「リア充」に憧れる「キョロ充」「非リア充」とは。他人に惑わされない、ただ一つのポイント

リア充」「キョロ充」「非リア充」 という言葉をご存知でしょうか。「リア充」という言葉は有名なので知っているかもしれません。しかし「キョロ充」は初耳という人も多そうですね。ネットで一般的に使われている言葉です。

「リア充」「キョロ充」「非リア充」とは

それぞれの解説をします。まずは「リア充」から。

実際の現実の生活(リアル生活)が充実している人間のこと。

  • 恋人や友人付き合いに恵まれる
  • サークル活動や飲み会へ参加する
  • オタク以外の趣味を楽しむ

リア充とは – はてなキーワード リア充とは - はてなキーワード

このリア充という言葉は、2ちゃんねるやニコニコ動画などのインターネット上でよく使われている言葉です。現実が充実していないという人が集まり、自虐的に”自分たちとは違う人”として「リア充」と言い始めました。

「リア充爆発しろ!」

よく聞きますし、言ったりすることもありますかね?ポイントとしては、自虐的に名付けたものであり、自分が言い始めたものではありません。本当にリア充の人は、この言葉すら知らないことでしょう。

そしてリア充に対して、自称する場合に使うのが「非リア充」です。

非リア充(略称:非リア)とは、恋愛や仕事などの現実生活(リアル生活)が充実していない人間のこと。または、非リアル生活が充実している人間のこと。対義語はリア充。
非リア充とは (ヒリアジュウとは) [単語記事] – ニコニコ大百科 非リア充とは (ヒリアジュウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

「そっとしておいてほしい」と上記のリンクでもあるように、リアル生活が充実している人とは比べられたくない人たちです。反対にいうとリアルではない、インターネットライフなどが充実しているという点で「ネト充」とも言われることがあります。別にまったく充実してないわけではなく、充実を求める先がリアルではないということです。当然ですが、インターネット上だとこの非リア充が多いように見受けられます。

さて最後の「キョロ充」これはなんでしょうか。森永製菓チョコボールのキョロちゃんとは関係ありません。

常に人の目を気にしながらも自分にはリア充グループの一員であるというアイデンティティに支えられ、大学生活が充実していると感じている人間。
キョロ充とは – はてなキーワード キョロ充とは - はてなキーワード

常に人の目を気にしているため、終始キョロキョロしている特徴から「キョロ充」と言われています。なんだかグサッと来る言葉ですね。自分にも他人にも心当たりあるのではないでしょうか。

彼らはリア充に憧れ、リア充の人たちのグループに所属しています。しかし根っからのリア充にはなりきれず、他の人の振る舞いを見ながら、リア充になろうとしている人たちです。一人になることを極端に恐れて、リア充グループに所属していることで安心感を得ています。別名、金魚の糞とも言われてしまっています。つまりは金魚がいなければ…これ以上は言わないでおきます。

自分の価値は他人によって決まるのか?

どの言葉もどれも強烈な言葉ですね。しかしあまり惑わされてはいけません。

「リア充」になろうと焦らず、「非リア充」と嘆くこともないのです。

不幸なのは自分の価値を他人によって決められているということなのです。

「キョロ充」の人は「リア充」になろうするから、常に焦りを感じることになってしまいます。また「非リア充」が嘆くのは「リア充」になれない自分を認識するからです。比較して自分がみじめに感じるのです。

テレビドラマやマンガでも「リア充」と呼ばれるような生き方は誰にとってもまぶしく見えます。見た目はかっこ良く美しくかわいく、友達も多く、趣味も多い。そんな人になりたいという憧れはそう絶えることはありません。

尊敬ならいいのですが、比較して卑屈になったり、卑下してしまっては、自分に自信がもてません。結果、「非リア充」と自虐的になってしまうのです。

他人と比較せずに生きるために仏教では大事な教えが説かれています。

仏教で教えられる自業自得

仏教では人生の法則として、因果律が教えられています。私たちが一番知っている言葉では「自業自得」で教えられています。

これは自分の幸福感は、自分の行為によって決まるということです。

自業自得というと、遊んでばかりいて資格試験に落ちてしまったなんてときに友達から言われるような言葉というイメージがあるかと思います。つまり悪い結果が起きた時に言うイメージです。

しかし良い結果も悪い結果もすべて、自業自得と教えられているのが仏教です。ここに例外はありません。

ここで言えるのは自分の運命は自分によって切り開くものということです。言ってしまえば、他人がどうだろうと関係ないのです。

「非リア充」にしてもリア充を気にしてるから出てしまう言葉ですし、「キョロ充」はリア充あってこその存在になってしまいます。これではリア充がいる限り、絶対に幸福感は得られません。

他人ばかり見ているから、「羨ましい」と思ったり、「なんで自分はダメなんだ」と自信をなくすのです。他人と比較する生き方は苦しむばかり。その目をもっと自分に向けましょう。「リア充爆発しろ」と言ってる暇があれば、昨日の自分を超えるよう努力してみましょう

私たちは強烈な言葉に惑わされがちです。自分事に集中し、他人に振り回されず生きるために、「自業自得」を肝に銘じましょう。

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