地質学からノアの方舟の存在を疑う!ダヴィンチのキリスト教への反逆

前回は、レオナルド・ダ・ヴィンチはキリスト教徒ではなかった!?という意外な側面について、学者や哲学者、ダ・ヴィンチの言葉を引用して解説しました。

ダヴィンチはキリスト教徒じゃない?意外なレオナルド・ダ・ヴィンチの宗教観  ダヴィンチはキリスト教徒じゃない?意外なレオナルド・ダ・ヴィンチの宗教観

今回はさらにダ・ヴィンチの思考を掘り下げてみようと思います。

キリスト教の不可解さ 愛の神ではなく鬼!?

キリスト教というと、その根底には神があります。以前、ある20代のイギリス人女性がこんな投稿をしていて、少し考えさせられました。

神は人間たちの悪を見て、この地上から人間を払い去ってしまおう。鳥や獣までも。もう一度新たにやり直すのだ、といって、ノアの方舟を造らせました。
ノアの家族と鳥や獣を一つがいずつ、その舟に乗せたのち、洪水をおこして、それ以外の生き物を全て抹殺したというのです。
人間や動物を創っておきながら、都合に反せば一度に殺すとは、愛の神どころか、鬼のように思え、到底信じられませんでした

世界的に見ると、3人に1人がキリスト教を信奉しているそうです。多数の支持を獲得しつつも、この女性のように、文明が進んだ今日、万物をつくった天地創造の神を根本とするキリスト教に疑問を抱く人は少なくないでしょう。

今から500年前、ダ・ヴィンチは、すでに神の存在を疑問視していました。

地質学に長けたダ・ヴィンチの見破り

ある日、村人が登山をした際、山麓で貝の化石を発見しました。

その貝殻を見て村人は思いました。「聖書に書いてあったノアの洪水は本当だったんだ!」

ある日、ダ・ヴィンチも登山をしました。

そして、やはり山麓で貝の化石を発見しました。しかし、ダ・ヴィンチは貝殻を見て、「ノアの洪水は本当はなかったのではないか」と、村人と反対のことを思いました。

さて、ここで質問です。
なぜ両者は、全く正反対のことを思ったのでしょうか?

原因は知識の有無の差にあります。ダ・ヴィンチには、地質学的な専門知識がありました。

この村人のように、山で海の化石が見つかる原因は、ノアの洪水によるものだという聖書説が、18世紀まで主流の考え方だったそうです。

他にも、山で見つかる化石は、大地の造形力が生み出し損ねた自然失敗説や、星の神秘的な力が大地に作用して創造したという星辰崇拝説などがありました。

ダ・ヴィンチはこれらの迷信に惑わされることなく、実際に山に赴き、自分の目で見て調査をしました。

そして、ダ・ヴィンチは、化石が何層もの層に埋もれていることを発見しました。
もし、洪水が化石を海から山に運んだのであれば、それらの化石は一つの層から全て発見されるはずです。なぜなら聖書にはノアの洪水が何度も起こったとは書かれておらず、一回しか書かれていないからです。ところが調査をしてみると、幾重にもわたる層から貝の化石が出土しました。

また、ダ・ヴィンチは、ある断崖の粘土質のところに貝の層があることを発見しました。もし、貝殻が洪水の濁流によって運ばれたのであれば、その柔らかい粘土質のところにバラバラに入り混じっているはずです。ところが、実際は秩序正しい地層をなしていました。

その他、色んな角度から地質学的に検証した結果、山で化石が見つかるのは、海底が何らかの作用で隆起したからであると結論づけました

以下は、ダ・ヴィンチの言葉です。

ここに一つの疑惑が生じる。すなわち、ノアの時代に襲来する大洪水は普遍的なものであったかどうかということである。
ここでは、以下述べるようないくつかの理由によって、否であるようだ。・・・
(アトランティコ手稿)

ダ・ヴィンチは、ノアの洪水に反証すべく、相当のページを割いてノートに書き記しています。

それほど、キリスト教に対して違和感を感じていたのかもしれませんが、ダ・ヴィンチは、極力「神」という言葉を用いず、「匠、造物主、自然、必然、著者、設計者、発明者、作者、製作者」という別の単語を使いました。個人的には、「必然」を「神」の代わりに用いたところが面白いなと思いました。

偶然は認めない 原因を徹底追求する仏教

仏教を説かれたお釈迦様は、あらゆる出来事は、「偶然」そうなったという原因なしの結果を認めず、どんな小さな結果も、考えても分からない不思議な結果もすべて「必然」であると教えられました。私たちの身の上に起こる結果についても、そのメカニズムを詳細に明らかにしています。

また天地創造の神とは対照的に、この宇宙は「無始無終」であると説き、始まりのない始まりから終わりの無い終わりへと続いていくものだと教えられています。

神も仏もレッテルが違うだけでほとんど同じと思っておられる方もあるかもしれませんが、教えは全然違います。

このダ・ヴィンチの記事を通して仏教の奥深さ、その片鱗でも感じて頂ければ幸いです。

ついに書籍になりました!

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その名も『超訳-ダ・ヴィンチ・ノート』です。

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