はじめまして。
わたくし、もちょと申します。
かつて大学時代には、LGBTの情報を発信する団体に所属していました。
その4年間、尊敬する先輩との出会いや、中学時代の同期との再会などいろいろドラマがありましたが、また機会があれば書こうと思っています。
そんなこんなで、20代仏教にて記事を書かせてもらえることになりました。
・LGBT当事者
・LGBTを知りたい人
向けです。
LGBTが抱える悩みの本質を「仏教」から解き明かしていこうと思います!
LGBTの意味と由来
LGBTという言葉を、近年よく耳にすると思います。
日本でもメディアに取り上げられ、理解も広がってきていますね。
改めて解説すると、それぞれ、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字を取ってつなげたセクシュアルマイノリティ(性的少数者)表す言葉です。
性質であり、病気ではないので治療するものではありません。
ですが、由来や意味は知っていても、より深く理解している人は少ないのではないでしょうか。
そんなLGBTを知るために、4つの軸からセクシュアリティ(性)を見ていきましょう。
「生まれた時の体の性」の軸
生物学的性とも言います。
多くは男性、もしくは女性です。
インターセックス(性分化疾患)の人もいます。
※最近はインターセックスという名称も好んで使われないとのことですが、便宜上記載しています。
簡単に説明をすると「体の性についての様々な機能・形・発達などが、一般的に男性・女性とされる典型的な状態と一致しない部分がある」ということです。
また、セクシュアルマイノリティに含むかどうかは議論の余地がある部分なので、あくまで体の性として理解するのがよいと思います。
「自分が自分に感じる性」の軸
性自認と言われるものです。
「自分は男」「自分は女」だけでなく「自分は男でも女でもない」「どちらかというと男寄り」「あえて性別を決めたくない」など、人によって千差万別。
この「自分はどんな性別か」と「生まれた時の体の性」がマッチしない、しっくりこない、と違和感を持つのがトランスジェンダーです。
「どんな性別を好きになるか」の軸
好きになる相手の性別(性的指向)です。(よくある間違いですが、「嗜好」ではありません。)
ヘテロセクシュアル(異性愛)に対して、レズビアンやゲイはホモセクシュアル(同性愛)、バイはそのままバイセクシュアル(両性愛)と言います。
これは恋愛感情と性的欲求の2つに区分できます。
他にもアセクシュアル(無性愛)、パンセクシュアル(全性愛)などがありますが、詳しくなるのでまた別の記事にて。
「どんな性別を表現したいか」の軸
表現する性です。
「男性だと見られたい」「女性の扱いをしてほしい」「中性だと思ってほしい」「むしろ性別を感じないでほしい」など、人の数だけ存在します。
主に髪型、服装、アクセサリー、メイク、言葉遣いなどを通して、どう見られたいかを表現しています。
※上記の4つの軸は、LGBTではない人にも当てはまります。好きになる相手の性別が異性ならヘテロセクシュアル(異性愛)など(ほとんどの人は無意識に自認しています。)
LGBT悩みあるある3選
セクシュアリティは変わりゆくものなので、誰でもマイノリティの立場を経験する可能性はあります。
それを踏まえて、筆者も抱えていた悩みに加え、さまざまなLGBTの友人から聞く悩みをまとめてみました。
家族や職場でどう振る舞うか迷う
「相談や、偏見をなくしてもらう意図があり、親にカミングアウト*をしたら、本当に? 勘違いじゃなくて? と言われた。」
*カミングアウト=自分のセクシュアリティを相手に伝えること。
筆者は割と家族や周囲の人にカミングアウトしていますが、過半数の返答は「勘違いでは?」「へぇ~」という判断に困る反応でした。
「それってどういうこと?」と色々質問してほしいなと個人的には思っています(もちろん、面接の時に人事担当の方や、ほぼ面識のない人に根掘り葉掘り聞かれるのはちょっと抵抗ある人も多いと思うので、相手の意図を聞いて尊重してもらいたいです)。
「職場の同僚、俺がゲイだってこと知らずに好き勝手なこと言うから、本当にイライラする。カミングアウトして身近にもいるってことを知ってもらったら収まるだろうとは思うけど、職場のウワサ好きな人とかに広まったらと思うとキツイ。迷う。」
共感の嵐ではないでしょうか。
どのようなセクシュアリティだったとしても、上記のような経験がある方や、今まさに悩んでいるという方は多いと思います。
自分のセクシュアリティが知らぬ間に広がっていることは存外多く、しかも出どころを辿っていくと第三者が善意でやってしまっていたということが往々にしてあります。
第三者に対して、当人の許可なくセクシュアリティをバラすことを、アウティングと言います。
パワハラ防止法(改正労働施策総合推進法)にて禁止されており、三重県ではLGBT差別禁止条例も制定されました。
相談された場合は、必ず「どこまで、誰に、話すのは問題ないか」を確認してくださいね。
恋愛観がマイノリティ
「恋愛相談をしても、やっぱり同性と異性でちょっと違う。異性同士ならできることも同性同士だとしにくいことが多いです。たとえば結婚とか交際自体も、社会や世間の偏見があって二の足を踏んでしまう」
周りに似た恋愛観の人がいないと、わかってもらえないという気持からストレスがたまりますよね。
徐々にセクシュアルマイノリティという言葉は認知されてきているものの、みんなが基本的な部分を理解しているという状態には程遠いのが現状です。
手を繋ぐことや、おしゃれをして外出することも場所によってはなかなか難しいもの。
そんな悩みを分かってくれて、相談に乗ってくれる知り合いがいると心の負担が全然違います。
「そもそも自分は恋愛感情が分かりません。以前、話の流れでそれを言って、ちょっと話の流れがおかしくなるから……と阻まれたことがあります。常識から除外されたようで結構傷つきました。
筆者もほぼ同じような経験をしたことがあるため、とても共感できる悩みです。
しかもそのような発言をした相手は結構親しい関係で信頼もしていた人なので、いくらか呆然としてしまったことを覚えています。
それもあってか、今でも恋愛の話になると会話に参加しにくいと感じてしまいます。
話の流れが重要なのは否定しませんが、雑に扱うのはまさに「マイノリティは静かにしてて」という感情が無意識に出てきた証拠かなと思います。
生き方のロールモデルを見つけるのが難しい
「私は女性から男性のトランスジェンダーなのですが、自分の生き方を発信している人って少ないので、そんな中、私自身の生き方を決めていくのに苦労しました。」
とても苦労されたことがわかります。
セクシュアルマイノリティではない人にとっても、ロールモデルを見つけるのはなかなか容易ではありませんよね。
それがセクシュアルマイノリティとなると、数はガクンと減ってしまいます。
しかも、タレントや歌手などの有名な人たちは多く発信してくれているのですが「目立ちたくないし、芸能人になったり、社会を変える活動家になったりする望んでいるわけじゃない」と思っている人は少なくないと思います。
「他の人と比べて悩む(検討する?)部分が多いと思う。
悩みが多いか少ないかを計るのは難しいですが、マイノリティ要素が増えれば増えるほど参考にできるものが少ないため、考えなければならないことは増えますね。
また、誰にでも相談できる内容でもないですし、関係性が壊れたらと不安になって一人で抱え込んでしまうことが多いです。
いわゆる異性愛者であれば何も問題にならないことでも、各当事者にとっては大きな問題としてそびえ立つこともあります。
悲しいことに、相談できなければ、外側から気づいてもらえないという構造になっているのが現状です。
更に「悩み」の本質へ
LGBT当事者でないとなかなか分からない悩みは多いと思います。
経験した人だからこそ分かるキツさ、エグさ、しんどさ。
一般的ではないからこそ、マイノリティだからこそ出てきます。
ところが、これらの悩みには本質があり、多くの人が抱いている一般的な悩みと本質は変わりません(マイノリティの悩みは大したことがないという意味ではありません)。
冒頭にも述べたとおり、解消のためには悩みの本質を見なければなりません。
その重要なヒントを仏教では教えてくれているんです。
キーワードは「愛別離苦」と「怨憎会苦」です。
形あるものは壊れる、大切なものはなくなる
突然ですが、今いる大切な人とずっと一緒にいられるでしょうか。
どちらかが交通事故に遭うかもしれません。(筆者の体験)
どちらかがガン宣告を受けるかもしれません。(筆者の体験)
どちらかの浮気が発覚するかもしれません。(筆者の体験ではない)
こんな時、どこかで自分とパートナーが別れる日が来るんだと感じるはずです。
他にも、仲の良い家族に、悩みを打ち明けたら引かれたとか。
パートナーの気持ちが他の人に向いてしまって、結局別れたとか。
これらを、仏教の言葉で、愛別離苦と言います。
必要だと思うからこそ大事にし、必要だと思うからこそずっとよい状態を保っていたいと感じますよね。
愛別離苦は「必要なもの、大事なもの、好きなもの」が、壊れたり、なくなったり、離れていく苦しみです。
障害や壁は避けられない、嫌いなものはやってくる
かみ砕くと「なんでこんな状態にならなあかんねん!」という苦です。
それは時に、体育でのシャトルランであったり、テスト前の利手の骨折であったりします。
他にも、SNSで意図とは違うアンチコメントをされたとか、勇気を出してカミングアウトしたら人格や学歴を否定されたとか。
誰だってアウティングされたくはありません。でもされてしまう可能性はゼロではありません。
これらを、怨憎会苦と言います。
「嫌なもの、目の敵にしているもの、苦手なもの」が、関わってきたり、首を突っ込んできたり、強制されたりする苦しみです。
LGBTに限った苦しみ、悩みではない
ところが、愛別離苦も、怨憎会苦も、どちらもLGBT「だから」感じるというものではありません。
人間ならば、必ずこの2つに悩まされます。
筆者は小中高とゲームに溺れ、三度の飯よりゲームが好きという、ゲーム三昧な日々を過ごしてきました。
ところが、ゲームカセットは壊れるし、セーブデータは消えるんですよね。
その時のショックたるや「あれだけやりこんだのに消えたんだが?」という悲憤の一言に尽きます。
また、引っ越し、上京などで住み慣れた街を後にすることもある。
ペットを飼っている人であれば、何年も一緒に暮らしてきた動物が死んでしまった経験はあるでしょう。
葬式や法事に参列した人も多いと思います。
また、テストや勉強はイヤでも義務教育のレール上に乗っかっているし、受験戦争にあれよあれよと巻き込まれて、気づけば就職。
上司からの無茶ぶりや、部下の教育に追い立てられて、不必要だと思う人間関係を惰性で続ける。
マイノリティであろうがなかろうが、苦しみは平等に襲いかかってきます。
それらの苦しみに優劣はありません。
苦しみと理解の折り合い
筆者も、自分のセクシュアリティ由来の悩みをずっと抱えてきていますが、やはり忘れたらダメだなと思うのは「苦しみの現れ方は人によって違うけれども、本質は一緒」だということ。
それぞれの環境があって、性質があって、しんどいと感じていることも違うので、経験していないことを他者に分かれというのも酷な話。
頑張れば、意識すれば経験できることでもありません。
ただ、それぞれの悩みの根本は同じなので、理解し合う余地がある。
悩みの本質を知るために仏教を参考にしてはいかがでしょうか。
その視点で、ぜひ他の記事もチェックしてみてくださいね!
参考
anone,
https://anone.me/top
自分のセクシュアリティについて診断してみたい場合はこちら。(この結果が全てではありません。セクシュアリティは診断によってくだされるのではなく、自認が一番重要であり、診断はあくまで考えるきっかけです。)
レインボーリール東京 〜東京国際レズビアン&ゲイ映画祭〜
https://rainbowreeltokyo.com/2019/
毎年、夏に都内で映画祭を開催しています。(上記のリンクは2019年のもの。)
筆者も大学時代に何度も訪れました。
世の中の状況が落ち着いたら、ぜひ足を運んでみてください。