「天上天下 唯我独尊」に続きがあった?生きる意義を教えられた『三界皆苦 吾当安此』について

仏教の有名な言葉に「天上天下 唯我独尊」があります。

この言葉は「唯一、我(自分)だけが独り尊いのだ」という意味で誤用されることが多いのですが、正しくは「人間には果たすべき大事な使命、生きる意義がある」という意味です。

人間の果たすべき使命がある、と言われたら、それは何かは当然、気になりますよね。

実は「天上天下 唯我独尊」の言葉には以下のような続きがあります。

三界皆苦 吾当安此

この言葉の意味を知ることは、生きる意義を理解する上で重要です。
「三界皆苦 吾当安此」に意味に迫っていきます。

常に欲に動かされているのが人間

まず三界の意味については、以下のように記されてます。

一切衆生(しゅじょう)が、生まれ、また死んで往来する世界。欲界・色界・無色界の三つの世界。

一切衆生とはすべての人のことなので、「三界皆苦」は「すべての人は、欲界・色界・無色界の三つの世界で苦しんでいる」という意味です。

私たち人間は欲界・色界・無色界のいずれかの世界で生きていて、しかも苦しんでいると言われているのですね。

では欲界・色界・無色界とはそれぞれどんな世界なのでしょうか?

はじめに欲界について。

仏語。三界の一。食欲・淫欲・睡眠欲など本能的な欲望が盛んな世界。

食欲や睡眠欲など、欲が盛んな世界のことを欲界といわれています。

人間にはいろいろな欲がありますが、仏教では代表的なものを5つあげ、五欲と呼んでいます。

財欲・色欲・飲食(おんじき)欲・名欲・睡眠欲の五つ。

それぞれの詳細は、

  • 財欲:お金や物がほしいという欲
  • 色欲:異性を求める欲
  • 飲食欲:食べたい、飲みたいという欲
  • 名欲:他人からの名誉や称賛を求める欲
  • 睡眠欲:眠たい、楽がしたいという欲

考えてみれば私たちは、朝から晩まで、欲を満たすことばかり考えて過ごしているのではないでしょうか

朝、眠い目をこすって職場へ行くのは財欲や名欲のためですね。

お昼になってお腹が空き、ランチを食べに行くのは飲食欲を満たすためです。

ようやく仕事が終わって合コンに行く人は色欲、パチンコに行く人は財欲、早く帰って寝る人は睡眠欲に動かされています。

このように常に欲に動かされているのが私たち人間である、といえますね。

満たし切れない欲で苦しんでいる

こうして日々、欲を満たすことばかり考えて過ごしていても「欲を満たし切った」ということはあるでしょうか。

食べ放題で、お腹がはち切れてしまいそうなほど食べても、翌日にはまたお腹が空いてきます。たとえ13時間寝てたとして、また眠くなってきますね。

お金がほしい、という欲もとどまることはありません。

ドイツの哲学者であるショーペンハウアーは

富は海水に似ている

飲めば飲むほど、のどが渇くのだ。

名声についても同じことが言える。

と語っています。

海で遭難した際に、一番してはいけないことが「海水を飲むこと」と言われます。喉の渇きに耐えかねて飲んでしまうと、渇きが癒えたと感じるのは一瞬で、その後に更なる猛烈な渇きが襲ってくるのです。

ちょうどそのように、お金や名声を得れば一時的には満足できるのですが、その後に「もっとお金がほしい。もっとほめられたい」という更なる大きな欲がわき起こる、とショーペンハウアーは言っているのですね。

お釈迦さまも、お経の中で

心(=欲)のために走(は)せ使われて、安き時有ること無し。
(大無量寿経)

と、満たされない欲のために使いっ走りをさせられているのが人間であり、心からの満足がない、と明言されています。

もちろん欲を満たさないと生きてはいけませんが、満たし切れない欲に振り回れされて苦しんでいるのも事実です

ですから、欲界は苦しみの世界である、とお釈迦さまは言われているのですね。

完成がない芸術と、答えのない哲学

残る色界と無色界とはどんな世界なのでしょうか。

色界は欲から離れた芸術の世界
無色界も同じく欲から離れた哲学・思想の世界です。

芸術は完成がない、といわれますし、哲学・思想は答えがない、といわれます。
いずれも、どこまで探求しても求まらないものを求め続ける苦しみの世界となるのです。

(そもそも仏教では、人間は欲を離れて生きることはできない、と教えられています)

ゆえに三界は皆、苦しみの世界なのです。

欲を満たすのとは別のところにある

芸術や思想に完成を求めても得られず、満たし切れない欲で苦しむ人間は、何をすれば心から満足ができるのでしょうか?
生きる意義といえるものは何なのでしょうか?

実は人間には、欲を満たすこととは異なる使命がある、とお釈迦さまは教えられています。

それを明言されているのが「吾当安此(吾、まさに此を安んずべし)」の言葉です。

吾(この釈迦)は、此(三界で苦しむ人々)を安んずる(欲を満たすこととは異なる心からの満足に導く)ために人間界に生まれ、これから教えを説くのだ」というお釈迦さまの宣言なのです。

ではお釈迦さまの教えられた心からの満足はどうすれば得られるのでしょうか?

お釈迦さまは45年間かけて説かれたことです。
さっくりと、一朝一夕でわかるものでないことはわかられると思います。

仏教アカデミーでは仏教を基礎から学べる「メール講座」を配信しています。
メール講座を受講されると多少の時間はかかりますが、着実に仏教の理解を深め、生きる意義を理解することができます。

関心ある方は記事下からのボタンからご登録ください。