゲームが大好きで、ゲーセンゲーマー歴も気付けば8年。 現在は『刀剣乱舞』のへし切長谷部と日本号、燭台切光忠、歌仙兼定や大倶利伽羅を中心に色んな組み合わせに萌えたり、夢を見たりの沼生活を送っております。 沼全開のTwitterはこちらです→@gokuzyo