こんにちは。久しぶりの投稿です。
さすらいの医師・カラフルボンバーです。
椎名林檎・東京事変にもある「心」と「体」
「東京事変」というグループを知っていますか?
「東京事変」は椎名林檎がボーカルをしていたバンドですが、2012年の2月29日(閏日)に解散してしまいました。
そのバンドに「心」という曲があり、私はその曲を聴くたびに、歌いだしのフレーズが気になります。
以下、引用です。
心と云う毎日聞いているものの所在だって
私は全く知らない儘(まま)大人になってしまったんだ
また、「生きる」という曲の
体と心とが、離れてしまった
という衝撃的な歌い出しも彼女の印象的な歌詞の一つです。
昔から、「病は気から」ということわざもあります。
体が病んでいると、心も落ち込みます。心が病んでいるとまた、体が重くしんどくなってしまいます。
それとは逆に、運動をして体を喜ばせると何となく心がすっきりしたり、気分が上がるようなことがあると体が軽くなったりする、といった経験はないでしょうか。
両者には密接な関係があることが分かります。
心と体。それは同じものなのか、別々のものなのか。少し哲学的でもありますが、感情・科学的な観点から、考えてみたいと思います。
医学では追いつけない「心」
心というものを、単に脳の作用という風に物理的に考える人もありますが、私は心というものが存在すること、人間は肉体(物質的なもの)と精神(心、物質的でないもの)で構成されていると信じて疑いません。
医学が追いつけないもの。それは「心」の存在です。
まあ、医学は物質的にすべて説明しようとする学問であり、そもそもの土俵が違うことに気づく人がいるかもしれません。
心はほんまにあるの?という人のために考える材料をいくつか紹介します。
感情的側面から考えてみる
有名な人が死んだとき「ご冥福をお祈りします」とアナウンサーや言いますよね。
それは日常でも、よく見られる光景です。
冥福とは「冥土の幸福」のことで、「冥土」は死者の行く世界のことです。よって「次に生まれる世界での幸せを祈っています」という意味が「冥福を祈る」ことです。
ところが、もし心がないのなら、肉体がなくなった時点で私はいなくなるので、「死んだら無」になります。
だから、「ご冥福をお祈りします」という言葉を素直に使っている私たちは、なにか次の世界が存在するように思わせるものがあると思っているような気がしませんか?
それは同時に、「心」の存在を何となく認めていることを意味します。
論理的、科学的な側面から考えてみる
一卵性の双子
一卵性の双子ではDNAはほぼ100%同じです。つまり、人間を構成する細胞もほぼ100%同じということです。
しかし、1学年に1人くらいはいた双子の同級生はどうだったでしょうか。似通ってる部分もあるけど、全然違う部分もある。
DNA的には一緒でも、なんでこんなに違うの??って思うことがあります。
認識と感情
すべての精神活動は、確かにその脳のある部分を刺激すると「むかつく」とか「愛しい」とかいう感情が現れるだろうってのは分かります。
けれど、特定の人を見るとドキドキするときに、「ドキドキ」する指令を下す(つまり、脳の特定の部分が刺激される)のは一体何かと疑問に思います。
つまり、感覚刺激は脳に伝わるが、それでなぜ(どういう化学反応が起こって)
脳の感情を起こす部分に刺激が走るのか。そして、それはなぜ他の人には起こらないのか…
「心」の存在無しには説明できません。
ここで大事なのは、肉体と精神は別々のものではあるが「密接な関係」があり、完全に独立したものではない、ということです。
お互いに強い影響を与えている二つのものだと言えるでしょう。
仏教で教えられる「心」
仏教では、もちろん精神と肉体は別々で、心は肉体に宿る「私そのもの」と教えられています。
要するに、肉体を飛行機とすると、心は飛行機のパイロットということになります。飛行機(=肉体)の整備も大切ですが、パイロット(=心)を鍛えることも大切ですよね。
また、肉体は心の指示で動いているともいえます。
心が主人、体と口が召使いとなっていろいろなことをやったり、言ったりしているわけです。
以上から言えることは、幸せになるには心に焦点を当てるべき、ということです。
肉体を鍛えることも大切ですが、年齢を重ねれば肉体は必ず衰えていきます。しかし心が衰えることはありません。
心が幸せな状態であれば、その幸せは長続きしていくのですね。
その心の仕組みを詳しく説かれているのが仏教です。
どうすれば心を幸せな状態にできるのか、ぜひ続けて仏教を学ばれ、知っていただきたいと思います。