こんにちは、ポンタです。
先日、飲み友達のFacebookの投稿でこんな記事を目にし、思わず、目を止めてしまいました。
入棺体験…
友人はそこで「確かにいつかはお世話になるんだけど・・・」と書き込みされてました。
今回は、どんなに抵抗しても、避けては通ることのできない「入棺」についてお話しします。
「入棺体験」とは何か
そもそも「入棺」とは何かと言うと、「遺体を棺に納めること」です。
納棺、じゅかんとも言います。
「入棺体験」について調べてみると、以下のような記事がありました。
様々なメディアで取り上げられることが多くなった「終活」。
人生にどうピリオドを打つかは非常に難しい問題ですが、最近密かなブームになっているのが「入棺体験」です。
なんと、インターネット上で体験者を募集した途端に、すぐに定員が埋まってしまうほどの人気ぶりだそうです。
すぐに定員が埋まってしまうなんて、「入棺体験」を初めて知ったときにはとても想像がつきませんでした。
実際にすることとしては、
- 棺の中に横たわり、スタッフに棺を締めてもらう
- その身動きが全くできない暗闇の中で3分間過ごす
と、シンプルなものです。
「入棺体験」というと「終活」のイメージが強く、人生も終わりに近づかれたお年寄りばかりが集まるイベントと思っていましたが、体験者の年齢層は様々で、20代の参加者もいる、と記事には書かれていました。
高齢者の方ならともかく、今から人生を謳歌したいと夢や希望で胸がいっぱいであろう20代の若者が、なぜ棺桶に入ってみたいなんて思うのでしょうか。
興味本位や、話のネタになる、という単純な理由もあると思います。
あるいは「いつか死んだ時のためのリハーサルをしたい」という理由からかもしれません。先ほども書きましたが、人間はいつかは必ずお世話になるわけですからね。
いずれにしても、ネットで募集してすぐに定員が埋まるということは、それだけ、皆さんが少しでも「息を引きとった後の我が身」に興味があるということを示唆しているのではないでしょうか。
また、とある交通会社では、日帰りで入棺体験をするためのバスツアーまで行われているそうです。参加者には、人生の記録や没後に伝えたい情報を書き記す「エンディングノート」を進呈されるのだとか。
エンディングノートは、いわゆる遺言のようなもので、自分が亡くなったときや、意思疎通が困難になる病気にかかったときに備えて、周りへ望む処置を記すものだそうです。
遺言と異なる点は、エンディングノートには法的効力はない、ということです。
書かれる事柄は特に決まっていませんが、以下のようなことが挙げられています。
- 病気になったときの延命措置を望むか望まないか
- 自身に介護が必要になった際に希望すること
- 財産・貴重品に関する情報
- 葬儀に対する希望
- 相続に対する考え方
- プロフィール・自分史
- 家系図
参考URL:エンディングノート – Wikipedia
万一、亡くなったときや意思疎通が困難になったときに、本人の意思が明確でないと、葬儀や相続、貴重品の整理などで家族を悩ませることにもなります。家族への負担を減らすことを目的として書かれるものなのですね。
入棺を体験された方の声
「入棺体験」
…正直、私も30代になった今、興味が湧いております。
棺桶の中に入った感触とか匂いとか死んだら分かりませんもんね。
いつか実際私が入棺体験した時の体験談を書きたいと思うくらいですが、今回は、実際に体験された方の声をいくつかピックアップしてみました。
特に多かったのが、
「広い」
「居心地がいい」
「ベッドみたい!!」
といったもので、やはり、ひとまとめにすると「心が落ち着く」といったところでしょうか。
私は子供のころから
「死んだら棺桶の中に入って、そして火で燃やされるんだよな」
「2日くらい放置された後に火で燃やされるんだけど、本当に死んだら、熱いとか、何も感触が分からないのかな」とか、
「本当はまだ息を引き取っていないのに、燃やされてしまったらどうしよう…」と思っていました。
正直、大人になった今でも、怖くて仕方がないんです。
まぁ、息を引き取っていないのに燃やされることは、医学の発達した現代社会ではありえないのでしょうけども…。
でも棺桶の中には、たった一人で入らないといけないです。こればっかりは、家族や友人に「一緒に入って欲しいです」ってお願い出来ることではないわけです。
本当に孤独だよなぁ…って思います。
しかも棺桶の中は暗闇。そう思っただけでとても怖いですね。
本当の「終活」とは
たった1人で、この世を去っていかねばならない私たちを、お釈迦様は次のように教えられております。
独生 独死 独去 独来 (どくしょう どくし どっこ どくらい)
(大無量寿経)
私たち人間は「始めから終わりまで独りぼっち」ということです。生まれるときも一人なら、死ぬときも一人。
そんな孤独で寂しい私たち人間にとって、同じ終活をするのであれば、進呈されたエンディングノートに、自分が死んだ後のことではなく、終わりを思い描きながら自分がどんなふうに人生の最後を迎えたいかも書き記してみるといいのかもしれません。
そうすることで、たった一人で死んでいく身であるからこそ、自分の人生にとって本当に大切なことは何か?すべきことは何か?を知るヒントが見つかるでしょう。
もちろん、死んだ後の葬儀や相続のことも考え、自分が亡くなったときに家族をできる限り困らせないようにすることも大事です。しかしもっと大事なことは、自分自身が後悔なく終わりを迎えられるよう活動していくことです。
後悔なく終わりを迎えられるように、終わりを思い描きながら行動していく。それこそ私たち自身にとって本当に大事な「終活」になるのですね。
今からでも遅くありません。是非、始めていきましょう。