酒をかけられたのにシャンクスはなぜ笑った? 大事な人を守る「耐える」選択

子供たちが揃って憧れる存在といえばヒーローです。私も小さいころはヒーローものが大好きでした。そこで描かれるヒーローは強く、とてもカッコよくて、キラキラと輝いて見えました。自分もあんな風になれたらいいなと子供心に思ったものです。

子供たちはヒーローのどこに憧れるのでしょうか?
完膚なきまでに敵をやっつけることのできる強さ。誰かを守るという信念に裏打ちされた堂々としたカッコいい立ち居振る舞い。見た目にわかりやすい、そんな「カッコよさ」「強さ」が人々を惹きつけるのかもしれません。

しかし一方で、目の前に立ちはだかる敵と戦わない選択をする人もいます。戦わない姿を見たとき、多くの人は「臆病者」とか「カッコ悪い」という評価をしたり、なぜ戦わないのかと憤りを感じるかもしれません。では果たして、それは本当に臆病だから戦わないのでしょうか?

今回は「忍耐」をテーマに、ちょっと変わった視点からの「カッコよさ」、そして「強さ」について考えてみたいと思います。

なぜ酒をかけられても笑っていられるのか? 戦わないがゆえの「カッコよさ」

ONE PIECE 第1話はルフィの幼少期のエピソードから始まります。平和なフーシャ村に住む少年ルフィは、しばらくの間村に滞在するようになった赤髪海賊団と仲良くなり、船長であるシャンクスに憧れ、海賊になりたいと思うようになるのです。

ある日、いつものようにシャンクスたちとルフィが村の酒場で談笑していると、そこへ山賊がやってきました。酒を出せと言う山賊たちに、女店主マキノはシャンクスたちに全て出してしまって残っていないと答えます。その様子を見て、栓を抜いていない酒を差し出し、気さくに山賊たちに話しかけるシャンクス。ところが、そんな酒なんか飲めるかと言わんばかりにシャンクスの頭に酒をかける山賊。怒る様子も、やり返す様子もないシャンクスを見て、山賊は「腰抜け」という言葉を投げつけて酒場を出ていくのでした。

山賊たちが出て行ったあと、「派手にやられたなあ」と陽気に仲間たちと笑っているシャンクスに、ルフィは怒り心頭。「やられて黙っているなんて男じゃない」「カッコ悪い」と悔しさをぶつけます。しかし、「怒るほどのことじゃないだろ?」となおも笑っているシャンクスに、ルフィは納得いかないのでした。

後日、いつものように酒場でマキノとおしゃべりをしに来たルフィはシャンクスの行動について以下のように言っています。

ルフィ「おれはシャンクスたちをかいかぶってたよ。もっとかっこいい海賊かと思ってたんだ。げんめつしたね」

マキノ「そうかしら。私はあんな事されても平気で笑ってられる方がかっこいいと思うわ

(第1話「ROMANCE DAWN -冒険の夜明け-」より)

お釈迦さまは以下のように言われています。

怒りの蛇を、口から出すのは下等の人間
歯を食いしばって、口から出さないのが中等
胸に蛇は狂っていても、顔に出さないのが上等の人間である

ルフィの言うカッコよさとは「やられたままにせず、相手に立ち向かっていくこと」だと思います。

一方、マキノの言うカッコよさとは「怒りを面に出さず、耐えること」ではないかと思います。

一般的にはルフィの言うカッコよさに憧れる人が多いのではないでしょうか。耐えることの何がかっこいいのか、カッコ悪いの間違いじゃないのか、と感じる人もいるかもしれません。シャンクスは強いのに、なぜ山賊にやり返さなかったのか。それは山賊にやり返すことで争いが大きくなり、マキノをはじめとした多くの人に迷惑がかかるのを防ぐためではないでしょうか。確かにやり返すことができたらスカッとするかもしれません。しかしそれで多くの人が傷つく結果になったら、その行為は本当に「カッコいい」と言えるでしょうか

笑われ、腰抜けと言われることは見た目にはカッコいいとは言えません。しかしたとえ、自分のプライドや名誉は傷ついたとしても、それをグッと堪えて誰かを守れる人は、周りの人の事を本当に大事にできるカッコいい人だと思います。

攻撃されてなお頭を下げるという選択 やり返さない「強さ」

また、こんなエピソードもあります。

ある時原因不明の病に倒れたナミを助けてもらうため、医者を探していたルフィ達はとある島に上陸しようとします。しかし、ルフィ達を海賊だと認識した島の人々は、彼らを上陸させるまいと理由も説明しないまま一方的に銃を向け、発砲してきました。

理不尽な攻撃にやり返そうと皆が色めき立つ中、ビビは必死に仲間たちをなだめます。そんな中、島民が発砲した弾がビビの腕をかすり、ビビは傷を負ってしまいます。そこでいよいよ怒りに火が付くルフィ達。それでもなお、攻撃してはいけないと取りすがるビビは、自ら頭を下げて島民たちに助けてくださいと頼むのです。そして隣にいるルフィに告げます。

あなたは船長失格よ、ルフィ。無茶をすれば全てが片づくとは限らない・・・!!
このケンカを買ったら・・・ナミさんはどうなるの?

(第132話「ね」より)

ビビはルフィ達のように戦闘が強いわけではありません。戦う技術も持っていません。では、弱いからビビは頭を下げて助けてほしいと頼んだのでしょうか?

花を持つ 人から避ける 山路かな

細い細い山道で、上から降りてきた人と、下から登ってきた人がぶつかりました。こんなとき、先に道を譲るのは、両手にきれいな花を抱えている人だとうたわれています。もし、「自分が先だ」とお互いが譲らずにぶつかってしまったら、せっかくの花がそれによって散ってしまうからです。花を抱えている人は、大事な花を守るために自分から引き下がるのです

やられっぱなしで、それでも頭を下げるのは負けている、弱い人がする行為に思えるかもしれません。しかし、勝つことだけが強さではないのです。ビビは理不尽な攻撃を受けてもただ頭を下げて助けを請いました。それはひとえにナミを守るための行動であり、信念の現れでもあり、彼女の強さです

誰から何を言われようと、大事なもののためにやり返したい気持ちを抑えて自ら引き下がることができる。見た目にはあらわれないけれど、そこにこそ、真の「強さ」が隠れているのではないでしょうか。

あなたの身近に、頭を下げ続けている人はいませんか?今まで「カッコ悪いなあ」と思っていたその姿も、視点を変えるといつもよりちょっとだけ輝いて見えるかもしれません。

まとめ

「カッコ悪い」「弱い」から戦わないのではありません。「耐える」ということは、怒りのままにふるまえばどうなるかという先を見通し、大事なものを守ることのできる「強く」「カッコいい」選択なのです。

「怒り」が悪い行いならば、「忍耐」はその反対の善い行いと教えられています。自分自身が知らないうちにそうして守られてきたように、理不尽なことがあっても大事な人を守るために「耐える」ことのできる自分でありたいなと思います。