何のために働くのか。仕事の意味を仏教観からアプローチした

私も社会人となり5年が経ちました。

最近は特に転職活動を考えている人、転職活動中の人、すでに転職した人がまわりにとても多いと感じます。

新入社員のころはとにかく仕事を覚えるのに必死で、周りが見えていないものです。

それが2年,3年と過ぎると仕事や環境にも慣れてきますよね。4年目,5年目にもなるとだんだん仕事や環境の刺激が失われてきて「今の仕事のままで本当にいいのかな? 本当に満足のいく人生になるのかな?」という思いを抱えはじめる方も増えてくると思います。そして、もっとほかにやるべき仕事があるのではと思い立ち、転職活動を始められる方も多いですよね。

もちろん、あまりに労働環境が悪くてそこから脱出するために仕事を変えられる人もいると思いますが。

もちろん「どんな仕事につけば満足できるのか」について考えることも大事ですが、その根本にある「何のために働いているのか」という“働く意味”が明確になっているでしょうか。

その働く意味について仏教の観点からアプローチしました。

働く意味は、生きる意味に通じる

あなたは「何のために働いていますか?」と聞かれたら、何と答えられるでしょうか。

「それはお金を稼ぐため」とほとんどの人が答えられると思います。

仮に宝くじで1等が当たり7億円が手に入ったとしたら、それでも今の仕事を続けられるでしょうか。続けないと答えられる人が圧倒的に多いと感じます。とりあえず今の仕事はサッサとやめて、長期で旅行にでもいきますよね。仕事をやめるということは、やっぱりお金のために働いていたと言えます。

中には「社会貢献のために働いている」という人もいると思います。その精神をもたれているのは本当に素晴らしいです。が、全く給料をもらえなかったとしたら、それでもその仕事を続けられるでしょうか。マンション経営でもしていて権利収入が得られているのなら別ですが、そんな副収入がなければとてもその仕事は続けられませんね。

では「お金を稼ぐのは何のため?」と聞かれたらどう答えられるでしょう。

それは「生活していくため、食べるため」ですよね。食べなかったら生きていけません。

それでは「働いて、食べて、生きていくのは何のため?」と聞かれたら、どんな答えを用意されているでしょうか。

そんなことは普段、友人や家族との会話でも話題になりませんし、聞かれないことなので、明確な答えを用意されている方は少ないと思います。

このように、“働く意味”を掘り下げて考えていくと、最終的には「あなたは何のために生きているのか」「あなたの生きている意味は何か」という問題にぶつかります働く意味とは、その人の人生観にも大きく関わる非常に根の深い問題なのですね。

 生きる意味についての西洋の先哲の言葉

その生きる意味について、ずっと考えられてきたのが哲学です。哲学者は生きる意味について、どのような答えを残しているのでしょうか。

19世紀のドイツの哲学者で、後の哲学者・思想家にも多大な影響を与えた人にニーチェがいます。

ニーチェといえば2010年に出版された「超訳 ニーチェの言葉」がベストセラーとなり、注目を集めましたよね。この本自体はニーチェの言葉の一部分を抜き出し、ニーチェの思想には沿わない勝手を解釈を付け加えているだけという批判も浴びていますが、何にしろニーチェの名前が多くの人に聞かれるようにはなりました。

では、ニーチェは生きる意味についてどう言及しているかというと、

人間の存在はぶきみで、依然として意味がない。

(ニーチェ著『ツァラトゥストラかく語りき』)

と言っています。「あなたの存在は無意味。生きている意味はない」と断言しているのですね。

生きる意味がなければ生きるために食べる意味も、食べるために働く意味も失ってしまうことになります。私たちの生活を根本から揺るがす衝撃的な言葉です。

こんな衝撃発言を認めてしまってもいいのでしょうか。

「そんなのは有名とはいえ、一人の哲学者の言葉に過ぎない。受け止め方は人それぞれ」と思われるかもしれません。しかし、これまで生きていた中で「これ一つ果たしたから、もういつ死んだとしても満足」というものはあったでしょうか。

また、これから先を生きていく中で「これ一つ果たしたなら、もういつ死んでも満足だ」といえるものはあるでしょうか。

それが見つからない状態のまま人生を終えていくのであれば、最後「いったい、何のために生きてきたのか」「どうして満足と思えるものを求めてこなかったのか」と苦しむことになってしまうのですね。

ニーチェも絶賛する仏教 ハッキリと教えられた生きる意味

キリスト教が基盤であった西洋哲学では人間存在の答えはなかったとニーチェは言っています。ではキリスト教と双璧をなす仏教をニーチェはどう評価しているのでしょうか。

仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。
仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言ってよいでしょう。

(ニーチェ著『アンチクリスト』)

と仏教の素晴らしさに驚いているのですね。

ニーチェが現実的・論理的と評するその仏教では、生きる意味がハッキリと教えられていて、それを示している言葉が

天上天下 唯我独尊

と言われています。

一度は耳にしたことのある言葉だと思いますが、正しく意味を理解されている方は少ないのではないでしょうか。大宇宙でオレだけがひとり偉いんだ、と誤解され、暴走族の旗に書かれていたり、トンネルの壁にスプレーで落書きされたりしています苦笑

天上天下」は大宇宙、

」の意味がポイントで、これは特定の個人のことではなく「我々人間」という意味です。

なので「天上天下 唯我独尊」とは「この大宇宙で、ただ私たち人間だけが果たすことのできる、たった一つの尊い使命がある」ということです。

使命とは、命の使い道ということ。私たちの存在は無意味などころか、決して費やして後悔しない命の使い道があるんだ、と言われているのですね。

「これ一つ果たしたなら悔いはない」という命の使い道を知ってこそ働く意味も見出せるのであり、心からの労働意欲が湧き、充実した日々を送ることができるのです。

仏教を続けて学ばれると、本当の命の使い道が何なのかもハッキリとわかります。ニーチェも絶賛しているとおり、現代科学とも矛盾しない現実的な内容で、論理的に納得できないところはない教えです。この記事をきっかけに仏教に関心をもたれれば嬉しく思います。