『昭和元禄落語心中』は雲田はるこ先生による本格落語漫画。
昨年2期に渡ってアニメ化、アニメファンのみならず多方面から話題を集めました。
今回は物語前半『八雲と助六編』のクライマックスから分かる「因果応報」について解説します。
※ストーリーの核心部分に関する記載があります。ネタバレご注意ください。
『昭和元禄落語心中』あらすじ・ストーリーの鍵を握る“助六”
『昭和元禄落語心中』は与太郎が服役中、落語慰問会で聞いた八雲の芸に一目惚れし、落語の世界に飛び混んでいくお話です。
与太郎が惚れて泣きついたのは、昭和最後の名人といわれた噺家・八代目八雲。
弟子となり八雲の家に住み込むようになった与太郎は、八雲の兄弟子だった助六という噺家を知ります。
若くして亡くなった助六は何やら八雲と深い因縁があったようです。
「アタシにゃあ到底できねぇ落語…
助六、お前さんならどう演った?
笑ってねぇでなんとかお言いよ」
高座をする予定の大きな会場の大舞台に立ち、己の芸に悩む八雲の前に現れたのは死んだはずの助六。
この物語には要所要所に助六の亡霊が現れるシーンがあります。
まるで呪いのように「亡霊」として登場する助六ですが、その姿は何かを象徴しているようにも思われます。
助六の呪いが意味するものは何なのか。
物語前半に八代目八雲が語る過去編『八雲と助六編』から、呪いの意味が見えています。
『八雲と助六編』八雲を苦しめ続ける助六の「呪い」
『八雲と助六編』は八雲の幼少期から始まります。
芸者の家に生まれながら、足を悪くして踊りができなくなった幼い日の八雲は噺家・七代目八雲の家に養子としてやってきます。
養父と顔合わせをしていたその場に飛び込んできて、弟子入りを志願した少年がありました。
入門の理由を聞かれた少年・信さんは
八雲になりてぇからだ
と言いました。
菊比古という前座名で高座にあがるようになった八雲ですが、信さんに落語の実力で追いつくことができず、焦りながら修行に励む日々が続きます。
一方、二ツ目となり人気絶頂の信さんは助六という高座名をもらいました。
そう、物語の鍵を握る「助六」という噺家が誕生したのです。
助六はあるとき、菊比古に名前の由来を語ります。
「寄せ場で世話になってたジジィの名前なんだ。
天狗連(※芸好きな素人衆の集まり)でテメエで付けてた高座名なんだけどよ
皆そう呼ぶんだけど誰も本名知らねぇんだ
だから俺で二代目
この助六さんが先代…師匠(七代目)の前の八雲師に弟子入りしてたんだってよ
でも何かでそれは挫折して
露頭に迷って寄せ場に流れついて俺を拾って育ててくれたんだ
師匠だって会ってるはずなんだよ
だけど顔も覚えちゃうねぇだろ
かたや大名人、かたや寄せ場でのたれ死に
俺は怖い、いつか自分もそうなるんじゃねぇかって
だから絶対に八雲になるって決めて門をくぐったんだ
面白ェだろ、死んだ『助六』が八雲になるんだ」
才能のあった助六ですが、お客さんからの人気っぷりに慢心するようになります。
いつも身なりは汚く、先輩への舐めた態度や挑発もいくら注意されても改める気配がありません。
菊比古は落語の腕前的にも度量的にも八雲を継ぐのは助六がふさわしいと言いますが、七代目師匠は頭を悩ませていました。
晴れて真打となった助六と菊比古でしたが、幹部会の会長にイヤミを言われたことから助六は怒り、お披露目会でわざと会長の十八番である『居残り』を披露、観客を沸かせてみせます。
会長に謝ることになった七代目は酒の席に助六を呼んで注意しますが、二人の落語に対する思いはなかなか一致しません。
そこへ売り言葉に買い言葉で助六がつい発してしまった
だから師匠の落語は古くさくてまだるっこしいんだ
という言葉に師匠は激昂。助六は破門されてしまったのでした。
助六は落語の世界を去り、師匠の愛人だった芸者・みよ吉と子供を作り、3人とも失踪します。
七代目は助六と決別し妻に先立たれてから体調を崩し、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
七代目八雲が最期に語った、「助六の呪い」という名の逃れられない因果応報
「この八雲は曰くがありすぎる。
菊や……どうか未練を聞いてくれるか」
亡くなる直前、七代目は菊比古に己の過去を告白します。
あれはまだ俺が先代に甘やかされて
噺家になる気など
さらさらなかった頃…
大正に入って間もなくだ
とんでもねえ弟子が入ってきたんだ
野郎の落語は途方もなくうまかった
「息子だか何だか知らねェけどお前よりもっともっと落語で師匠に気に入られてやる」
先代の目がどんどんそっちに向くから俺は焦って落語を始めた
けど落語に血筋なんて全く関係ない
むしろ似ることが足かせになる芸だからな
野郎には全く歯が立たなかった
そして俺ァ
息子って地位をめいいっぱい使って
次の八雲は俺にくれるって大勢の前で先代に約束させた
そうすりゃあの野郎に落語で勝てると思い込んでたんだ
息子が継ぐって言やァ誰も文句は言えねえだろう
けどそこにいた皆が野郎の方がふさわしいと思ってたはずだよ
けど この名前でこんなに苦しむ事になるなんて
当時の俺にゃわからなかった
程なく野郎は一門を抜けて、その後どうなったかは誰も知らねぇ
野郎の高座名は助六
菊比古「助六・・・まさか?」
七代目「まさかだよ、あいつを育てたってェ爺さんだ
落語が生き写しですぐにわかった
助六を名乗りてェと言われた日にゃ生きた心地がしなかった
因果応報・・・俺んとこにあいつが来たのも因縁なんだ
俺はそのことには目を瞑ろうと必死だった
野郎と初太(信さん)は別だって…
けどどんどん呪いみてェに頭が固くなる
助六に八雲はやらねェって意地になって…大事な息子の一人を失った…
俺ァ本当に弱い。
いつまでも人を許せない業の深ェ人間だ」
「助六の呪い」は因果応報の象徴
七代目八雲の遺言の中に出てきた「因果応報」。
因果応報は仏教から出た言葉です。
本来は、よい行いをしてきた者にはよい報いが、悪い行いをしてきた者には悪い報いがあるという意味だったが、現在では多く悪い行いをすれば悪い報いを受けるという意味で使われている。
仏教の考え方で、原因に応じた結果が報いるということ。
仏教で教えられる「因果応報」の本当の意味は、良いことも悪いことも自分のやった行いの報いは全て自分が受けるということなのです。
そしてその報いは、すぐに返ってくるとは限りません。
これを三時業といいます。
善悪の業を、その結果を受ける時期で三つに分けたもの。
今の生で報いを受ける順現業、次の生で報いを受ける順生業、次の次の生以後に報いを受ける順後業の総称。
三時業ーーー大辞林 第三版
八雲の地位をよそ者に取られたくないという欲から、七代目は息子であるということを使って助六を蹴落とします。
この名前でこんなに苦しむ事になるなんて
当時の俺にゃわからなかった
若かりし日に助六を落語界から追い出し、寄せ場で野垂れ死なせた七代目。
助六にした行いの報いが数十年後の自分をこんなに苦しめることになるとは思わなかったのでしょう。
七代目にとって助六の呪いとは、因果応報の象徴だったのです。
そして後を継いだ八代目八雲も、助六の呪いという因果応報に苦しむことになります。
私たちはよく「何もしてないのに、なぜ私だけがこんな辛い目に遭うのだろう」と思うことがあります。
しかし仏教は「何もしてないということはない」と真実を私たちに突きつけます。
七代目は過去にした自分の行いを自覚していたため
因果応報・・・俺んとこにあいつが来たのも因縁なんだ
と自分のいまの苦しみは若かったときの自分の行いが原因だ、と振り返ることができていました。
しかし実際には、十年以上前に自分が誰かを苦しめたことを覚えている人の方がまれなのではないでしょうか。
仏教思想のスケールは非常に大きく、七代目の苦しみのような、何十年も前の悪行の報いを受けることですら「順現業」という一番早く結果が現れたケースだと教えられます。
「順生業」「順後業」という、もっと後に結果が現れる場合もあるのです。
私たちは記憶の無いはるか昔、どれだけ誰かを苦しめてきたことか分かりません。
だからどんな苦しいことに見舞われても「すべての結果は因果応報」と反省して当然なのが人間という生き物なのかもしれませんね。
そう考えると、代わり映えしない平凡な日々がどれだけ身に余る幸福かということを、ちょっと感謝できるような気がしました。