執着しない生き方とは?思い出に執着する人への仏教の回答(仏教お悩み相談室)

皆様から寄せられた悩みに、仏教でお答えするコーナー「仏教お悩み相談室」を開設しました。
初回は以下のようなお悩みが寄せられました。「思い出」についてのお悩みです。

悩みについて書かせて頂きます。

ある日突然、スマホをなくしてしまいました。付き合ってる彼氏との今までのやりとりや友達との写真データがすべて失い、とてもショックです。。
子供のころも夏休みの宿題として提出した文章や絵が、勝手に焼失させられたということを聞いて大変ショックを受け、傷つけられました。それから思い出収集癖がついてしまったようです。
思い出に執着する生き方から離れたいのですが、どうすればよいでしょうか。
 (匿名かつ内容を一部変更しています)

こちらの質問に対し、以下のように回答しました。

執着の意味とは。「愛」という名の煩悩

思い出を大切に思い、収拾してしまう。そしてその思い出を失うことが怖い。そのお悩み、切実にお受けとめします。さぞ心傷まれたかと推察いたします。とても辛いことですね。

仏教を通じて、アドバイスさせていただきます。

「思い出に執着する生き方から解放されたい」ということでしたが、

実は思い出こそ「執着」そのものであります。

仏教では、この執着を「愛」といいます。

「愛」というとなんだか聞こえがいいですよね。現代では愛というと「Love」の意味になっています。キリスト教の隣人愛などキリスト教輸入の意味になっているわけです。

しかし、仏教本来の意味とは違っています。執着の意味とは、「ある物・事に強くひかれ、深く思い込んでどうしても忘れ切れないこと」です。

その対象は異性でもありますし、物にもあります。色欲や物欲も同じ系統です。恋は典型的な執着ですね。忘れたくても忘れられない。その人との思い出のプレゼントを見ると思い続けてしまうでしょう。

また一度「新発売の○○がほしい」と思ったら、買うまで忘れられない。これも典型的な執着です。どちらも過度になると、ストーカーか依存症になってしまいます。

仏教ではこの執着を「煩悩」として教えられています。

煩悩というのは、私たちを煩わせ悩ませるもののことです。以下の解説記事で詳しく書きました。

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ではこの思い出に執着する「愛」とどう向き合えばよいのでしょうか。

過去ではなく、未来に目を向ける

青年は未来に生き、 老人は過去に生きる

という言葉が昔から言われています。

老人と、青年もとい若い人は、何で分けられるか。

それは年齢ではありません。肉体的な若さでもありません。大事なのは心の向きです。

心の向きが、過去に向いてるか、未来に向いてるかによって決まるということです。

思い出に向き合ってるというのは、言ってしまうと過去に向かっているということです。
心が常に過去に囚われてしまっているということです。

もちろん美しい思い出、懐かしい記憶を取り戻したいという気持ちは、誰にでもあります。「あの時代はよかった」「昔はよかったんだよ」という嘆きをよく聞きますね。辛い現実を忘れて、甘い思い出にひたりたくなる気持ちはよく分かります。

しかし過去に目を向けても、人は二度と過去に戻ることはできません

昔が楽しかったとしても、それは今ではないのです。

仏教では「諸行無常」が教えられ、すべてのものはうつりかわっていきます。世の中も、人も物もすべてが変わっていきます。

それは思い出も同じで、年過ぎれば風化していきます。それは思い出の品があっても同じです。
 思い出は甘さこそ与えてくれますが、現在を幸せにしてくれる力はありません

そして、最大の無常というのは自分自身です。

自分もいつどうなるか分からない、いつまでも生きておれるわけではないぞ、と無常が教えられています。その有限な人生を何に使うかが問われているのです。

過去の思い出を大事にされるあなたは、今の周りにいる人も大事にできる人だと思います。ぜひ過去ではなく、今を、そして未来を大事に生きていただければと思います。

相談されたいお悩みがある方は、問い合わせよりご連絡ください。

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