「訃報」
というタイトルのメールがOutlookの新着メール通知で浮かび上がったのは、出勤直後から電話の鳴り止まない、忙しい朝のことでした。
脳出血で同僚が入院したと聞いたのは、その数日前。
同僚は転職してきて2年目の若手社員で、年齢は30代でした。
あまりにも…
あまりにも、早過ぎる死でした。
「まだ30代の人だし大丈夫」と思っていた私に突きつけられた、若者の突然死
まだ30代の人だし健康そうな人だったから、何日か経ったらきっと元気に出勤されるだろう…なんて、呑気なことを考えていた私は、メールを見た瞬間、時間が止まったように思考が停止し、足下がぐらぐらするような衝撃を受けました。
連絡を受けた日の夜にはもうお通夜があり、仕事後に会社の先輩方と参列。
信じたくなかったですが、読経をする僧侶の向かいに掲げられていた遺影は、まぎれもなく見知った同僚の笑顔でした。
遺影の笑顔は同僚のいつもの雰囲気そのまま。
穏やかな笑顔が印象的で、周囲からも有能な若手社員と評価されていた方でした。
毎日のように会えば挨拶をしていた人が、ある日突然いなくなって、二度と会うことが叶わない。
帰り道、電車に揺られながらも、この現実を呑みこめなくて、まだ夢のような、いつか覚めてくれるような錯覚を抱きました。
何日経っても同僚が来ることのない職場の席を見るたび、「ああ、二度と会えないとはこういうことなのか」と思い知る毎日を送っています。
決して珍しいことではない、前兆のない30代の突然死
同僚の不幸があったちょうどその週、何気なくネットを開いたらこんな記事があり、衝撃を受けました。
記事のタイトルは「突然死はあなたにもありうる」。
思わず同僚の顔が思い浮かんでしまいました。
お笑いタレントの前田健さんが今年4月に東京都内で突然倒れ、帰らぬ人となったニュースを覚えている人も多いでしょう。
享年44歳。
実はこうした働き盛りともいえる40代男性の突然死が意外にも全年齢のなかでいちばん多いといいます。
(中略)
見た目は健康そのものですが、ある日、大きなストレス、ショックな出来事や過労が重なるとき、血管が破裂したり、壊れたりして一気に突然死を引き起こします。仕事を毎日バリバリやっている30代後半から40代半ばくらいの文字どおり一線にいるビジネスマンが最も危険なのです。
ガンは、一気に死に到達するものではないので早期発見で治る可能性も多くありますが、この突然死はある日突然、命に終わりを迎えます。潜病とは身体の不調を伴わない分、気づかれない最も恐ろしいステージです。
参照:40代男性に多い突然死はあなたにもありうる | 健康 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準)
URL:https://toyokeizai.net/articles/-/117406
「まだ30代だから、大丈夫」―――なんて呑気な私たち20代、30代の楽観的な希望は、潜病による突然死の前には木っ端微塵にされてしまいます。
病気だけでなく、不慮の事故も年齢に関係なく私たちの命を奪っていきます。
もうすぐ社会人の皆さんはお待ちかねのお盆休みがやってきますが、楽しいはずの海水浴やサーフィンで行った海で溺れて亡くなる人。
レジャー帰りの高速道路で事故に巻き込まれてこの世を去る人…
そんな若い人が一人もおらずに、夏が終わることはありません。
誰にでもやってくる未来が書かれている、500年前の文章「白骨」
葬儀や法事でしばしば読まれ、名文として知られる「白骨」には、私たちの儚い命の実態が刻まれています。
朝(あした)には紅顔ありて夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李(とうり)の装いを失いぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
文章は古文なのですが、500年以上経った今日の私たちが読んでも納得させられる厳粛さと死の生々しさが伝わってくる文章です。
朝、家を出るときには、「いってきます」と元気な顔で家を出た人が、夜には、変わりはてた姿で会わねばならないことがある…・
私も最後に会った日、「おつかれさまです」と笑顔で声をかけてくださったあの同僚が、次に会うときは棺の中でした。
そして死という無常の風がやってきた人の瞼は閉じられたまま、二度と開くことはなく、その息が戻ることはありません。
親や子供が棺にいくら縋って生き返って欲しいと泣いて願っても、死んだ人が生き返ることは絶対にないのです。
この白骨という文章にはこんな一文もあります。
今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露より繁しと言えり。
この文章を書かれた僧侶は
「人が死にゆくさまは、雨の日に、木の枝から雫が落ちるよりも激しい」
と言い残しておられます。
実際に、この地球上では1秒間に2人が亡くなっているそうです。
1分間では120人。一時間では…一日では…
と考えていくと、私たちが何気なく過ごした一日、世界中で、どれほど多くの人が亡くなっているか測り知れません。
そして、365日の中のどこか一日が、私たちの命日になる日が必ずやってくる。
それはどの日であったとしても、私たちにとっては「まさか今日が人生最後の日だったなんて」としか思えないでしょう。
「死」は私たちの思いや都合に関係なく、いつでもどこでも襲ってくるものなのです。
こんな文章を読んでいると、「気分が落ち込んでしまいそう…」という感想を持たれた方もいらっしゃるかもしれません。
しかしすべての人間の偽らざる姿は「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」。
楽しい夏祭りや海水浴でいくら賑やかに盛り上がろうとも「今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露より繁しと言えり」という世界の姿は変わりません。
私たちの「そんな暗いこと考えたくない」という感情や都合に関係ない、人間の、この世の、本当の姿を突きつけるのが仏教なのです。
「無常」を知って観つめることが、悔いなき人生の出発点
仏教には
無常を観ずるは、菩提心のはじめなり
という言葉があります。
仏教には“この世に変わらぬものは何一つ無い”という思想が説かれており、これを「諸行無常」といいます。
その無常の中で、私たちにとって最も苦しいのは、「死」という無常でしょう。
『白骨』で「無常の風」という表現で書かれているのは、私たち自身の死です。
もうすぐ同僚が亡くなって3ヶ月。
彼が身を持って教えてくれた無常を観つめ、いつ来るか分からない“今日が人生最後の日”が来ても後悔の無いように、人生を送りたいものです。
(後編に続きます)
訃報との向き合い方とは?30代同僚の急死で考えさせられた「3人の天使」と「老少不定」の話
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