東京における新型コロナウィルスの感染者数が、連日のように増加しており、油断のできない毎日を強いられています。
私ナッチョも、感染に怯えながら、帰宅後5分以上の手洗いうがいを徹底する生活をしています。
感染は見えないものだからこそ、怖いものです。
しかしながら、感染症は陸上の生活にこだわった話ではなく、海上でも深刻な課題として、船員の頭を悩ませています。
感染症について、私たちはどのように向き合っていくことが大切なのか、私ナッチョの実体験を元に考察していきます。
船上での病気は、自力で治すしかない
周りを海に囲まれた船上は、体調を崩しやすい環境と言えます。
水場が少ないことによる、手洗いうがいをしづらい環境や、過密な運行スケジュールによる不規則な生活習慣、仕事ならまだしも生活する上でストレスを抱えやすい環境となっています。
外の空気に触れる機会が多く、全国の港を行き来するため、人との接触も比較的多いです。
そのため、風邪やインフルエンザも普通にかかります。
特にインフルエンザは1人が掛かると、他の2〜3名に感染する可能性を秘めているため特に注意します。
船とは貨物輸送を目的に置いているため、大きなケガや疾病ではない限り、船の運行を止めることはできません。
船員は、同じ船に乗る人との感染に気を付けながら、仕事を行うのです。
私は7年間の船員生活を通し、船上で幾度なく風邪をこじらせてきましたが、すべて船上で治しました。
そういった背景から海の法律(海事法規)でも、船に薬を積載することは決まっているのです。
感染症は科学的に見ても、心理的影響が大きい
船員は感染症について、周りへの気遣いにストレスを持つ人が多い傾向にあります。
感染させてしまったら、大切な仲間を感染による苦しみを与えてしまいますし、病気に伏した相手は仕事ができなくなり、他の船員への負担も大きくなります。
おそらく船に限った話ではなく、陸上に住む人の家族や友人関係でも同じことが言えるでしょう。
風邪を引いた時、自分と同じつらさを味わってほしくない気持ちから、家での立ち居振る舞いや周りへの配慮を考えます。
つらすぎる状況なら「なぜ自分だけ、こんなつらい思いをしなくてはならないんだろう」という気持ちにもなります。
今回のコロナでも、県外から感染を持ち込む疑念から誹謗・中傷・差別に発展しました。
石を投げつけられたことも、大きな話題となりました。
コロナ禍で明るみに出たことは、感染が差別される要素になり得ること。
そして、感染による差別がストレスに発展することです。
私は海上と今回の新型コロナウィルスでの経験から、感染症の怖さは感染ることだけでなく、自分の精神にも影響があると理解できたのです。
(出典元:一般社団法人 日本トラウマティック・ストレス学会事務局)
健康な今こそ大事!外に出れない時間こそ仏教哲学に傾倒する
残念ながら、健康な人も病気からは逃れられません。
例えどんなに屈強でも、年齢とともに身体が弱っていくからです。
仏教では、病による苦しみを病苦と教えられています。
病苦は、四苦八苦の1つです。
四苦八苦は、人生において逃げることのできない人間の苦しみを、4つまたは8つに分けたものを言います。
人はなぜ、病に恐怖を覚えるのか。
理由として、病は人を死に近づかせるからです。
病苦では、肉体的苦痛だけでなく、病という事象に対する精神的な不安や苦悩も含みます。
自分が病に掛かって周りに感染してしまわないか不安になること、身近な人が病に掛かってしまう辛さなど、病に関わる苦しみを挙げても、きりがありません。
私たちはいつでも不安になる要素を抱えています。
こういった状況こそ世の中を哲学し、俯瞰する力が必要だと、哲学者ヤスパースは「限界状況」という言葉で教えています。
死,苦悩,争い,偶然,罪などが限界状況として考えられ,これら限界状況の経験はわれわれを絶望のなかに突落すが,しかしわれわれは絶望に直面したときに初めて真の自分となることができ,包越者が現れ出るとされる。
出典元:カール・ヤスパース 限界状況(コトバンク)
私たちは死を避けられないこそ、コロナであろうと病であろうと、掛かってしまうリスクと向き合うことが大切なのです。
新型コロナウィルスによって、もどかしい毎日が続きますが、つらく暗い逆境の経験があなたを成長させる機会になることを念じています。
今後も海×仏教の記事を書いていきます。
興味のある方はぜひチェックしておいて下さい。