なぜ108回も?除夜の鐘が打たれる意味について

大晦日、まもなく年の変わり目ですね。大晦日の行事といえば、紅白歌合戦やカウントダウンなど、テレビを中心に色々なイベントがありますね。その中でも「除夜の鐘」があります。ゴーンと響いてるのは見たり聞いたりしてますが、その意義について知ってますか?

除夜の鐘とは

除夜の鐘とは、12月31日の大晦日深夜0時を挟んだ時間帯に寺の鐘を打つ行事です。1年の最後の日を除日と言われるのですが、その夜ということで除夜と呼ばれます。大晦日に打つので、英語では「Bells on New Year’s Eve」と訳されます。

そして0時から鐘を打つのではなく、その前から打ち始め、打っている最中に年が空けるわけです。0時前から初めて、最後の一鳴らしを0時ちょうどにやることが多いそうです。

昔から行事として存在していましたが、NHKの『行く年来る年』で紹介されるようになって有名になりました。単体でずっと見ている人は少ないかもしれませんが、チャンネルを回して、目にした方も多いと思います。

この除夜の鐘ですが、なぜ実施しているのでしょうか。カウントダウンのためかなと思いがちですが、違います

大事なのが「108回打つ」というその回数です。なぜ108回なのか見ていきましょう。

なぜ108回なのか、それは煩悩の数

なぜ鐘を108回叩くのか。この数字には意味があります。諸説ありますが、一番一般的になっているのが、煩悩を滅するためです。

仏教では私たちには煩悩が108つあると言われています。その字の通り、私たちを煩わせ悩ませるものです。

代表的なものが貪欲(とんよく)という欲の心、瞋恚(しんい)という怒りの心、愚痴というねたみうらみの心です。他にも色んな嫌な心を持っているのが私たち人間であると仏教では教えられています。

今年1年を振り返ってみても、これらの欲や怒りの心によって苦しめられてきました。

欲しいものが買えず悔しい思いをしたり、仕事の手柄を横取りされて怒り、自分と同期が成功してそれをねたんだりしていないでしょうか。こういった心さえなければどんなに快適に過ごせただろうかと思ったことと思います。仮に欲しいものが手に入らずとも「欲しい心」さえなければ苦しむことはなかったからです。同じく手柄を取られても、怒りの心がなければ寛容に相手を許すことができたでしょう。

そんな煩悩に来年こそはもう煩われないぞ、ということで煩悩の数である108回、鐘を打って煩悩をなくそうとするのが除夜の鐘です。鐘の音を通じて、寺で修行する人だけではなく、民衆に仏教の教えを伝えていたわけです。

そう考えると除夜の鐘も感慨深いですね。

けど毎年鐘を打ってますよね・・・?

しかし果たして鐘を打って、煩悩を滅することが出来ているでしょうか。そんな簡単なものではありませんね。

毎年除夜の鐘が打ち続けられていることからお分かりのように、毎年毎年煩悩に苦しめ続けられています

この煩悩とは切っても切り離せないのが私たち人間であることが教えられています。死ぬまで煩悩はなくならないぞと明言されています。

凡夫というふは、無明、煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、瞋り腹だちそねみねたむ心多く間(ひま)なくして、臨終の一念に至るまで、とどまらずきえず、たえず(一念多念文意)

しかし多忙な日々を過ごしていたら、煩悩を問題にすることはまずありません。アイツのせいコイツのせいと、周りの人や社会を呪ってしまいがちです。鐘の音を聞いて、煩悩を見つめることが第一歩です。

あくまで鐘というのは仏教の入り口の入り口。鐘の音を聞いて救われる教えではありません。

ぜひ煩悩の詳しい解説をしたシリーズを連載しています。こちらもぜひご覧くださいませ。そして、ぜひ本当の意味で良い年にしましょう。