【刀ステ悲伝・感想】三日月宗近から「悲伝」の本当の意味を考察する(大千秋楽公演ネタバレ有り)

【2018/09/6更新しました】

現在上映中の「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」。

6月16日に京都劇場にて「刀ステ」を初観劇してきました。

想像を絶する迫力と深みのある物語で、あと100回くらいは見たくてたまらない今日この頃です。

会場予約したBlu-rayが届くのが待ち遠しいですね。

悲伝のここが凄い!」という部分を、初めて劇場で見た感動が消えないうちに残しておきたいと思います。

※アーカイブ配信を購入・視聴させて頂いたので、セリフ等を加筆修正しました。

「刀ステ」とは?広がる「刀剣乱舞」のメディア進出

舞台『刀剣乱舞』」略して「刀ステ」はDMMゲームズとニトロプラスによる刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』を原作とする演劇作品です。

原作ゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』はリリース直後から人気が爆発。

社会的現象となり、2015年に「刀剣女子」2017年に「刀剣乱舞」がユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされました。

「刀剣乱舞」はメディアミックスの成功も特徴的で、2社によるアニメ化のほか「刀ミュ」と呼ばれる「ミュージカル『刀剣乱舞』」や来年公開予定の『映画刀剣乱舞』、そして今回ご紹介する「刀ステ」など「2.5次元」と言われるジャンルにも展開しています。

2.5次元と侮ることなかれ、刀ミュ・刀ステ共に、原作プレイヤーに限らず幅広い層にファンを獲得し「刀ミュ」は今月15日にフランスのパリで新作が上演されます。

そしてストレートプレイ舞台版の「刀ステ」最新作が「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」です。

筆者はゴリラ審神者で脳死周回ライフを送っており実写には興味が無かったのですが、昨年「虚伝 燃ゆる本能寺」のBlu-rayを友人が見せてくれたのが転機に。

鈴木拡樹さん演じる三日月宗近と、原作の最推しでもあるへし切長谷部沼に一瞬で沈没しました。

劇場での刀ステ鑑賞は難しいかと思っていたのですが最速先行抽選でご縁を頂き、初観劇に行ってまいりました。

映画やアニメを見て泣くことはあまり無い私も「悲伝」は開幕30分以内には涙が流れ、展開が進むにつれ目から常に冷却材。

こんなに泣きながら見た作品は後にも先にも無いと思います。

誰かと感動を語り合わずにいられない深いストーリーとシリーズ最多の圧倒的な殺陣。

一瞬も目の離せない、最高の集大成でした

※この後ネタバレ有りの感想になります。未観劇の方はご注意ください。(ネタバレは見ずにご観劇・ご視聴されることを強くオススメします)

【ネタバレ注意】「悲伝 結いの目の不如帰」あらすじ 明らかになる三日月宗近の正体

「何度目だ…!儂が…死すのは何度目だ!」

悲伝のストーリーで一番大きい要素は、何といってもついに明らかになった三日月宗近の真実です。

始まりは永禄8年5月19日、永禄の変。

室町幕府13代将軍・足利義輝が暗殺される歴史事件です。

過去に遡り歴史を改変しようとする時間遡行軍が、刀剣男士たちの戦う敵。

永禄の変にも時間遡行軍が現れ、足利義輝の死の定めを覆そうとしていたため、刀剣男士たちは出陣していました。

三日月宗近に、足利義輝は斬りかかります。

足利義輝「お前が……不如帰か?」

三日月宗近「……不如帰」

義輝「人を死出へと誘う冥府の使いよ」

三日月「生憎だが、俺はお主と戦うつもりはない」

義輝「この命、ここで散らすつもりはない。

第十三代征夷大将軍、足利義輝!

この剣を持ちて示そうぞ…儂の時代は……まだ終わらぬと!」

三日月宗近に斬りかかった足利義輝は、刀を交えた瞬間に永禄の変での死を何度も繰り返していることに気づきます。

「儂は……幾たび死んだのだ…!」

刀ステシリーズの本丸でこれまで描かれてきた、本能寺の変や関ヶ原の戦い、小田原征伐そして永禄の変での刀剣男士と時間遡行軍との戦い。

これら本丸で起こったことは円環、つまり同じ時間を繰り返しループしていたことが明らかになります。

三日月宗近は唯一人このループを何度も何度も巡っていたことが分かり、シリーズ全体に張られていた様々な伏線のうち、例をあげると

  • 「虚伝 燃ゆる本能寺」の初演に比べ、再演以降の三日月宗近の仕草や口調が老成している
  • 「虚伝 燃ゆる本能寺~再演~」で蘭丸が言った「上様を今度こそお守りするんだ」という台詞の意味
  • 「義伝 暁の独眼竜」での三日月宗近の「この本丸で起こるやもしれぬ試練」「もし叶うなら、それ(本丸の成長)を見届けたい」という台詞の真意
  • 「ジョ伝 三つら星刀語り」で三日月宗近が顕現するなり骨喰藤四郎にお守りを渡した理由

といった謎の真実が一気に明かされました。

「白い三日月宗近」と山姥切国広の終わりで始まりの時。悲伝で残された大きな謎

一方で悲伝は大きな謎を残したまま幕を閉じます

時間のループが始まったのは三日月宗近が原因。

何度も巻き戻した時間の中で刀剣男士たちが負けたことがあったが、歴史は変わらなかったと三日月は言います。

円環の中には不動行光が明智光秀を殺してしまったり、山伏国広が折れたりした時間軸があったのかもしれませんね。

悲伝で描かれたように「歴史を変えようとする刀剣男士」である時鳥(ほととぎす)が現れても結果的にループの結末は変わりませんでした。

「義伝 暁の独眼竜」で三日月は山姥切とこんな会話をします。

三日月「俺はただ……この本丸に強くあってほしいだけだ」

山姥切「なぜそう願う?」

三日月「……いずれ来るやもしれぬ、大きな試練と立ち向かうためにだ」

山姥切「大きな試練?」

三日月「山姥切国広……おぬしならきっと立ち向かえる」

末満健一(2018)「戯曲 舞台『刀剣乱舞』義伝 暁の独眼竜」ニトロプラス

この「いずれ来るやもしれぬ試練」を悲伝で山姥切は本丸を三日月宗近が去ることではないかと推察します。

時間を何度も巻き戻した三日月宗近がいることにより時間の「結いの目」ができ、時間遡行軍に本丸が襲撃されることに。

遡行軍を退却させるため審神者が大きな時空の穴を空け、その穴から三日月宗近が去っていきます。

骨喰藤四郎、大般若長光は三日月宗近に同行し、その後鶯丸、大包平、鶴丸国永たちも三日月宗近を追って出陣。

その後政府から結いの目を生み出した三日月宗近の刀解(人間でいう殺害)命令が下り、抵抗する三日月の討伐を審神者が命じます。

出陣先の永禄の変にて三日月宗近と山姥切たちは対峙、総掛かりで三日月に挑みますが円環を何度も巡ってきた三日月の力は凄まじいものでした。

誰も切り込めずにいたところ、時間を何度も巻き戻したことにより時間軸の崩壊が発生。

時空の割れ目に飲み込まれた山姥切は様々な歴史をさまよい、波の音が聞こえるいつの時代か、どこかも分からないある場所にたどり着きます。

そこに現れたのは、真っ白な三日月宗近でした。

やっとのことで立っている衰弱した三日月は、山姥切と共にやってきた小烏丸曰く、既に人の形を保つことが難しくなりつつある状態。

しかし三日月と刃を交わした山姥切国広は負け「次は勝つ」という繰り返し交わされた約束を残します。

大千秋楽公演では結末が変化。山姥切国広のセリフが

「その時は、今よりも強くなった俺が……相手になってやる」

に変わり、山姥切国広が勝ちます。

詳細はこちらのコラムでご紹介しています。

【刀ステ悲伝・感想】三日月宗近が「白」になった理由を考察する(大千秋楽ネタバレ有り)

この最後の戦いをループの最終点として、三日月はまた円環が続くなら再び何千回か何万回のループに戻っていくのでしょう。

しかしこの種明かしにより、大きな謎が2つ生まれます。

  • 三日月宗近はなぜ円環の中から出られないのか(円環している理由は何か)
  • 円環はどこから始まっているのか

今後の新作ないし新シリーズで、この2つを大きなテーマとして物語が展開されることに期待したいですね。

「悲伝」の「悲」は本当に「悲しみ」なのか?「悲」の意味を考察する

「刀剣乱舞」で活躍するのは、物の心を励起(れいき)する能力者「審神者」(さにわ)の力によって生み出された刀剣に宿りし付喪神「刀剣男士」。

付喪神信仰をベースとした世界観で、悲伝の中でも足利義輝が日本神話について語るシーンがありました。

ある意味「神」の物語というイメージがありますが、実は今回の「悲伝」は特に仏教哲学に通ずる部分が多く、仏教的視点から味わうとより深く味わえます

悲伝」の「」は劇中での山姥切国広が言う台詞の

「三日月、俺は悲しい

小烏丸が円環に戻っていく三日月を見届けるときに言った

「心があるから悲しいのに、心に非ずとは皮肉なものよの」

という言葉にもあるように「悲しみ」の「」として描かれますが、このメインテーマ「悲伝」の意味を少し違った角度から考えたいと思います。

悲伝の序盤では、最初「鵺(ぬえ)」と呼ばれていた新たな刀剣男士「時鳥(ほととぎす)」を三日月が見逃したところを燭台切光忠が目撃し、三日月への不信感に苦しんでいきます。

「時鳥」は三日月が何度も円環を繰り返している中で初めて登場しますが、最終的に燭台切は三日月を一度敵だとみなし、戦って斬られてしまいます。

三日月曰く必ず起こることなので、きっかけは違っても燭台切は三日月への不信に悩み、一度は斬られてしまうのでしょう。

燭台切が誰にも相談しないところに「もてなし」に代表される燭台切光忠の持つ優しさと繊細さを併せ持つ性(さが)が現れているようで、個人的にとても好きな描写です。

そんな燭台切をはじめの一振りとし、最終的に本丸の刀剣男士たちと三日月宗近は対決することになります。

三日月は最終的に山姥切たちに刃を向けられるも、円環の中で毎回繰り返していることなので動じもせず、弁明もしません。

この為円環している理由は悲伝では一切明らかになりませんが、一つ三日月の心中が現れる台詞があります

それは

お主たちに背負わせるわけにはいかん

という言葉。

背負わせる訳にはいかないということは、目的は不明にしろ三日月は決して勝手な私利私欲のために円環しているのではないと思われます。

「悲伝」は三日月宗近と山姥切国広が「慈悲」と向き合う物語

筆者はこの場面を見ていてある仏教用語を思い出しました。

仏教とは仏の教えという意味ですが、仏は「慈悲」の心を持つと仏教では教えられます。

仏・菩薩の衆生をあわれむ心。楽を与える慈と苦を除く悲とをいう。

(大辞林 第三版)

慈悲(じひ)とはーーーコトバンク

日常会話の中で私たちも、推しのグッズを引いた友達にどうしても交換してもらいたい時などに「どうかお慈悲を…!」なんて言いますが(笑)一般的に慈悲といえば思いやりの心といったニュアンスで使われます。

筆者も仏教を学び始めて知ったのですが、実は仏の「慈悲」と人間の「慈悲」というのは全く違います

よく仏が持つ「慈悲」と人間の「慈悲」は比較して解説されますが、大きな違いの一つが「先を見通す智慧に裏付けられているかどうか」です。

智慧のある人と聞くとIQが200以上あったり、世渡り上手だったりといった意味に思いますが、実は仏教でいう智慧は先を見通す力

人間の慈悲は相手を思ってやったことが返って苦しめてしまうということが往々にしてあります。

しかし仏の慈悲は先を見通す智慧に裏付けられていて、人間が想像も及ばない未来の幸せのために仏教は説かれています。

よく仏教は難しそう…というイメージが一般的にあるのはスケールが人間の考えることより遥かに大きいからなのですね。

惠蛄(セミ)春秋を知らず

という言葉があり、桜舞う春や紅葉の秋をセミが知らないように、長くても80年や100年で死んでいく私たちも仏からするとセミと同じで、セミでいう春や秋が無限に存在します

三日月宗近は仏ではなく付喪神ですが、悲伝での三日月の言動と他の刀剣男士の思いは仏と人間の「慈悲」の違いによく似ています。

三日月の不審な点に気づいた燭台切が和を乱さないために一人抱え込むという「慈悲」も彼らしい、思いやりの心。

しかし最終的にそれが裏目に出て、三日月と刃を交えるしかなくなります。

対して三日月は、一見仲間を悲しませているように見えるのですが、大きな目的のために仲間に刃を向けられてでも何かを成し遂げようとしています。

他の刀剣男士の仲間を思う心が人間の「慈悲」とするなら「人間」の智慧では考えられないスケールで人間を幸せにしようとする仏の姿に、三日月宗近は似ています。

他の刀剣男士たちも私たち審神者も知ることのできない、遠い遠い未来、広い広い世界のスケールで何かを守ろうとしているのかもしれません。

そんな「慈悲」の一端を感じ取ったのか、山姥切国広は三日月を皆で討とうとするシーンで一人

「待て!まだ三日月から何の話も聞いていない!」

と言って三日月の真意を聞こうとしています。

仲間たちに「結いの目」となった理由を求められた三日月は

「答えたところで、もう元には戻れんからな」

と言いますが、観ている私たち審神者も、他の刀剣男士も預かり知れぬ「慈悲」がその背後にあるのではないでしょうか。

そして山姥切国広は、時間軸の崩壊に巻き込まれたとき

三日月はこんな世界を見ていたのか

と三日月が見ていた世界と自分たちの知る世界の広さの違いを知らされます

しかし一方で三日月宗近は仏ではなく、「人間」の心を得た刀。

人間であるが故に「慈悲」の心で円環し続けることの限界も同時に私たちに教えてくれます。

次回は三日月宗近の「人間」としての側面について、考えてみたいと思います。

※アイキャッチ画像…舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」第2弾キービジュアル より

このコラムの続編をアップしました!

【刀ステ悲伝・感想】三日月宗近が「白」になった理由を考察する(大千秋楽ネタバレ有り)

 

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    獄上(ごくじょう)

    中学生でBL萌えに目覚めてしまい、腐女子になってはや15年近くの、筋金入りの「腐った」OLです。 三国志大戦、Lord of Vermillionといったカードゲームや音楽ゲームが大好きで、ゲーセンゲーマー歴も気付けば8年。 現在は『刀剣乱舞』のへし切長谷部と日本号、燭台切光忠、歌仙兼定や大倶利伽羅を中心に色んな組み合わせに萌えたり、夢を見たりの沼生活を送っております。 沼全開のTwitterはこちらです→@gokuzyo