こんにちは、YURAです。1月6日午前、北朝鮮で水素爆弾の実験を行い、成功したという報道がありました。
北朝鮮国営の朝鮮中央テレビは、日本時間の6日午後0時半から「特別重大報道」として臨時ニュースを放送し、日本時間の午前10時半、初めての水爆の実験を行い、「完全に成功した。水爆の技術が正確だということを証明し、小型化された水爆の威力を科学的に解明した」と伝えました。
真偽の程は定かではありませんが、私たち日本含めた近隣諸国は騒然としています。
この報道を聞いて、5年前韓国にいたとき、授業中に「金正日総書記死去」のニュースを受け、戦争になりはしまいかと、一時騒然となったことを思い出しました。前の年の2010年11月に、北朝鮮が延坪島(ヨン・ピョンド)を砲撃したこともあり、南北関係が緊張している中での政権交代だったため、韓国国内はもちろんのこと、日本にいる両親や友人からも心配のLINEをたくさんいただいたことを覚えています。
今回は、そんな現在休戦中の韓国・北朝鮮を通して、命の尊さを学んでみたいと思います。
60年続く休戦状態、朝鮮半島の今
北朝鮮は現在、韓国と休戦状態にあります。60年も経つと、韓国国内にいても、ついつい休戦状態であることは忘れてしまうほどで、北朝鮮に関連する場所は一部観光地にもなっています。北朝鮮の景色を眺望する「都羅(トラ)展望台」や、北朝鮮軍が南側へ侵攻のために掘った「第3トンネル」などでは、それぞれ写真を撮ったり、どこにでもある普通の観光地です。
しかし、板門店(パンムンチョン))は違いました。板門店とは、韓国と北朝鮮の国境、軍事境界線エリアのことです。休戦中であるため、韓国人は入ることができず、外国人のみの観光が許されています。エリアに入るときは専用のバスに乗車し、パスポートの提示も要求されます。バスの通る道は決まっており、その道以外には地雷がたくさん埋まっていると案内を受けました。
板門店は、一本のラインを越えれば北朝鮮。共同警備区域として南北兵士が目の前で対峙する緊張の現場です。ここを訪れたときは、戦争中であることを肌で感じずにはおれませんでした。
貧困に苦しむ北朝鮮 恵まれている日本
さて、このように韓国と休戦中の北朝鮮は、入国が難しいこともあり、未知な部分が多いのが現状です。
しかし、脱北者の話や私たちが知れる少しのメディア情報でも、貧富の差が激しく、国民のほとんどが貧困に苦しみ、明日ですら命があるかもわからない生活をしている人が大勢います。
また、国内には強制収容所も存在し、今この瞬間も、多くの人が亡くなっていると想像できます。そのように亡くなっている人たちがいるという事実に、物凄く心が痛みます。
一方で、私たちの住んでいる日本は治安もよく、世界の中でも最も平和な国の一つです。最近陰りがみえてきたといわれますが、それでも生活水準がとても高い国です。
ところが、自ら命を絶つ人が、年間約3万人もいることはご存じでしょうか。
電車に乗っていると、人身事故の影響で遅延していることを耳にします。人身事故は多くの場合、電車への飛び込み自殺を意味しているそうです。飛び込み自殺者は年間500人から600人にもなるそうで、苦しみ悩んだ末に自殺を選択している方が本当に多いと感じます。北朝鮮のような過酷な国で苦しんでいる人もありますが、日本のような国でもまた、多くの人が苦しんでいるのです。
鉄道の人身事故、関東で増加、年間600件で毎日1人以上が自殺~警察は情報開示拒否 | ビジネスジャーナル
どうして自ら命を絶ってしまうの?
どうしてこれほど自ら命を絶つ人が多いのでしょうか。人間関係が苦しい、悪質ないじめにあっている、将来が不安など、人それぞれ辛い苦しみを抱えていると思います。
しかし、どんなに苦しくても、自分の命が本当に大切な命だとわかれば、自ら命を絶つという選択はしないのではないでしょうか。BIGやTOTOやLOTO6の券は、物質的には紙切れですが、○億円と取り替えられる価値あるものと分かれば絶対に捨てませんよね。
命は大事?と聞かれれば、当然みんな「大事に決まっているよ!」と答えますよね。「自殺はいいこと?悪いこと?」と問われたら、「自殺はいけない。大切な命をそんな粗末にしてはいけない」と答えるでしょう。
では「どうして命は大切なの?どうしてこんなに苦しいのに、自殺をしてはいけないの?」と聞かれたら、どんな答えが用意されているでしょうか。
一番重要な部分でつまづき、回答に窮してしまいます。
どんな環境に生まれ育ったとしても、一度きりの人生。誰もが、生まれてきてよかったと、生きることの有難さをかみしめて生きていきたいですよね。
北朝鮮の国民にとっても、私たち日本人にとってもいちばん大事な「命の尊さ」とその理由が説かれているのが仏教です。
仏教に説かれている命の尊さ
人間の命がいかに尊いかについて、お釈迦様はたとえ話で教えられています。
それが『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』に説かれている「盲亀浮木(もうきふぼく)」の喩え話です。
大海の底に一匹の目の見えない亀(盲亀)がいる。この盲亀は百年に一度、海の上に浮かび上がる。その海には、真ん中に穴のあいた一本の丸太が流れている。
さて、盲亀が百年に一度浮かび上がった際、その浮木の穴へ、ひょいと頭を突っ込むことがあるだろうか。
このようにお釈迦様は弟子に問いかけます。誰でも、そんなことはありえないと思いますよね。しかし、何億兆年よりも永い間には絶対にないとは、言い切れない。ところが人間に生まれるということは、盲亀がこの浮木に頭を入れることよりも難しい、有り難いことなのだよ、とおっしゃっています。
このように、人間に生まれるということがそれほどまでに難しいことであり、ゆえにこの命には計り知れないほどの大切な意味があるのだよ、とお釈迦さまは断言されているのです。
貧困に苦しむ北朝鮮国民だけでなく、豊かな日本でも多くの人が苦しみ自殺をしてしまうのは、根本に命の尊さがわからないからです。仏教で説かれる命の尊さを知り、すべての国のすべての人が、生まれてきたことを心から喜べるようになってもらいたいです。