誰だい?お前は?
薄汚ねぇナリしやがって
アタシかい?
アタシは死神だ
2016年1月にスタートしたアニメ『昭和元禄落語心中』は山寺宏一さん、石田彰さん、関智一さんといった豪華声優による噺家(はなしか、 落語などの口演を職業とする人)の演技が話題を呼んでいます。
主演の与太郎役の関智一さんは1月9日に放送された『人気声優200人が本気で選んだ!声優総選挙3時間SP』で名だたる大御所声優と並んで5位に。
さらに鍵となるキャラクター、助六役を演じた山寺宏一さんは堂々の1位に選ばれています。
今回は今期アニメの中でも特に期待の高い本作から、日本の伝統芸術、落語が私たちに教えてくれる大切なことをお伝えします。
BL界の人気作家による大ヒット本格落語漫画『昭和元禄落語心中』
今月6日から第2期が放送開始したアニメ「昭和元禄落語心中」。
原作は雲田はるこ先生による本格落語漫画です。
第17回2013年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞、第38回(2014年度)講談社漫画賞(一般部門)を受賞しています。
雲田はるこ先生は数々の人気作品を生み出してきたボーイズラブ作家で、腐女子なら知らない人はない「このBLがやばい!2011」にランクインしたことも。
後に一般漫画界にも進出、講談社「ITAN」で連載した本作『昭和元禄落語心中』が2度の受賞に加え、2期に渡りアニメ化しています。
BL作品でヒットを生んでいた方なので、『落語心中』にも美しい男性キャラクターは登場します。
しかし『落語心中』の魅力はカッコいい噺家たちだけではありません。
何と言っても、繊細に描かれた噺家の素顔と業、そして落語の深さを知ることができるところにあります。
『昭和元禄落語心中』がきっかけで寄席デビューしたという若い人は多くあり、私も『落語心中』で落語に興味を持ち、寄席に行くようになりました。
日本の伝統芸能から離れがちな若者を寄席に呼び寄せた画期的な作品といえるでしょう。
今回は主人公、与太郎の人生を変えた落語「死神」から、悔いの無い一生を送るためのヒントをお話します。
『昭和元禄落語心中』あらすじ紹介
満期で出所の模範囚。
だれが呼んだか名は与太郎。
娑婆に放たれ向かった先は、人生うずまく町の寄席。
昭和最後の大名人・八雲がムショで演った「死神」が忘れられず、生きる道は噺家と心に決めておりましたーーー
チンピラ上がりの主人公・与太郎は刑務所を出所後、やることは一つと決心していました。
それは職を探す訳でも、家を探す訳でも、かつての仲間の所へ帰る訳でもなくーーー”有楽亭八雲”に弟子入りし、噺家になること。
八雲が出てくるなり抱きついた与太郎はこう言います。
「大先生、オイラはアンタに一目惚れしたんだ
覚えてるかい?1年まえの刑務所落語慰問会
アンタはあのとき『死神』ってハナシを演ったんだ
ろくでもねぇ男が死神にそそのかされて、うまいこと儲けて
そんでゲラゲラ笑ってたら最後にゃあズルやって寿命のろうそくが消えちまうってんだからよ
大先生の死神がおっかなくって
まわりの連中真っ青んなってたぜ」
与太郎を犯罪者から噺家を目指す青年へ生まれ変わらせたのは、八雲が演じた「死神」だったのです。
”見ろよ、あのしぐさ、目の動き・・・
どんどん引きこまれる・・・何人にも見えてきて
師匠だかだれなんだか
わかんなくなってくる”
八雲の演技はまさに死神が目の前に現れたかのような生々しさ。
与太郎の前に現れた死神は、彼の人生を一変させたのでした。
与太郎の人生を変えた名作落語「死神」
『昭和元禄落語心中』で八雲が演じた「死神」は古典落語の傑作で、現実世界でも多くの噺家さんが演じています。
『昭和元禄落語心中』の舞台である昭和の時代にも演じられていますが、現代に生きる私たちが見ても大変引き込まれる噺です。
演者によってセリフの言い回しは変わりますが、大筋はこのようなストーリーになります。
何かにつけて金に縁が無く、子供に名前をつける費用すら事欠いている主人公がふと「俺についてるのは貧乏神じゃなくて死神だ」と言うと、何と本物の死神が現れてしまう。仰天する男に死神は
「お前に死神の姿が見えるようになる呪いをかけてやる。
もし、死神が病人の枕元に座っていたらそいつは駄目。
反対に足元に座っていたら助かるから、呪文を唱えて追い払え」
と言い、医者になるようアドバイスを与えて消えた。
ある良家の跡取り娘の病を呪文で治したことで、医者として有名になり、男は富豪となったが「悪銭身に付かず」ですぐ貧乏に逆戻り。
おまけに病人を見れば今度は死神がいつも枕元に…。
あっという間に以前と変わらぬ状況になってしまう。
困っているとさる大店からご隠居の治療を頼まれた。
行ってみると死神は枕元にいるが、三千両の現金に目がくらんだ男は死神が居眠りしている間に布団を半回転させ、死神が足元に来たところで呪文を唱えてたたき出してしまう。
大金をもらい、大喜びで家路を急ぐ男は途中で死神に捕まり大量のロウソクが揺らめく洞窟へと案内された。
訊くとみんな人間の寿命だという。
「じゃあ俺は?」
と訊く男に、死神は今にも消えそうなロウソクを指差した。
いわく「お前は金に目がくらみ、自分の寿命をご隠居に売り渡したんだ」
ロウソクが消えればその人は死ぬ、
パニックになった男は死神から渡されたロウソクを寿命に継ぎ足そうとするが……。
「アァ、消える……」
落語「死神」の”命のロウソク”に通じる仏教の生命観
「死神」のクライマックスは何と言っても、主人公が死神に連れていかれた洞窟の一面に広がる、人間の寿命のロウソク。
噺の中でも主人公が
「なるほど昔から人の寿命はロウソクの火のようだなんて譬え(たとえ)は聞きましたけれども…」
というようなセリフを言うことがありますが、ロウソクに寿命を譬えるのは、日本に古くから根付く仏教で教えられる生命観が影響した譬えと考えられます。
私たちは生まれたとき、寿命というロウソクを受け取る。
生まれたての赤ちゃんは、長いロウソク、おじいさんやおばあさんは短いロウソクを持っているのでしょう。
しかしこの譬えのポイントは、私たちの命を譬えているのが、力強く燃え盛る松明ではなくて「ロウソク」であるところです。
それはなぜか。
強い風が吹いたら、ロウソクはあっという間に消えてしまうからです。
この風とは死のこと。
仏教の言葉で「無常の風」ともいわれます。
人の生命を消滅させる無常の理法を、花を散らし灯火を消す風にたとえていう語。
私たちは日夜、少しでも長く生きるためにロウソクを伸ばそう、ロウが減るスピードを遅くしようとしています。
iPS細胞のような再生医療も、最先端テクノロジーであるAIを用いた手術も、私たちの命のロウソクを少しでも長くしようとする営みでしょう。
しかし死という無常の風は、どんなに医療を発達させても防ぐことはできません。
いくらロウソクを太く長くしても、風が吹いたら一瞬で火が消えてしまうように、私たちの命もまた無常の風に吹かれれば一瞬で失われてしまいます。
長いロウソクを持つ赤ちゃんも、短いロウソクを持つおばあさん、おじいさんも風の前には同じ灯火。
”老少不定”
という言葉も古くから伝わっています。
人間の寿命がいつ尽きるかは、老若にかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないこと。人の生死は予測できないものだということ。
その証拠に、毎日のように放送される痛ましい死亡事故や殺人事件の被害者には若い方もおられます。
20代の若者も、0歳の赤ちゃんも亡くなっているのが現実です。
金に目が眩んで、死にかかっている病人と自分の寿命を取り替えてしまった「死神」の主人公は愚か者でしょう。
しかし私たちもまた、日頃はロウソクの残りの長さなど考えてはいません。
どうしたらもっと収入が増えるか、恋人ができるか、もっと給料が高ければ、もっと休みがあれば・・・というような欲の心に振り回されているばかりではないでしょうか。
あっという間に寿命のロウソクが消えて、死の床で後悔しても、恐ろしいことに継ぎ足すロウソクは現実にはないのです。
そして寿命が尽きる前に無常の風に吹かれてしまえば、あっという間に寿命の灯は消えてしまう。
これが全ての人の誤魔化すことのできない実態だと、仏教では説かれており、この思想を無常観といいます。
ロウソクが永遠に燃え続けることがないように、私たちの命もあっという間に死という無常がやってくる。
それがこの世の真実です。
落語「死神」が教えてくれる”死を見つめることの大切さ”
こんな儚いロウソクのような生が自分の姿だなんて、聞いているだけで辛くなる、暗い話だと思われる方が多いかもしれません。
しかし『昭和元禄落語心中』の与太郎は「死神」を非常にポジティブに受け止めています。
ある日八雲が
「今晩はお前(おまい)さんのために『死神』かけてやろう」
というと、与太郎は目を輝かせ
「オイラのための”死神”」
と聞き入っており、「死神」こそが与太郎にとって人生の転機だったことが分かります。
仏教では
無常を観ずるは菩提心のはじめなり
といわれ、必ずやってくる未来である死を見つめることで、初めて人間らしく生きられると教えられています。
死を見つめることは、人生を価値あるものにするための第一歩。
死を意識したとき人は初めて、自分が生きている間に本当にすべきことは何かという問いに迫られます。
本当の意味で価値ある人生を送るために、元気に生きている今こそ、無常を見つめることが大事なのですね。
与太郎の人生を変えた「死神」。
私たちもまた「命のロウソク」はどれだけ儚いものかを知ることが、人生を意義あるものにする第一歩なのです。