10月14日放映開始の話題作『Fate/stay night [Heaven’s Feel]』の公開まであと一週間。
ufotableさん製作ということもあり、古参のファンはもちろん、これまでのアニメ化作品を見て気になっている方の期待も高まっています。
今超人気のアプリゲーム『Fate/Grand Order』でも登場しているギルガメッシュ。
英雄王こと、そのギルガメッシュがキーキャラクターとして活躍するスピンオフ作品『Fate/Zero』を考察していくコラムがこのシリーズです。
今月は3回に渡って、ギルガメッシュの代名詞の一つでもある「愉悦部」についてお伝えしています。
※(参考)前回記事はこちら
『Fate/Zero』でメインキャストとして登場するカリスマ神父・言峰綺礼。
本家シリーズ『Fate/stay night』でも物語の鍵を握る綺礼ですが、『Fate/Zero』では「人生に理想もない、願望も持たない空虚な悩める聖職者」という青年時代の姿で描かれています。
『Fate/Zero』「愉悦部」結成までのあらすじーーー何故か選ばれたマスター・言峰綺礼
若かりし頃の綺礼は、父親からの指示で「聖杯戦争」という闘争に参加することになります。
どんな願いを叶えるといわれる「聖杯」を求める七人のマスターと言われる魔術師と、マスターに呼び出されたサーヴァントが命をかけて戦い、生き残った一組だけが聖杯で願望を叶えることができるという戦争。
綺礼は父親・璃正が密かに交流を持つ魔術師・遠坂時臣(とおさか ときおみ)が聖杯戦争に勝つよう協力しろといわれ、指示通り聖杯戦争に参加していました。
綺礼は聖杯戦争に参加する資格の証である「令呪」というタトゥーを戦争が始まる三年も前に授かりましたが、叶えたい願望の無い自分がなぜ選ばれたのか分からないまま聖杯戦争に参加します。
そこへ綺礼と時臣の人生が激変するきっかけ・ギルガメッシュが現れます。
ギルガメッシュは時臣に呼び出されたサーヴァントでした。
古代メソポタミア時代、世界の全てを手に入れたといわれる王様らしく、傲慢で傍若無人。時臣の言うことを全く聞かず街中を遊び回って徘徊し、ある日綺礼の部屋にも登場します。
「理想もなく、願望も持たず、愉悦もない」
と言う綺礼にギルガメッシュは
「愉悦というのはな、言うなれば魂の容(かたち)だ。
“有る”か“無い”かないかではなく、“識る”か“識れないか”を問うべきものだ。
綺礼、お前は未だ己の魂の在り方が見えていない。
愉悦を持ち合わせんなどと抜かすのは、要するにそういうことだ。」
と言い、巧みな話術で綺礼が関心を持つことを暴いていきました。
その結果綺礼は「間桐雁夜(まとう かりや)」という男について、無意識に興味を持っていたことが明らかになります。
間桐雁夜は決して報われることのない人妻への片思いで人生を破滅させていた青年でした。
そんな雁夜に強い関心を持っていた綺礼は「愉悦」を理解したのだと言うギルガメッシュに綺礼は反論しますが…
綺礼「間桐雁夜の命運に、ヒトの『悦』たる要素など皆無だ。
彼は生き長らえる程に痛みと嘆きを積み重ねるしかない。
いっそ早々に命を落としたほうがまだ救われる人物だ」
ギル「……綺礼よ、なぜそう『悦』を狭義に捉える?
痛みと嘆きを『悦』とすることに、何の矛盾があるというのだ?
愉悦の在り方に定型などない。それが解せぬから迷うのだ。お前は」
痛みと嘆きを悦とする「愉悦」、つまり他人の不幸は蜜の味という楽しみ。
綺礼の愉悦は他人の不幸にあったとギルガメッシュは断言します。
ギルガメッシュが指摘した綺礼の「愉悦」は、仏教哲学の視点から考察すると「煩悩」と考えることができます。
除夜の鐘を鳴らす回数でも知られるように、人間には108の煩悩があり、その中でも最も私たちを悩ませ苦しめる煩悩の一つが「愚痴」という煩悩です。
「愚痴」とは、今日使われている不平不満を言うという意味ではなく、仏教では他人の幸せを妬んだり、嫉んだりする心のこと。
裏を返せば「他人の不幸は蜜の味」も「愚痴」の心です。
鎌倉時代に書かれた仏教書には
こころは蛇蠍の如くなり
(正像末和讃)
という一節もあり、蛇や蠍(サソリ)を見たときのようなゾッとする心が「愚痴」の心。
そんな心が自身の愉悦の源泉だと言われた綺礼は
「英雄王、貴様のようなヒトならざる魔性なら、他者の辛苦を密の味とするのも頷ける。
だが、それは罪人の魂だ。罰せられるべき悪徳だ。
わけても、この言峰綺礼が生きる信仰の道に於いてはな!」
と、自身にそんな醜い心など無いと否定しますが、その発言を否定するかのように綺礼の体に異変が起こります。
再び現れた令呪、自身の「愉悦」を目の当たりにする綺礼
「ーーーッ!?」
左の上腕、肘に程近いあたりの部位に、焼けつくような痛みがあった。
「令呪」つまり聖杯戦争の参加者に選ばれた証が再び綺礼の腕に現れたのです。
このとき綺礼は時臣の指示によりアサシンを使い捨てており、既に聖杯戦争から名実ともに離脱していました。
サーヴァントが6体、マスターが6人の状態で新たに綺礼がマスターとして選出された。
これは異例中の異例です。
「どうやら聖杯は、言峰綺礼によほどの期待を託している様子だな。
綺礼、お前もまた聖杯の求めに応じるべきだ。紛れもなくお前には、願望機を求めるだけの理由がある。
それが真に万能の願望機であるならばーーー聖杯は、お前自身にすら理解の及ばぬ、心の奥底の願望をそのままに形を与えて示すことだろう」
心得顔で語るアーチャーの面持ちに、綺礼はどこか既視感があった。
思い当たるのはーーーそう、聖書の挿絵に描かれた、エデンの園の蛇だ。
「聖杯を得て叶えたい願望が無いなら、愉悦を求めればよい」
とギルガメッシュに言われ、自分に愉悦など無いと言っていた綺礼。
しかし時臣の指示通り動いただけとはいえ、既に聖杯戦争から離脱したはずの綺礼が再び選ばれたということは、それほど強い愉悦への渇望が綺礼の深層心理にはあったということでしょう。
これ以降綺礼は次第に自身の心の闇を自覚していきます。
綺礼が「愚痴」の心という愉悦を自覚させられるきっかけになった間桐雁夜。
間桐雁夜はとうとう、片思い相手の遠坂葵(あおい)を奪った恋敵・時臣と対峙します。
雁夜は死にかけのボロボロの身体を酷使し戦いましたが、全く敵わず敗北し、マンションの屋上から転落。
その様子を隠れて見ていたのが綺礼でした。
信仰に忠実だったカリスマ神父を豹変させた「愚痴」の心。愉悦部誕生の時が迫る…
常に命令には忠実に、義務には従順に、倫理には厳格に。
そう努めてきた綺礼である。その言動はいつでも必要に迫られた上での、疑う余地のない選択ばかりだった。
だからこそーーー自らの行動の意味を測りかねるという当惑は、これが初めてのことだ。
はじめは遠坂時臣の擁護をする意図で、綺礼は師が戦いに臨むその現場に駆けつけた。
が、時臣の対戦相手が間桐雁夜であると判った途端、綺礼は助勢に参じるのではなく、物陰に身を潜めたまま顛末を見届けるという、サボタージュも同然の行動を選択してしまった。
さらに後、間桐雁夜が息絶えたかどうか確認しに行った綺礼は自身でも思いがけない行動に出ます。
ほどなく裏路地に転がっているその姿を見出したとき、雁夜にはまだ呼吸があった。
無論、忠実に遠坂陣営の走狗であろうとするならば、速やかにとどめを刺すのが当然の義務だ。
なのにそのとき綺礼の脳裏を去来したのは、今朝方、アーチャーと交わした会話の内容だった。
他人の不幸に喜びを感じてしまう綺礼の「愉悦」、つまり煩悩を見抜き
「痛みと嘆きを『悦』とすることに、何の矛盾があるというのだ?」
と言ったギルガメッシュとの会話は、綺礼の心を掴んで離さなくなっていきます。
そして綺礼はついに、時臣の敵である雁夜に延命措置を施し、自宅まで運んでやるという暴挙に出てしまったのでした。
時臣を支援するという任務を放棄するほど、雁夜の苦しみをもっともっと見ていたいという「愉悦」が強かったのでしょう。
今夜明らかに綺礼は遠坂時臣の忠臣としての一線を超えたのだ。
そこまで事の重大さを自覚しておきながらも、なぜか綺礼の胸に後悔の念はなく、むしろ不可解な高揚感さえ感じている。
アーチャー(※ギルガメッシュのこと) ーーーあの英雄王に、自分は誑かされているとでもいうのか?
信仰による肉体と精神の修養によって綺礼が見ないようにしてきた、「愚痴」による他人の辛苦を喜びとする「愉悦」の心。
長年押し殺していた「愉悦」に気付かされた綺礼は、他人の不幸という蜜の味を自覚し、求めるようになっていきます。
それは仕事に忠実だった綺礼の人生が音を立てて崩壊していくきっかけでもありました。
次回は「愉悦部」誕生後の綺礼の行く末から、「愚痴」の心の深淵を見ていきたいと思います。