【宝石の国】好きな人を疑うことは、つらい。金剛先生の謎を探るフォスから分かる人間の「疑う」心 ※ネタバレ注意

※『宝石の国』6巻までの内容があります。ネタバレご注意ください。

古代と言われるほどの昔、人類が滅んだ世界が描かれる『宝石の国』。

人間がいなくなった世界には私たちによく似た姿をした「宝石」たちが暮らしていました。

性別がないのにどこか色っぽさが漂う宝石たち。

昨年秋アニメ化され、その魅力は多くの視聴者の心を掴みました。

『宝石の国』作者の市川春子先生は、高校時代仏教校に在籍されており、作品の至るところに仏教色が見られます。

今回は『宝石の国』が教えてくれる深い人間観を原作『宝石の国』4巻〜6巻の内容からお伝えしたいと思います。

【宝石の国・あらすじ】変化して強くなったフォスは金剛先生の正体に不審を抱く

地球に六度隕石が落ち、大陸が海に沈んだ地上にはたったひとつの浜辺だけが陸として残りました。

人間が絶滅した世界に生きる「宝石」たちは、体がバラバラに破壊されても蘇生する肉体を持っています。

そんな不死身ともいえる宝石たちの唯一の天敵は月に住む狩人・月人

月人は頻繁に地上に訪れ、宝石たちを装飾品にするため誘拐を繰り返すので、宝石たちは互いの強みを補い合いながら月人と戦い寄り添いあって生きていました。

主人公・フォスフォフィライトは最も体が脆く不器用なため、長所を活かした仕事もできない状態。

しかし300歳のとき、不幸な事故で手足を失ったことがフォスの人生(石生?)を変化させます。

フォスは今までやったことのなかった冬の仕事に挑戦。

冬の仕事を共にし、自分を守るために散った仲間・アンタークへの思いを胸に戦闘で活躍するようになりました。

ある時、見たことのない新型の月人が出現。

その月人はフォスより強いボルツでさえ手に負えませんでした。

宝石たちの教育者・金剛先生に退治してもらうしかないとボルツは提案。

しかし月人は金剛先生を見るなり大人しくなり、フォスは金剛先生がその月人を「しろ」と親しげに呼んでいるのを聞いてしまいます。

僕は 先生がなにか 隠し事をしている気がする

もしかしたら、大好きな金剛先生は天敵の月人と近しい存在なのかもしれない。

今まで誰よりも信頼し、慕ってきた金剛先生に対する疑念はフォスの心を激しく動揺させます。

「月人に 訊くしかない」

他の仲間たちは、金剛先生のことを疑わしいと思いながらも信じる道を選んでいました。

たった一人、先生の秘密を暴こうと決心したフォスは自分の心との孤独な戦いに苦しんでいくことになります。

金剛先生の謎にただ一人挑むフォスは、疑いの心に苦しんでいく

金剛先生の正体は月人に訊くしかない。

決意したフォスは「月人」について学び直すことにします。

月人研究マニアとして知られるアレキサンドライトに教えを乞い、月人に金剛先生の正体を訊く方法を模索していくフォス。

金剛先生への疑いから月人について学び直すことにしたフォスですが、脳裏には生まれて間もない頃の金剛先生との思い出がよぎっていました。

金剛先生「だいぶ言葉がしっかりしてきたので

今日から授業を始める」

フォス「ひゃい」

人型の宝石として生を受けてまもなくの頃、金剛先生から個別に授業を受けていたフォス。

今は月人に攫われて地上にいない、ヘリオドールが金剛先生にこう尋ねていました。

ヘリオ「せんせー!そのこは戦うんですかー?」

金剛先生「まだわからないが

やさしい子だ

金剛先生を疑うほど、頭によぎるのは優しい先生の姿

その後月人に遭遇したフォスは月人を拘束し、意思疎通を試みます。

月人からは「ふ」「あ」という息のような声が聞こえただけで金剛先生の謎に直結する手がかりはつかめませんでした。

息のようなあれは言葉なのか

僕にしか聞こえないのか

何もはっきりしなかった

なんでか会えばすぐ解決できると思ってたけど

道のりは長そうだ

こそこそするのもつかれる

親であり師である大切な先生を疑っている自分自身に、フォスは次第に苦しんでいくことになります

今みてるのは先生の本当なのか

それとも

周囲に気付かれないようにしつつ、月人に金剛先生との関係を聞き出すために意思疎通方法を探る。

容易ではない計画の行く末に悩みながら図書室で月人の資料を探していたとき、フォスに話しかけてきた宝石がいました。

その宝石はゴースト・クオーツ

物静かですがナゾ行動が多く、神秘的な雰囲気のある子です。

ゴーストは以前は勉強嫌いで図書室に近寄りもしなかったフォスが進んで月人について学んでいることに興味を持ち、戦闘にも付いてきます。

戦闘中月人に捕まってしまったゴースト。

助けようとしたフォスですが、金剛先生への猜疑心がその行動を止めます。

先生が

どうするか

見たい

すると金剛先生はなんとゴーストを助けるため、自身の腕を砕いて敵を殲滅しました。

フォス「せ、先生?

さきほどから投げている それは」

金剛先生「みてた?」

フォス「そりゃみてますよ!」

金剛先生「私の破片だ

いつもは極微量で済むが

少し慌てた

いかんな」

フォス「いつもは……いつもご自分を砕いて投げているということですか?

初耳……だと思います

そんな恐ろしいやり方

さすがに僕でも忘れるとは」

金剛先生「そうだろう

誰かが真似すると

危ない

だから

ひみつだ

金剛先生を疑って様子を探っていたフォスは全く予想もしていなかった先生の「ひみつ」を知って動揺します。

先生は

ひそかに自分を砕いてまで

月人と戦ってる

一方で月人と親しいなんらかがある

見極めようと近づくほど

わからないことが増えていく

悩んでいたフォスに、手当を受けたゴーストが声をかけます。

ゴースト「ありがと

フォスが腕伸ばしてるとこ

見えたよ

最後は先生かもしれないけど 助けてくれようとして嬉しかった

ありがと

ゴーストが何気なく言ったフォスへの感謝は、フォスをさらに動揺させることに。

ちがう

僕は先生がどうするのか見たくて

ゴーストを助けるのをやめたんだ

仲間を見捨てて

月人を見逃そうとしたのは

先生じゃなくて

僕だ

みんなを裏切るつもりはない

でも先生のひみつを探るたび

僕のひみつも増えていく

この先

この繰り返し?

疑うことは苦しいこと。フォスが知ったのは人間の疑心の本質

大好きな人を一人で疑い続ける

その疑いの心は疑われている金剛先生ではなく、フォス自身を最も苦しめることになります。

金剛先生と月人との関係を疑い、ひみつを探ろうとすればするほど周囲に嘘をつき、心の中では仲間を見捨ててまで金剛先生の謎を暴こうとしている。

疑心によってどんどん周囲を裏切ろうとしている自身に気付き、フォスは苦しみのどん底に落ちていきます。

一人で疑いの心を抱えきれなくなったフォスはシンシャのところに行って苦悶の心中を打ち明けます。

「君にどうすると言われて

まず本当のことを知ろうと探った

疑いはじめれば先生のすべてが怪しくみえて

手がかりを得るためにみんなにうそをつく

ひとりでは正しく景色が見えているかも

もうわからないんだ

いつもそばで君の審判を聞かせてほしい」

フォスを苦しめていたのは誰かを「疑う」という心です。

フォスたちの遠い祖先である私たちも同じ。

誰かを一度疑い始めると、その心は疑われている相手ではなく自分自身を苦しめていきます

宝石の国』の作者市川春子先生も学ばれたという仏教では、私たちの人やものを疑う心は煩悩の一つであると教えられます。

煩悩といえば除夜の鐘を叩く回数でも知られるように108あり「煩う」「悩む」という字の通り、私たちを生まれてから死ぬまで苦しめ続けるものです。

108ある煩悩の中でも特に私たちを苦しめる心を「六大煩悩」と教えられ「疑」はその一つです。

何でもない相手の言動に疑心暗鬼になってしまったり、フォスのように疑いを晴らしたいがために他の誰かを裏切ってしまったり。

疑いの煩悩があまりに苦しいので、私たちは時に正しいものの見方や判断もできなくなってしまいます

しかし疑うという心が無いと、自分を騙したり危害を加えようとしたりしようとしている相手のことも100%信じてしまうでしょう。

私たちは疑うという煩悩なくしては生きていけないのです。

仏教は人間のことを煩悩が常に燃え盛っているような存在だと教えられ、そんな私たちが幸せになれる道を説かれた人間哲学でもあります。

疑う心なくては生きられず、その心で苦しんでいる私たちの姿。

『宝石の国』が魅力的な宝石たちを通して教えてくれるのは、そんな深い人間観なのかもしれません。