【ジョジョ6部考察】ラストの展開が深すぎる…ッ!徐倫は死亡してアイリンに生まれ変わったのか?一巡後の世界と輪廻転生について

もちょです。

ジョジョの奇妙な冒険は、荒木飛呂彦先生による1986年から現在まで34年間も連載しつづけている個性派バトル漫画。
直近では、『第4部ダイヤモンドは砕けない』における登場キャラクター岸辺露伴が主人公のスピンオフ作品「岸辺露伴は動かない」が、2020年12月28日から30日までの3夜にわたって、なんと実写ドラマ化。
漫画だけにとどまらず、ドラマ、アニメ、ラジオ……と触れた人々を次々に虜にしていくジョジョ。

そんなジョジョですが、これまでに発表されている物語は8シリーズにまでのぼり、全シリーズを通して「人間讃歌」が描かれています。
なぜこの人物と出会ったのか、なぜこのような結果を受けねばならなかったのか、もし未来が決まっているとしたらどう生きるかーーー。
死と背中合わせになりながら、自分の「生」を紐解いていく

それが「ジョジョの奇妙な冒険」における最大の魅力です。

特にキャラクターたちが口にする言葉は「運命」と「因縁」

その2つについて、今回は『ジョジョの奇妙な冒険第6部ストーンオーシャン』から丁寧に考察していきたいと思います。

 

この記事はこんな方におすすめ

  • ジョジョ6部が好きな人
  • 正義の白の中にいる人
  • 吐き気をもよおす邪悪が許せない人
  • 悪には悪の救世主が必要だと思う人

 

では冒険していきましょう! 今回はネタバレ有です!

 

主人公は空条承太郎の娘、徐倫!?ジョジョ6部のあらすじ

ジョジョの奇妙な冒険第6部ストーンオーシャン』は、30年以上も続く「ジョジョの奇妙な冒険」の6シリーズめの作品です。

主人公である空条徐倫は、なんと『第3部スターダストクルセイダース』の主人公、空条承太郎の娘
歴代シリーズの中では、初の女性主人公です。

口癖の「やれやれだわ」や、「オラオラ」というかけ声で浴びせられるラッシュは、父親である承太郎譲り。
弱冠19歳でありながら、大胆不敵な性格で、冷静な状況判断にも長けています。
徐倫のスタンド名は「ストーン・フリー」。
身体を糸のようにほぐし編みこむことで、ダメージを緩和させたり、鋭く尖った剣山のように変化させたりと、まさに「繊維の柔と剛」を兼ね備えたスタンドと言えるでしょう。
そんな徐倫ですが、果たしてどのように熾烈な争いへと巻き込まれていくのでしょうか。

徐倫はなぜ刑務所へ…?父・承太郎から受け継ぐスタンドの才能とジョースターの血

冒頭は、「刑務所」!!

なんと、徐倫は囚人として牢屋に投獄されていました。
罪状は「殺人・死体遺棄・自転車の窃盗」。

当時、恋人の関係にあったロメオという男性とその弁護士にはめられてしまい、無実の罪で15年の刑期を言い渡されてしまったのでした。
15年もの間、青春時代とも言える長い時間を塀の中で送ることになってしまい、打ちひしがれる徐倫でしたが、それも束の間。
何とかして脱獄できないかと、ひとり画策しはじめます。

そんな徐倫の背中を強く押したのが、父である承太郎が残したペンダント。
中には、承太郎と妻の写真、そして「スタンドの矢」が隠されていました。
矢の切っ先で指を裂いた徐倫は、自身の分身であるスタンド「ストーン・フリー」を発現することとなります。

そうして持ち前の冷静さと強靭な精神力により、刑務所内のトラブルを乗り越えていく徐倫の前に現れたのは、空条承太郎
承太郎は、娘の身を案じて「徐倫を罠にはめた真犯人は他にいる」ということを伝えに来たのですが、久しぶりに父親と面会した徐倫の放ったセリフがこちら。

 

うるせーぞ………父親面であたしに指し図をするな
(荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 集英社文庫コミック版』、集英社、40巻、282ページ、空条徐倫)

 

実は徐倫、父親である承太郎の薄情さにほとほと呆れ返っており、今さら娘の様子を見に来た態度に腹を立てていたのでした。

それもそのはず。
承太郎は父親であるにもかかわらず、幼い徐倫が高熱で死にかけた時も、自動車の窃盗で冤罪になりかけた時も、自身の仕事を優先させて娘を放っていました。
徐倫は、そんな承太郎を素直に尊敬することもできず、母親を苦しませた男として恨みを抱いていたのです。

ところが同時に、甘えたい盛りに父親に甘えることができなかった徐倫が、自分は愛されていないのだろうかと不安や寂しさを感じていたのも事実。

 

相反する思いの狭間で葛藤する徐倫と、不器用ながらも愛情を注ごうとする承太郎の心が通じ合っていく様子も6部の大きな見所です

 

面会をしに来た承太郎と一悶着ありながらも、真犯人であるジョンガリ・Aを追い詰め、その目的を問いただそうとする徐倫。
ところが、ジョンガリ・Aを背後から操る男の姿が。

この男こそが、第6部ストーンオーシャンの黒幕であるエンリコ・プッチでした。

プッチの、二手も三手も先を読む頭脳目的の為ならば手段を選ばぬ狡猾さに、空条親子は膝をついてしまいます。
そしてプッチのスタンド「ホワイトスネイク」の能力により、承太郎の記憶とスタンドはディスクに変えられ、それらを抜き取られた承太郎は仮死状態に。

心のどこかで頼りにしていた父・承太郎を救うべく、仲間と共にプッチの追跡を決意する徐倫。

ここから、『ジョジョの奇妙な冒険第6部ストーンオーシャン』の物語が始まります。

 

ジョジョ屈指の名言「ぼくの名前は…エンポリオです」

ぼくの名前は………エンポリオです
(荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 集英社文庫コミック版』、集英社、50巻、296ページ、エンポリオ)

 

このセリフを物語のしめくくりに発したのは、エンポリオ少年
エンポリオは、徐倫と共に打倒プッチを心に決め、死闘をくぐりぬけてきた男の子です。

その少年が、なぜ改めて自己紹介をしているのか?
しかも、涙を双眸に浮かべて……。

 

一体何が起こったのか。一巡した世界の意味

物語の終盤、進化したプッチのスタンド「メイド・イン・ヘブン」の能力により、時が加速しはじめます。

朝日が上ったと思ったら、気がつけば既に夕日となって沈んでいる。
血液が流れたそばから乾いた塊となって、ポロポロとこぼれ落ちていく。
最終的には昼夜の区別もなくなり、全ての物質が次々と風化していく世界へと変貌します。

その世界をコントロールできるのはプッチのみ。
容赦ない時の力に圧倒され、倒されていく仲間たち。
アナスイ、エルメェス、そしてなんと承太郎までもが、無慈悲にも命を奪われてしまいます。

残された徐倫とエンポリオは、絶体絶命。

万事休すかと覚悟したその時、ひとつの波が彼らをさらいます。

 

それは、海を泳ぐイルカの群れが起こした波でした。

 

どれほど時が加速しようとも、全ての生き物は変わらない速度で動いている」ということを逆手に取り、徐倫はイルカを捕らえて自分たちの身体をくくりつけたのです。
世界の時が加速しても、相対的な速度は普段と同じ。
人間であるプッチ神父が、疲れずにイルカと同じ距離を泳げるわけがありません。
ましてや、泳いで追いつくことなど、万に一つもないのです。

エンポリオは徐倫のその機転に驚き、ホッと安堵します。
しかし、徐倫は自分より先にエンポリオをイルカの上に乗せ、追いかけてくるプッチの方に向き直ります。

ひとりで行くのよエンポリオ。あんたを逃がすのはアナスイであり……
 エルメェスであり、あたしの父さん空条承太郎……。
 生きのびるのよあんたは「希望」!!

 (荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 集英社文庫コミック版』、集英社、50巻、220ページ、空条徐倫)

 

その瞳には、不屈の覚悟が宿っていました。

かつて、承太郎がDIOと対峙した時。

仲間たちの想いと託された意志を一身に背負い、承太郎は孤独な戦いに挑みました。

徐倫の姿は、かつての承太郎そのものでした

 

さらなる時の加速に飲み込まれ、エンポリオが気がつくと、そこは刑務所。

そう、徐倫たちと初めて出会った場面に戻ってきたのです。
しかし正確には、時は戻っておらず、進んでいます

プッチいわく、エンポリオやプッチを始めとする、前の世界で死んでいない者だけが、記憶を持ったまま一巡後の世界にやってきたとのこと。
この世界では「全員が、次に何が起こるか、自分がどんな目にあうか、自分がいつ死ぬか」直感できるといいます

「全く同じ人間」は存在せず、しかも一巡する前の世界を寸分違わずなぞるようにあらゆる出来事が生じる世界。

それが、プッチの追い求めた「運命の夜明け」でした。

 

しかし、一巡後の世界では、プッチ自身と深い因縁のあるエンポリオだけが邪魔な要素であると告げ、エンポリオ少年の息の根を止めようとつけ狙ってきます。
なんとか始末せねばならないと必死の形相で追いかけるプッチと、抵抗するすべなく逃げるだけのエンポリオ。

機転を利かせて身をくらまし続けるエンポリオでしたが、ついにはプッチに追いつかれてしまい、万策尽きてしまいます。

エンポリオはまだ年端もいかぬ、いたいけな子ども。

その絶望的な状況に恐れ慄き、泣き叫びます。

もうダメだ。
ピンチを救ってくれる徐倫はもう「どこにもいない」。
承太郎も、アナスイも、エルメェスも、F・Fも、みんな一巡する前の世界で死んでしまった。

振り下ろされた拳。

 

 

 

ところが、そこに立つエンポリオの額には、拳ではなく、ディスクが差し込まれていました。

 

 

 

それは、徐倫が託したディスク

かつての仲間、ウェザーのスタンドである「ウェザー・リポート」の能力…ッ

 

 

そうして、ウェザー・リポートの力を得たエンポリオにより、プッチは倒されます。

新しい世界には必要のない「因縁」を断ち切るために、徐倫たちを始末し、エンポリオの命を狙ったプッチでしたが、
皮肉にも、断ち切ったと思っていた、自身の双子の弟であるウェザーの能力によって、相応の結果を受けることになったのです。

因縁は断ち切れない
自分自身が放った言葉、行為というものは消えない。
縁が来て結びついた時に、結果として降りかかってくる。

そういった不変の因果律も、プッチの所業から読み解くことができます

 

プッチ神父はなぜ世界を一巡させたのか

さぁ、そうなると気になるのが「プッチが世界を一巡させようとした理由」。

 

それは、ひとことで言うと「運命を乗り越えること」。

運命を克服したい

心の底からプッチの追い求めるものでした。

 

彼は語ります。

頭脳や肉体ではなく精神がそれ(自分がいつ何を体験して、どう死んでいくのか)を
 体験して覚えて知っているのだ!
 そしてそれこそ『幸福』であるッ!
 独りではなく全員が未来を「覚悟」できるからだッ!
 「覚悟した者」は「幸福」であるッ!

 (荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 集英社文庫コミック版』、集英社、50巻、257-258ページ、エンリコ・プッチ)

そして、こう続けます。

悪い出来事の未来も知る事は「絶望」と思うだろうが逆だッ!
 明日「死ぬ」とわかっていても「覚悟」があるから幸福なんだ!
 「覚悟」は「絶望」を吹き飛ばすからだッ!
 人類はこれで変わるッ!これがわたしの求めたものッ!
 『メイド・イン・ヘブン』だッ!

 (荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 集英社文庫コミック版』、集英社、50巻、258ページ、エンリコ・プッチ)

 

プッチの追い求めたもの。

それは「覚悟によって死への恐怖を乗り越えること」に他なりませんでした

 

ジョジョ6部を仏教的に徹底考察ッ!

では、プッチが人生をかけて追い求めた「運命の克服」について、仏教の視点から考察していきたいと思います。
ジョジョの熱狂的なファンとして、仏教を学ぶ身として、丁寧に追っていきます。

 

運命は決まっているのか?死への恐怖は克服できるのか?

まず、仏教では「運命」という言葉を使いません。
なぜならば、世界で生じること、自分の身に起こることの全てには「原因」が存在するからです

運命とは、人間の意思とは無関係に、超越的な存在から与えられる幸や不幸を指します。
もっと分かりやすい言葉にすると、「神の気まぐれ」もしくは「偶然」です。

しかし、仏教では因果律が説かれ、自分の行いを因、自分以外のものを縁、その二つが結びついて生じるものを果と教えられます。

そして、未来起こる出来事は定まっていません。
自分の行いが原因となって、自分が相応の結果を受けるため、「運命は決まっていない」のです

 

では、プッチが熱弁していた「死を覚悟によって乗り越える」ことについてはどうでしょうか。

たとえ、明日死ぬということがわかっていようとも、変えられぬ未来なのだと受け入れて、覚悟ができたならばそれは幸福だと。

 

生きとし生けるものに、唯一平等に訪れるものが「」。

ところが、私たちは「自分の死」を、心の底から受け入れられるでしょうか。

死は、喉元にかけられた刃物のようだと、筆者は感じています。
その刃は常に頸動脈に添わされています。
ひとたびスッと引かれれば、おしまいです。
ところが、いつ首を斬られるかは、誰にも分かりません。

死は、無常だからです。
いつ、どんな形で、訪れるか分かりません。

呼吸の頃(あいだ)すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いぬれば万劫にも復(かえ)らず。
 この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。願わくは深く無常を念じて、徒に後悔を貽(のこ)すことなかれ

 (『教行信証』行巻)

 

死は、あらゆる形で、明日と言わず次の瞬間にでも訪れるのだと、仏教では説かれています。
死が、無常と呼ばれる由縁です。

そして、そんな死が眼前に現れてしまったら、自分はもうじき死ぬのだと余命宣告されてしまったら、「自分はどうなってしまうのだろう」と震え上がり、「死を甘く見ていたこと」を悔やむのです

 

大命(だいみょう)まさに終わらんとして、悔懼(けく)こもごも至る
 (『大無量寿経』下巻)

 

メイド・イン・ヘブンによる一巡と流転輪廻

ここまで、仏教では「運命は決まっていない」と教えられていることをお話してきましたが、
ジョジョは「決まっている運命の中で、どのように生きるか」を描いた作品です。
(ただし、徐倫たちは最終的に運命を切り開いたようにも見える)

今回、非常に重要である「一巡」というキーワードですが、「巡る」という言葉には「一周するようにして戻ってくる」という意味があります。
それを踏まえると、ジョジョ6部における「一巡」は「円環」を表しているのではないか、と思われます。

仏教の観点から味わうに、この円環は、迷いの循環 = 流転輪廻を表しているのではないでしょうか

苦悩の世界で彷徨い続け、死んで肉体から離れども抜け出せぬ循環です。
何度生まれ変わろうとも、人間関係で苦しみ能力の有無で苦しみ、死という恐怖と後悔の元凶にさいなまれ、その円環をぐるぐるとぐるぐると回り続けるのです。

終着点はありません。

永遠に、その終わりなき循環を辿る我々を、表現しているように思います。

 

 

 

そうして本編最後のシーン、プッチを倒したエンポリオが目を覚ましたのは、先ほどの一巡後の世界ではなく、違う一巡後の世界。

 

 

そこで再会したのは、かつての徐倫たち

 

 

永い永い時間を経て流転し、容姿や雰囲気の酷似した「彼ら」は決して徐倫やアナスイではありません。

 

徐倫としての記憶もなければ、アナスイとしての記憶も一切ない。
当然、エンポリオのことも知りません。

果てしのない過去に空条徐倫であったことに変わりありませんが、今はアイリンであり、アナキスなのです。

 

しかし、記憶はなくとも、遠い遠い過去の縁により仲間たちは再び出会う。

 

 

かつて空条徐倫だったであろうアイリンに名前を尋ねられ、エンポリオ少年は答えます。

 

 

ぼくの名前は………ぼくの名前はエンポリオです
(荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 集英社文庫コミック版』、集英社、50巻、296ページ、エンポリオ)

 

 

必死に絞り出したエンポリオのセリフ。

この時のエンポリオの気持ちは……察するに余りあります。

 

 

ところで、第6部の最終話のタイトルをみなさんはご存知でしょうか。

こんなに切なくてどうしようもない、メリーバッドエンドのような救いのない結末。

第1部から脈々と受け継がれてきた物語が大きく変わり、ある種の虚脱感を覚えるこのラスト。

 

 

残酷とも言える世界の一巡を描きながらも、荒木先生の選んだタイトルは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホワット・ア・ワンダフル・ワールド (あぁ、なんて素敵な世界!)

 

 

 

 

「心の底からこの世界を愛せるように」という荒木先生からのメッセージなのかもしれません。

 

 

 

 

【ジョジョの奇妙な冒険 第6部(40~50巻)セット (集英社文庫(コミック版))】

 

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